ビクトリア湖畔に建築中のエコビレッジ遠景写真 -2008年9月-
●背景と趣旨: 2008年5月横浜市で開催されたTICAD IV(東京国際アフリカ開発会議)において東アフリカ共同体(EAC)五カ国(ウガンダ、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ)から提出されたプロジェクト活動の一環として本プロジェクトは位置づけられる。その原案は本学からEACに提案されたものであり、本報告書にはその日本語訳を掲載しておいた。 EACによるTICAD IVプロジェクト報告書編集にあたっては、本学プロジェクトの発議者である井上昭夫が担当し、EAC大使との数回の会合を東京のウガンダ大使館で行い合意を得たうえ、建築会社鴻池組大阪本社のEACへの援助を得て出版されたものである。以下には本学主導による学外関係協力者の活動レポートを含めた、2008年度の東アフリカ活動の一部である筆者のウガンダにおける調査活動の概略を日記風に記録しておいた。くわえて寄稿された本学参加関係隊員の諸活動報告も参照にしていただき、それらが今後、「建学の精神」に立脚したわれわれが目指すアフリカにおける貧困緩和自立支援活動と、さまざまな領域における学術的調査研究の立ち上げ、そして学内の啓蒙と教育活動に貢献することを期待したい。 ●エコヴィリッジ現地作業者: 8月16日:ドバイ空港にて北京科技大学副教授Tsai Liang Juei(通称サニー)氏、北京中欧美術学院Wanchun Sun女史(Phd)夫妻と合流する。Tsai氏はヴィクトリア湖畔カージ(Kaazi)における土嚢建築作業にボランティヤー参加を申し出た中国古代建築学を専攻とし、夫人は映像作家である。両氏はBuilders Without Bordersの主導者の一人であるKelly Hart氏のホームページに掲載されている天理大学エコヴィリッジの映像や筆者のホームページの情報にふれて自主参加を申し込んできたものである。両者は一ヶ月間建築現場において、ウガンダ人作業者に対してエコヴィリッジ設計者・環境造形システム研究所代表である渡辺菊真氏の現場指導に協力した。10数名からなるウガンダ人作業者はキクング貧困漁村の孤児たちで、キクング天理教布教所が経営するNGOのメンバーであり、2007年われわれの活動をとおして親しくなった青年たちである。そのほとんどが孤児たちであると聞いている。後ほど数名の孤児たちから、現場で休憩の時間を利用してヒアリングをおこなった。 第一次隊は、筆者と上記三名にくわえて、土嚢建築のベテランである河口尊氏、そしてバイオガスラトリーン(BGL)の開発者であり、2007年にも参加し、キクング漁村でそのモデル製作を指導した三成達也氏の合計6名である。河口氏と三成氏は10日間作業を連日おこない、ドーム一棟を完成して25日に帰国。その間、現地作業者十数名は土嚢工法をほぼマスターした。以下の日記はメモにもとづいて帰国後まとめたものであるので、日程以外の帰国後の全体像からみた感想も部分的に混在していることを承知いただきたい。 ●エンテベ国際空港到着初日: 8月16日(土)-午後3時10分、ウガンダ・エンテベ国際空港着。昨年のCHOGM(エリザベス女王も出席した英連邦会議)開催国として、ウガンダ政府が国力をかけて改造に努力した結果、このウガンダ唯一の空港は、近辺道路とともに見違えるようなすがたに変貌していた。天理大学出身の石原藤彦天理教ウガンダミッションセンター(以下石原宅)布教所長ほか天理教の法被を着たキクングの信者の出迎えをうけ、ただちに空港近辺に位置するキクング漁村近くの天理教集談所に参拝し、昨年のBGLと7月に筆者が合意書と契約書を交わして、竣工予定の「天理丸」の確認にでむいた。Shoreline Instituteに依頼した伝統木船は約束通りほぼ完成していた(写真集参照)。昨年始動した養豚場と木の枝に吊るした養蜂箱なども視察する。いずれも貧困緩和自立活動の一環としてわれわれが支援した小さなプロジェクトモデルの一環である。 16時45分-首都カンパラ市のはずれにあるカレンダーホテルにチェックイン。7月に契約しておいた格安宿泊所である。各部屋にはSunday, Mondayなどと週日の名称がつけられている。ツインベッドでシャワーはあるが、水や湯は出たり出なかったり、新聞の字がようやく読み取れるほのかな明かりを放つ電灯は時々停電を起こし、蠟燭をつかうこともしばしばである。マラリア蚊を防ぐ蚊帳は天井から束ねてぶら下がっている。筆者は建築家の渡辺氏と27日の第二次隊到着後から同室し、連日の活動予定と建築作業の打ち合わせ等を、毎夜この薄暗い部屋でほとんど蠟燭と、日本から持参の手動発電灯をつけておこなった。 ●事件発生: 8月17日(日)-4時45分コーランの声が聞こえてきて、目覚める。早朝のコーラン朗誦の聞きなれた一種哀愁をおびた旋律は、40年もまえのシンガポール布教時代を思い出させた。途中でラマダン月に入り時間が変更されたのか、以後コーラン朗誦は毎朝4時25分の時がおおかったが、今朝は風の向きで朗誦の声が届かなかったのかもしれない。滞在中筆者の起床時間もシンガポール時代にならってコーラン朗誦の時間に合わせることとなった。 8時半の朝食までに、記録整理や、想定どおりに進行しない当日の予定の調整時間にあてることとなった。朝食はパン二枚と卵焼きと紅茶ときまっており、バターはついている。途中から果物やジャムを個々が購入して添えることとなる。9時―河口、三成はローカルのバスでⅠ時間半かけてエンテベ・キクング村でのBGL修復作業に赴く。9時半-井上、渡辺、サニー夫妻は石原君に案内されてカンパラ市内へ携帯電話を購入ののちカージのヴィクトリア湖絆にあるエコヴィリッジ現場へ直行する(写真集参照)。正午半-土地計測と現場の草刈からはじめる。ビリグア大使(以下ビ大使)所有地の図面を見ながら、まずエコヴィリッジの中心軸を決め、第一棟を真北に定めて、直径80メートル円形のユニット計測と土地全体の境界線を確認する。中心軸は甘露台を意識して六角形の土嚢5段積みとし、完成時には水槽タンクを設置する計画。六角形の鋭角は真北に向ける(写真参照)。キクング信者代表のチャールス氏が10名のBGL建設経験者をつれて現場につく。ビ大使の申し出により、無職の孤児たちに仕事を与えるという意味からも、かれらが作業に参加することとなる。労働契約の内容には、ウガンダ人にまかせて当方はかかわらないことと準備段階から決めている。金銭トラブルに巻き込まれたくない上、土嚢建築の素材費用や労働者や関係者の費用はすべてビリグア大使持ちと合意したうえのことでもあるからである。 ビ大使を含めての最初の工程打ち合わせに際して、肝心の離日前に決定していた契約施工者であるロジャーズ氏があらわれない。大使に確認すると、契約は破棄したとのことで当方は驚嘆する。事前に準備を依頼していた足場や道具類がすべてそろっていない。われわれにとっては全く想定外の事件発生である。一万枚を予定していた土嚢袋も当方が持参した800枚しかない(7月準備報告書参照)。とにかく、宿舎より建築現場往復の4輪駆動車一台の契約を依頼する。宿舎から現場までの大半は悪路で約一時間はかかる。途中道路で村民のストライキがあれば通行は封鎖されるから、遠回りして二時間かかることもある。15時半-これからの不安を抱いて一行宿舎着。16時40分-昼食兼夕食。この一日二食パターンは、ほぼ帰国までつづく。工程の効果を上げるためには、現地並の食事習慣にあわせざるを得ない結果になってしまった。現地人が昼食ぬきで働いている時に日本人だけが食事をするわけにはいかない。じろじろ見られての一方的な昼食は気持のよいものではない。さりとて当方は作業者全員に昼食を提供する予定も予算もない。ビ大使に昼食をだしてやってほしいと申し込んでも、もちろん聞く耳は習慣として持たないのは目に見えている。くわえて信者であるという孤児たちに一手ひとつの精神が大切であるという説教もできない。 ビ大使はシャワー、便所つきの煉瓦作りの一棟を別個に建築中で、水槽タンクも併置して、将来継続する際の宿舎と道具類の置場とする計画らしい。やる気だけは十分とみとめられたが、ウガンダも最近の世界的金融危機の影響を深く受けていることも事実で、ガソリン代、食事代などすべてが異常な値上がりを示す中、施工者の建築予算にビ大使は合意できなかったのかも知れない。しかし、宿舎往復の4輪駆動車と信用できる運転手の紹介だけは格安でおこなってくれたことはありがたかった。21時20分-打ち合わせ会議。23時30分-就寝。夜中足が吊り、閉尿の気配がでてきた。これからのストレスと過労が予測され、地域文化研究センターのプロジェクトに学生を引率したインドにおける土嚢作業や、アフガニスタン帰国後の緊急入院の事態が思い出され、健康状態の管理と食事のメニューを再考しながら眠りにつく。 ●女王蟻 8月18日(月)-9時宿舎発。10時カージ着。約束どおりに現場の整地が進んでいない。テントだけは仕上がっている。80メートル四方の草刈残業を当方でおこなう。現地労働者は3名。数ある巨大なアリ塚を壊して、土嚢に入れる素材にすることに決定。土質はきわめて良好である。女王蟻を現地人が見つけて、見せてくれる。蜂の子のようになまで食べても珍味であるという(写真集参照)。アリ塚の断面を撮っている時に背後にある穴に気付かず転倒してもっていたカメラを壊す。インド人経営の修理屋に依頼して一週間かけて直してもらったが、焦点合わせが正常に起動しないまま帰国まで同じカメラを使用。そのため記録写真集の数多くは出来が悪いがやむをえない。11時50分-ビ大使視察に来る。土嚢一段目完了は3時45分。18時宿舎へ向かい、途中中華料理屋で昼食兼夕食をいただき、一行生き返った気持ちになる。 ●おさづけの取次 8月19日(火)-石原と井上はキクングへ天理丸のShoreline Instituteの伝統船制作学院の代表と称するサムと進水式を22日(金)に決定。準備作業と船首シンボルのデザインができる画家フレッド氏を紹介してもらい、当方のデザインの希望を伝える。結核を患っているという三十歳というチャールス婦人Nantongo Syliviaにおさずけを取り次がせてもらう。彼女はがりがりにやせ細り、立っているのがやっと見える美しい女性。神様をお鎮めしている集談所のまわりは、裸の子供がたくさん遊んでいて、毎回自動車のまわりを囲んでわれわれの行くところについてくる。娘であるという Namusisi Bettyが日本留学を希望しているという。無学な母親に英語の通訳をつとめている聡明そうな少女である。結核はもちろん空気伝染する。アフリカではエイズを上回る死亡率であるという。一体全体衛生教育の実態はどうなっているのだという絶望感をいだきながら、16時に宿舎着。この日河口と三成は修理に必要な器具をカンパラで購入し、キクングへバスでやってきて、BGLの修理を行う。BGLからガスは少し出るが、液肥の出るパイプなどが故障しているうえ機能していない。豚糞や人糞の投入量が圧倒的に少ないのが原因だという。 ●武士道とムセべ二大統領: 8月20日(水)-9:00一行宿舎発。第一棟土嚢6段まで積みおわる。小生は石原君のミッションセンターでe-mailのチェックに向かい、サムより依頼されたエンテベ地区のロータリークラブでの講演原稿の作成。16時から一時間フェニックス社の柏田雄一氏と面談。氏は40年間ウガンダと関わり、現在はムセベニ大統領の依頼によりオーガニックコットンによるシャツ工場を経営し、400人の従業員を抱えている。大統領の諮問委員会―Presidential Round Tableの日本人唯一のメンバーである。前回面談の際、さまざまな途上国支援のありかたについて意気投合し、再会を約束していた。大統領が武士道に関心をもっているという話を縷々聞いていたので、日本刀と手裏剣など、新渡戸稲造の武士道など数種の英文参考文献を手渡し、ムセベニ大統領に手渡しを依頼する。いまアフガニスタンにおいてタリバーンとともにアメリカ軍と戦っているヘクマティアール元アフガン首相を思い出した。彼がソ連軍と悪戦苦闘しているとき、アフガン最大のムジャヒディーン・ヒズミイスラミのペシャワールにあった本部を訪れ、彼にも日本刀を贈呈したあのときの情景を。柏田社長には天理大学のワンダーフォーゲル部が1973年に非常事態のコンゴ共和国入国でお世話になっていることを知っていたので、その時の写真を複写して渡した。その御縁にお互いに感動した次第。氏は奈良県の伊賀地方出身で先祖は忍者の家系であったとか。剣道は二段とのことであり、武道談義にも花が咲いた。帰国後柏田社長からメイルが届いたのでムセベニ大統領への日本刀贈呈の様子を次に引用しておきたい。 “去る 11月14日大統領と面談する機会があり 大臣2名ほか 次官、局長クラス夫々のスタッフ約20名列席して 弊社の抱えている問題につき 2時間程会議を持ちました。冒頭 先生からお預かりしていた 日本刀 武士道 侍の文献 先生のアフリカでのプロジェクト実績の報告書を 大統領に手渡しました。大統領は日本刀を両手で 頭を深く下げ(日本式)有難く頂きますと 受け取っていただきました。早速 日本刀を抜いて 列席の人たちに披露し ”これが 日本人の精神”と云われました。そして 日本語で ”有難う”。 井上先生と書籍の説明を私から付け加えました。この刀はレプリカですと説明しましたら 本物が手に入らないかと云われましたので探してみますと 申し上げておきました。大変 感動された様子でした。 ●悪い予感: 17:00-宿舎に天理丸建造を依頼したShoreline Instituteのサム所長(以下サム)が来て、予定されていたエンテべでのロータリークラブ会合の講演に出かける。一時間を費やして到着したのはキリスト教の教会で、そこではエンテべロータリークラブ会長の誕生祝いをやっていた。牧師がつぎつぎと説教をし、そのあとで小生のスピーチなのかと原稿の練り直しをメモしていたが、結局、会長を紹介するので寄付をしてほしいという意向。話がちがうと抗議して、当方は退室する。サムはロータリーのメンバーではないということが後で分かり、日本人を紹介して自分の名前を売りたかったとの魂胆であることが推測され、この日より要注意人物ということが判明。石原君の助言もあり、カージ土嚢ユニット建設者のエンテベ仲介人としては注意を要することが、あとで現実となる。 チャールス氏は北海道の五十嵐仁氏が現地で布教して開設したキクング布教所が経営するNGOの代表者である(拙著『天理教の世界化と地域化』参照)。氏は天理教の信者であり、ようぼくの資格をもっている。しかし。最近重病をわずらい入退院をくりかえしている。サムとは兄弟ということをチャールス自身から紹介されていたので、信用していたのであるが、そのことが疑わしいということがあとで判明することとなった。後味の悪い印象を残して深夜、宿舎に戻る。 ●労働と音楽: 8月21日(木)-午前中石原宅でサムに昨日の行き違いについて手紙を書き、ロータリークラブ講演の真意を確認したうえ、講演原稿の改定をおこなう。サムはロータリークラブの会員と自己紹介していたが嘘であることがばれてしまった。小生を利用してクラブ会合に同席し、地域の名士とコネを作る魂胆であることが後になって分かったからである。しかし、講演可能ならそのチャンスを生かして、日本の勝浦市ロータリークラブと姉妹関係を結ぶことができれば一歩前進であるので、彼の動きを静観し、返答を待つことにした。自然の成り行きに任せようという判断である。 午後は宿舎で書類整理。カージの現場では、ラジオのバッテリーが消耗したのか、賑やかな音楽が消えて、作業のテンションが低下したとのこと。肉体労働にはそれに見合うアフリカの民族音楽が必須らしい。単一電池を2000シリング(約140円)で買いに行かせ、ラジオの音楽をがんがん鳴らせて作業を再開する。耳が完全に聞こえないという、ソマリアの紛争地からひとりで逃げてきたイノセントという少年が、ラジオが鳴り出すと不思議に踊りはじめ、正常な人間が全員で踊り始める時があるという不思議な光景の報告も渡辺氏から聞いていた。サムは現場に不在のため、手紙を現場監督のチャールスに手渡し、エンテべに帰り口頭で成り行きに対するこちらの印象を説明して、サムに届けるよう依頼した。キクングからの孤児作業員全員は、カージの近郊にある作業員宿舎に雑魚寝をしているらしい。こちらでは当たり前のことで待遇が悪いわけでもない。仕事をもらえることに感謝すべきなのである。 ●労働と契約: 8月22日(金)-ビ大使に依頼していた大工がようやく建築現場に現れる。Otoad David Oryemaという中年の男性。円形ドーム用の足場つくりと窓枠などについて寸法を指示。また、作業賃金や労働条件などに関する契約書内容について、契約代表者であるサムが作成した素案についてあとあと問題が起こらないように追記改定の助言をする。建築資材や労働賃金などの出費者であるビ大使との合意書については、そのコピーを当方に見せるように要求したが、サムはビ大使が著名をしないという理由でそれに最後まで応じなかった。収入は労働者である孤児たちには個人的には支払われず、孤児院の収入として週単位でビ大使からサムが受け取っていたということがあとで判明した。当方はウガンダにはウガンダの商習慣があるという前提で、この件については距離を置いて直接たちいらないこととした。金銭に関する問題に巻き込まれると、協力する側にとっては身の危険もありうるということを聞いていたからである。 ●「天理丸」進水式: 渡辺菊真氏とサニー夫妻はカージに残り、河口、三成、石原、井上はキクングへ天理丸の進水式のためにむかう。天理丸は最初計画していたダウ船に似せた帆船型やアウトリガー附きの設計は、目立ちすぎてキクングの他の漁師たちから注目されることをあえて避けるために、他の木製伝統漁船と同形とし、TENRI-MARU 2008と命名した。ブルーの船体の両サイドに大きく黒字で船名を施した(写真集参照)。造船作業にかかわった船大工をはじめShoreline Instituteの学生たちとキクングの行政代表者たちの臨席のもと、天理丸贈呈の趣旨を筆者が説明し、若者たちと一緒にヴィクトリア湖まで掛け声とともに牽引し、無事進水。船外機は付けず6本の櫂による手こぎで出港した。釣り竿も準備したが、魚は夕方にしか釣れないとのことで、午後二時に寄港する。船外機はレンタルが可能であることを知り、貧困離島訪問のアポイントメントがとれたのちに、日本より持参の浄水器実験をかねて、再航海することにした。川崎市に事務所を構える勝浦氏開発の最新技術による浄水器については、古屋武夫氏のレポートを参照されたい。天理丸の建設は貧困漁民自立支援が目的で、天理教教祖伝逸話篇の「船遊び」に触発されて実現したものである。くわしくは拙著『天理教の世界化と地域化―その教理と海外伝道の実践』(日本地域社会研究所、2007年)を参照されたい。 つづき ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー2ー ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
by inoueakio
| 2008-12-10 14:49
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