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ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー2ー
●空手伝道とホカロン:
8月23日(土)―9時宿舎を全員でカージにむけて出発。午後1時35分エコヴィリッジの数棟から成る第1ユニットの第1棟がついに完成する(合計12ユニットの計画)。土嚢に詰める土は現場にあるアリ塚を利用する。第1棟は土嚢30層の高さである。詳しくは河口レポートと関連写真を参照されたい。午後2時、ビ大使来訪。ヴィクトリア湖でとれたナイルパーチの昼飯の差し入れをうける。4時、宿舎ヘいったん帰り、カンパラ最大のショッピングセンター4階のスポーツクラブで石原氏が教える空手クラスを参観。2ダース入りのペットボトル3箱などを購入する。ペットボトル入りの水は宿舎と作業現場でまたたくまになくなる。
 石原宅でインターネットを借用し、27日着の第2次隊に教旗と天理大学の旗の持参をメイルで依頼する。天理大学の小旗は現在手元にはないとの返事で驚く。昔は手旗が存在していたはずだが。数日前から就寝前に寒気がして寝つかれないので、ついでにホカロン百個持参を注文する。マラリア感染を疑うが、発熱で苦しむほどではないので、我慢をつづけている。どうやらストレスと過労でばててきた様子だ。毎日の洗濯も気が重い。

●ナイルの源流:
8月24日(日)-日曜日で作業休日となり、石原君の案内で全員でウガンダの東南に位置するジンジャ市へ向かいナイルの源流や滝を見学した。ジンジャ市はウガンダ第二の都市で砂糖生産と繊維産業が盛んである。郊外にあるオーウェン・フォール・ダムは隣国ケニアに大量の電力を輸出しているといわれる。片道所要時間カンパラ市より東へ80キロ、3時間あまり。ここには1862年イギリスの探検家ジョン・ハニング・スピークが初めてヴィクトリア湖がホワイトナイルの源流であることを発見した場所であることを説明した大きな案内板が立ち、少し離れた奥まったところにガンジーの遺灰がここに流されたという石碑が建った。6時半カンパラに帰り、宿舎に近い石原君の布教所にて全員参拝。氏がNGO活動の一環として実践している孤児たちによる手ずくりのストラップなどのアクセサリーを見せてもらう。来所していた現地のアーティストが布に描いた作品を数多く見せてもらい、ユニークな絵画数点を記念品として購入する。

●NGOクロスアーツ:
8月25日(月)-早朝、河口、三成両氏が明日帰国するので、渡辺氏とサニー夫妻をまじえて、第二次隊到着後のエコヴィリッジ建築現場の活動予定と問題点について打ち合わせをする。その後、将来の可能性を視野にドキュメンタリー映画作製のシナリオ案を練る。予算さえつけば、カブール大学と共同で製作した「カブールトライアングル」の人脈を活用して、映画製作は可能である。ビ大使とのインタビューも当初にあたって、そのヴィジョンの語りを録音している。カブール大学との関係は、その後東京で結成したNGOクロスアーツが継続し、毎年カブールから著名な本学に来学したこともある映画監督と共同してドキュメンタリー映画を製作し、毎年映画祭を開催している。東京の数か所の大学では毎年新作品を教材につかいよろこばれている。2008年はThe Rootsという作品が完成し、10月に公開された。100人収容の渋谷のミニ映画館は入場料2千円で立ち見席ができ、東京外国大学の著名な伊勢崎教授が井上春生監督と対談をおこなった。外大でも井上春生が集めたアフガン映画を利用し、平和構築のための講座検討などがなされるようだ。
 9月2日開催のマケレレ大学における合同会議のテーマと諸連絡や出席者などの確認を携帯電話で一時間にわたっておこなう。正午約束の石原氏外務省申請の武道館設計者が市内のホテルにおいて一時間まってもあらわれないので、水と果物を購入し宿舎に帰り、本日より渡辺氏と同室になるので部屋の掃除と洗濯、組み換えを行う。チャールスに電話してサムとビ大使の契約書の内容について再助言をおこなう。疲れて16時に就寝。

 8月26日(火)-11時市内のスピークホテルにて須崎JICA所長の紹介により、ケニアでマサイ族とともに上総掘りを行っている大野夫妻と面談し、情報交換をおこなう。ザンビアでも経験あり、今回はウガンダで試みたいとのこと。カージの現場をも視察しその地質的可能性を検証してみるとの約束を得た。将来協働できればありがたい。19時石原氏の空手教室に同行しウガンダ人に武士道について話す。21時寄宿。

●魔法瓶の爆発:
8月27日(水)-全員朝食時に、蓋を開けたとたんにホテルの魔法瓶が突然爆発する。ガラスの破片が四方に飛び散り、顔にささらなかったのが信じられないくらい不思議であった。9時半より石原宅でコンピュータを借用し、今夕のエンテベロータリークラブでの講演原稿を作成する。15時半第二次隊、佐藤、小林、曽山教授、古屋、パピーニ氏及びアグロフォレストリー専攻の小林舞の6名がエンテベ空港に無事到着。

●姉妹ロータリークラブの提案:
19時より約1時間、Lake Victoria Hotel において30数名のエンテベロータリークラブ(Club 25128 District 9200)会員に講演、質疑応答をおこなう。まず、天理大学のキクング漁村貧困緩和活動を紹介し、千葉県勝浦市とエンテベ市の共通点を5点あげ、姉妹ロータリー関係を結ばないかという提案を結論にもっていった。その5点とは、海と湖、クジラとナイルパーチ、オーガニック乳牛と放牧場、RPBと木造漁船、エコヴィリッジとBGLである。勝浦ロータリークラブ会長あてに著名をしたService Above Selfと印刷されたクラブ旗をAlex Kakuru会長より贈呈される。BGLの開発者である同行の三成氏が両クラブの橋渡しをしてくれることになっている。同クラブはヴィクトリアホテルで毎水曜日に定期会合を行っているとのこと。

● ガンジーの「七つの社会的罪」:
このエンテベロータリークラブの会合に出席していた、ジンジャ市のロータリークラブの会員であるNicholas Kisinhjha氏から、来週の水曜日に予定されているジンジャロータリー会合での講演を依頼される。与えられたテーマは「持続可能な開発とウガンダ」についてであった。講演の最後に結論として、ガンジーが暗殺され荼毘に付されたラージカートに「七つの社会的罪」と題して刻まれている碑文を引用した。それは、1)理念なき政治、2)労働なき富、3)良心なき快楽、4)人格なき学識、5)道徳なき商業、6)人間性なき科学、7)献身なき信仰、という言葉であるが、このことばの説明に入ったときウガンダ人の聴衆は水を打ったようにシーンとして何の反応も示さない。どうしたことかと一瞬戸惑い、とっさにこの七つの社会的罪に私としては八番目として「正義なき行為」という言葉を加えたいと発言したときに、笑顔とともに大きな拍手が起こって話はおわった。  
あとでその意味を考えたが、とにかくウガンダ人はインド人に対してある種の敵意をもたざるを得ない歴史的事件を記憶していて、相互に人種偏見がいまも持続しているという事情が背景にあることが分かった。その事情は、のちインド人が社長をつとめるジンジャ市の製紙工場における対談でも感じたことであった。インド人は確実にウガンダ人を下に見て、ウガンダ人はインド人から労働搾取されていると一般に受け取られているからである。最近もウガンダ政府がインド人企業家に広大な土地を開発の目的で提供したことが国家的問題となり国内紛争を起こしたこともあったことを思い出した。しかし、外国からの観光客が頻繁に訪れる有名なジンジャ市の白ナイルの源流の一角には、ガンジーの遺灰はここに撒かれたという立派な記念碑が建っていた。ウガンダで財を成したインド人によって設立されたものであろう。

8月28日(水):ケニアの大野夫妻来訪、旧知のMYC4の責任者であるイサビリエ氏を紹介する(「グローカル天理」11月号巻頭言参照)。9時15分全員でカージへ。道路封鎖のため迂回し一時間半かかる。ビ大使来訪し、第二次隊員にそのヴィジョンを大いに語る。大野氏は現場調査をおこない、上総掘りの場所の可能性を探る。四時半協働者とともに昼食。石原と筆者は水を買いに市内へ、21時45分寄宿。

●浄水器とWEB 2 Revolution:
8月29日―午前中全員で市内ガーデンシティーへ生活用品購入と書店で文献資料収集をおこなう。午後からカージへ。石原、古屋、井上はインド人経営の浄水器関係のNandadeep International Ltd. と称する会社訪問、情報収集を行う。ナイジェリアにも支店をもっているとのこと。ウガンダにおけるビシネス土着化には2003年開業以来苦労している様子。
午後、手すき紙工場を視察。バナナ、パピリス、古紙をリサイクルしたものを煮沸し、たたき上げて再生紙としている。十数人の女性が働いていたが、製品はカードやコースター、名刺といった土産物レベルのものであった。通常用紙の印刷機にたえるものではない。19時から21時まで、MyC4のイサビリエ君来訪、宿舎でパピーニと古屋を交えて情報収集。Wikinomks やWeb 進化論についても議論沸騰。WEB 2 Revolutionによる情報は取りに行かなくとも向こうからやってくる時代にどのように対応すべきかという専門家による話題の提供は参考になった。23時全員で本日の報告とこれからの予定を調整するための打ち合わせをおこなう。

8月30日(土)-血圧高く、ふらふらして、終日ベッドにふせる。カージの渡辺氏より電話で9段まで土嚢を積み上げたが、有刺鉄線がないので、買い出しに出かけてもよいかとの連絡あり。サムに買い出しに行かせたいとのことで了解。

8月31日(日)-朝エンテベより広島大学院町田宗鳳教授チェックイン。氏はスウェーデンから是非エコヴィリッジの現場とマ大会議に参加したいと自主参加。広島のある限界集落では本学の土嚢工法に習い院生と現地村民とで既にシェルター一棟を完成している。
直観による決断と即時的実行力は20年間の禅宗修行の成果か。アフリカ大陸を知らずして、海外で比較文明論を語るのはナンセンスだという小生の批判には少々堪えたらしい。
氏は道元で博士号を米国の大学で取得している。知る人ぞ知る国際的にも著名な宗教学者である。朝食後、全員石原宅へ。出入りの画家の布作品展示芝生の上であり、それぞれ好みのものを購入する。画家収入の10パーセントは孤児NGOに寄付の約束である。午後一時より博物館など一行初めての市内見学。井上は宿舎で休養し記録整理と諸連絡。カージにようやく必要資材、セメント、砂、有刺鉄線など夜の届いたとの現地からの連絡あり、胸をなでおろす。

●町田教授の指圧力:
元禅僧であり久しぶりに対面した町田宗鳳教授は、小生のやつれた姿を見て即座に「井上先生、横になってください、このままでは脳梗塞になりますよ。私が指圧をさせていただきましょう」と無理やりに石原宅の参拝場の長椅子に横にならせて、マッサージを一時間ほどしていただいた。プロ級の指圧術にさすがと感謝しながら、しばしそのまま眠りにつく。帰国後、町田教授が忠告されたように、私は軽い脳梗塞を起こし、二週間入院生活を体験することとなった。まだ氏にそのことは伝えてない。数日後北京から参加している建築家のサニー教授夫妻が心配して、中国式の自分たちがよくやっている治療をさせてほしいと、約一時間背中と首に血流を潤滑にする吸血版のような器具をつかってマッサージを施してくれた。そばで好奇心をもって観察している日本人仲間は、小生の背中と首は充血した血液で赤黒くなっていたらしい。この夜はおかげで久しぶりに熟睡したことを思い出している。
Sunny 夫妻は帰国して即刻ホームページでカージでの活動を広報していた。その情報はすでにアメリカの関係者にも届いているようで、その敏速さに感心した次第である。

9月1日(月)-7時時半より和崎春日名古屋大学院教授をくわえ、全員で明日のマケレレ大学共同会議の趣旨と進め方を打ち合わせする。10時カージの現場にて、ビ大使、マケレレ大学との合同会議の調整準備を担当している国連高等研究所のDavid Mutekanga教授をくわえて、全員で共同会議の準備調整をおこなう。M教授は会議後、マケレレ大学へ準備確認のため退座する。一行は午後ヴィクトリア湖畔カージにある漁場の一角で子供たちの湖畔からの水汲み作業を観察する。子供たちは自慢げに両手で湖の濁った水をすくい飲んで見せる。その姿の写真を撮る。一行は二輌に分乗してそれぞれの調査研究場所に行く。井上は帰宿し、明日のマ大会議の準備をする。

●マ大共同会議の開催:
9月2日(火)-9時宿舎出発。10時から12時半まで会議はFaculty of Forestry & Natural Resource Managementにおいて開催。共同議長はビ大使、井上、Muwanika Vincent 所長(Institute of Environment & Natural Resources)の三名で、David Mutekanga教授が司会を担当。会議のテーマはThe First Consultative and Exploratory Meeting for the Ecovillage and the Lake Victoria Instituteである。日本側14名の参加者全員がそれぞれ提出しておいた配布資料のCVを参考にして3分間の自己紹介と共同研究分野の希望を英語で述べる。その後可能な限り相手側(参加教授は14,5名)に発言をもとめ、既出のEAC Projectの実現にむけて、質疑応答をおこない、ビ大使がそれに応答するというスタイルで会議が進行した。休息時間が20分間ほどとられその間日本側とウガンダ側の研究者が名刺交換などをおこなって、これからの共同研究の可能性を打診した。英文会議録は本報告書に添付してあるので参照されたし。天理大学との共同研究契約(MOU)をマ大学から求められたが、即答はさけておいた。一ツ橋、早稲田、京大などの数行はすでにMOUを結んでいる。
 会議後は自由時間を設けてマケレレ大学構内を見学、学内書店では専攻関係の資料を購入し、5時半に大学をあとにした。井上と古屋はその間Institute of Environment & Natural Resourceを訪問し、Pomeroy教授に日本から持参した浄水器を贈呈、使用方法を実際にデモンストレーションし、さまざまな地域での浄水実験のモニタリングを依頼した(写真集参照)。

●ロータリークラブとMultiversity:
9月3日(水)-午前8時から諸注意事項と昨日の会議後に交流したマケレレ大学教授との情報交換の内容について相互報告をおこなう。10時に一行は二台に分かれて宿舎を出発一路ジンジャへ。井上はCrested Craw Hotel で行われる会場へ。ウガンダにおける「持続可能な開発」という題名で30分のスピーチを行う。参加者約50数名。古谷氏がジンジャ一行より別れて会場に参加、メンバーの中に白人が一人参加していた。後で聞くと母親の遺産をつぎ込んで20数年間ジンジャで700人の生徒を収容する職業訓練学校を経営しているという。その施設の視察の約束をとりつける。ジンジャロータリークラブのStephen Omaset会長からはインド人経営の製糸工場視察の許可を取ってもらい、なめし皮のリサイクル工場の見学とともに、三箇所のジンジャ市における代表的機関の視察と情報収集の機会がえられたのは、大きな収穫であった。
 ジンジャはナイルの源流である上、その地域に居住する原住民Busoga民族は独立心がつよく、母国語と伝統文化につよい誇りをもっている。ウガンダ共和国の憲法では英語教育しか文部省は許可しないので、母国語の消滅は文化の消滅につながるという危機感から、1990年代にMpambo MultiversityというものがPaulo Wangoola氏を学長とし発足した。氏からは土嚢建築でキャンパスの一部を伝統工法にしたがってデザインしてほしいと協力を依頼された。氏は建築家を引き連れてカージのエコヴィリッジ現場を訪れ、当方もその熱意にほだされた。のちほどカンパラにある同大学の事務所を訪問し情報を交換して、将来の交流を約束した。Wangoola学長はカナダの諸大学から支援を受け、2010年には第二回国際会議をジンジャ市で開催するとのことである。筆者は現在のそのフォローアップをカナダの諸大学と連携をとり進行中である。Wangoola学長はマ大学の共同会議にも参加していて、そこで意見交換する機会を持ったのが交流のはじまりである。

●インド・英国人経営者のウガンダ観:
9月4日(木)-ナイル・ゲストハウスにて久しぶりに一番鳥の鳴き声を聞き5時に起床する。古屋はすでに起床して、ホテルの夜間ガードマンの給料など、景気や家族構成の話をとおして、情報収集し、近辺を散歩してきたとのこと。小生は久しぶりに熱い湯の出るシャワーをあびて、朝食を急いで食べ、午前中にジンジャ市内のはずれにある三箇所の施設見学に出かける。訪問したのは以下の三箇所である。Charles Nailala Naguyo Leather Waste Recycling Co.はJinja Municipal Yardにあり、そこでは香港になめし皮を輸出している業者から不要となった革の切れ端が山のように積まれていた。主として直径十五センチ位の六角形の一メートル高の棒状軸を生産していた。なめし皮を圧縮してつくられた回転軸は綿花の屑をからめ取る機械の一部として使われるらしい。
 次に訪問したのはジンジャへ行く途中に看板を見つけて気になっていたPAPUKOという製紙工場の視察であった。ジンジャロータリークラブ会長の紹介でDipak Trivedi 社長と面談出来、貴重な専門的情報を得ることができた。製紙はリサイクルを主とし、部分的にパルプを混入することもあるという。トイレットペーパーやノート類、段ボール箱などが製産され、ウガンダ最大のパルプ工場である。Trivedi社長はインドのジャムナガール出身であることを知り、天理大学のジャムナガールでの土嚢建築プロジェクトに話が及んで、想定以上の貴重なウガンダ企業情報やインド人のアフリカにおける活躍と何題について告白してくれた。ムセベニ大統領がウガンダにバナナのパルプ化を通して国家プロジェクトに製紙工場建設を日本に期待している情報は得ているのでTrivedi 社長の話はインド人のアフリカ対策の実態を得る上でもその情報は貴重であった。浄水器を売るナンダディープのインド人社長にしても、インド人の異文化圏におけるこのアフリカでの粘り強さには感銘させられた。
 英国人TOFTA Educational Trustが経営するLords Meade Vocational Collegeは700人余りの学生、教員40人を抱えているとのこと。ケニアからの難民学生もいるとのこと。Trustは各種の職業訓練を行っている。女性にはミシン、男性には農牧畜作業や比較的大規模な養豚場も二か所みられた。サッカー場もあり、数年前そこで日本のNGOが野球教室を開いたということの説明をうけたが、その交流場面はNHKのスペシャル番組で見た記憶がある。風景がかさなって思い出されたからである。学校の運営費用は、英国のNGOやJohn Kirkwood校長が自ら経営する英国の企業の純益、英国のロータリークラブの寄付金で賄っているとの説明であった。Kirkwood氏とはロータリークラブの会合で意気投合し自ら案内を申し出てくれた。ウガンダ人との折衝についての氏の苦労話は、インド人Trivedi社長と同じくおおいに教えられることがあった。機会があれば記録に残しておきたいが、他にも諸例が多々あるので後の課題としてここでは省略しておく。

つづき
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
by inoueakio | 2008-12-10 14:51 | アフリカ
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