2003年7月
外辺医療と現代医学─宗教と心理療法の調和統合 ここ数年、新聞紙上に現代医学以外の治療法を紹介する書籍の広告記事が急速にふえている。『超抗ガン剤低分子高吸収アガリスク─末期ガン治る!助かる!』『超薬プロポリス─現代の難病にプロポリスが克つ理由』などなど。監修者は医学博士や薬学博士だ。書籍ばかりでなく「健康食品」の名のもとに、サメの軟骨、クロレラ、イチョウの葉、沖縄のウコン、ノコギリヤシに各種ビタミンやミネラルの調剤など、わが家に持込まれたサプリメントだけでもまだまだある。ダイレクトメールでも次々と外資系企業が参入して類似品の積極的な勧誘が行われている。景気低迷のなか繁昌しているのは健康食品界だけではないかと思われる程である。 これらの民間療法は「外辺医療」という名でひとくくりにされ、前近代的なものとして西洋医学からは長い間排斥されてきた。しかし、最近この外辺医療が再評価されはじめて、代替医療や補完医療などと呼ばれるようになった。欧米社会ではこの名前を統一してCAM「補完代替医療」(Complementary & Alternative Medicine)という略称で呼んでいる。自然を重視した伝統医療を前近代的なものから脱近代的なものへと評価を変えてきたのは、「地球の健康なくして人間の健康はない」という市民によるエコロジー意識の目覚めであるとされる(『補完代替医療入門』上野圭一、岩波アクティブ新書、2003)。現代医学がもっとも苦手とする、ガン、糖尿病、肝臓病、心臓病など、いわゆる生活習慣病に悩むひとたちに「現代医学以外の治療法」としてCAMに魅力を感じている人の数はふえる一方である。東洋医学もいまCAMとともに脚光をあびている。しかし、大切なのは特殊なCAMと普遍の先端医療、つまりローカルとグローバルの統合であろう。この「グローカル」な調和は、患者自身の選択と責任においてなされねばならないのが現状である。 インドの伝統医学であるアユールヴェーダは、風土に根ざした独自の医学体系を持っているが、鍼灸や漢方薬を主体とする東洋医学においては、人間を小宇宙と見て大宇宙と連関せしめている点が特徴である。『准南子』精神訓は「頭が丸いのは天に象り、足の方形なのは地に象っている。天には四季・五行・九つの領域(八つの方角と中央)、三百六十六日の日数があり、人にもまた四肢・五臓・九つの穴・三百六十六の節がある」と述べている。この「節」の数は骨の数と一致し、人体の関節を上体・下体と合わせれば12関節で、1年12ヶ月に相当する。脊椎骨は、頚椎・胸椎・腰椎合わせて24個で、1日の24時間と相通ずる。こういった考えから導き出される医学は、自然のリズムから逸脱した人間が病むのだという明確な認識を持っていて、その治療には内なる自然の秩序を回復することが第一と考えられていた。 病む身体の秩序を回復する注目すべき補完代替医療に、セラピューティックタッチという「手かざし療法」といわれるものがある。看護学専門のニューヨーク大学名誉教授ドロレス・クリーガーがその開発者として知られている。彼は看護という仕事の基本要因を「人を助けたい、癒したいという願望、患者への切実な共感、病む人、苦しむ人にたいするつよい無私の感情」であると考え、だれもができる癒しの技法を模索していた。数々の臨床実験を通してその治療的効果に確信をもち、「セラピューティックタッチ」をマニュアル化し、今世界の75カ国でナースがその「手かざし療法」を用いている。大病院で外科医がメスを振るっている手術台のそばで、患者の頭上からセラピストが手かざしをしている光景は米国では珍しくないという。手をかざすヒーラーの絵は1万5千年前にピレーネー山脈の洞窟に描かれていて、最古の文献は5000年前にまでさかのぼる。手かざしは有史以来世界各地で用いられてきた癒し(ヒーリング)の原型である。日本語の「手当て」が治療を意味することはその消息をよく物語っている。 天理教では、身上者(病人)の患部を「あしきはらいたすけたまえてんりわうのみこと」と3遍唱えて、3度撫で、これを3度繰り返す「さづけ」が、身上諭しをともなって、布教伝道の要となってきた。「さづけ」と「セラピューティック」の間には基本的な相違があるが、苦しむ人を助けたいという願いにおいては共通している。後者が脱近代化医療として普遍性をもちつつあるとき、その原因を追求して、前者に医療との共存を求めることは大切である。 ときあたかも人間関係学科臨床心理学専攻の大学院が天理大学にまもなく設置される。天理教の独自的救済環境を活かして、宗教と心理療法の接点の研究や、心理臨床の高度な知識や技能に加え、宗教的な人間理解に基づいて心理臨床の実践を行う力を身につけることを目指しているという。しかし、その理念を具体的に達成するのは、「さづけ」と「諭し」の天理教救済史が実証する実践教学サイドからの、心理療法領域への積極的関与であろう。その逆は主客転倒であるというパワフルな気構えがとくに宗教学教授陣には必要だ。そうでないと宗教私学である天理大学の独自性はまたもや普遍に埋没して、その個性を輝かすチャンスを失うことになることを憂う。 2003年8月 宗教と夢─夢と現実の「二つ一つ」 人間はこの世に生まれ落ちてから、赤ん坊の時はほとんど寝て過ごし、成人しても授業中や会議中は言うに及ばず、通勤電車のなかでも寝ている時が多いから、人生約3分の1は寝て過ごすのではなかろうか。従って年齢を聞かれたときに、私が60歳と答えるとすれば、私は生まれてから20年間寝てきたと答えていることになる。そして人間は、ほとんど忘れているにしても、この寝ているときに夢を見ている。その夢は魂の散歩であると実にうまく表現した人がいたが、その人の名前は忘れた。 夢と宗教に関して言えば、宗教進化論で著名なE.B.タイラーは、宗教の起源を未開人の夢の解釈に見いだしている。人間が夢などの不可解な心的現象を理解しようとして、肉体から遊離し得る霊魂という観念を持つに至ったのが、霊的存在の信仰の始まりというわけだ。その霊魂の観念が、人間から動物へ、植物・岩石・食物・武器などへと連想・拡大されて、アニミズム的な世界観が成立し、そこから多神教、一神教という宗教が進化してきたという。夢を、遊離した魂の経験の現れであるとする信仰は、未開人や古代人に広く認められる。古代インドでは、睡眠中の人を急に起こすとその魂が肉体への帰り道を見失って癒しがたい病に陥ると考えられ、中国では睡眠中に魂が肉体を離れ、その逍遥の間の体験が夢であると信じられていたという。また夢が神や悪魔などのお告げであるという考え方は世界中にあり、その例は枚挙にいとまがないほどである。ギリシャでは夢の送り手はゼウスやアポロであったり、イスラムでは善い夢は神に由来し、悪い夢は悪魔から送られると教える。(『宗教学辞典』東京大学出版会) 夢の多くは支離滅裂であり、意味不明、不合理に満ちている。常識の世界をはるかに超越しているので、そのために夢の解釈は古代から盛んに行われていた。夢は無意識への王道であるとも言われるが、バビロニヤでは夢判断のテキストが作られていたという。そのなかでは勿論、個人、国家を問わず吉凶が盛んに予言されていたに違いない。また、ユダヤ法典にはエルサレムに12人の職業的夢解釈家がいたことが記されている。バビロンが栄華を誇っていた現在のイラクやイスラエル・パレスチナの紛争のながきをみると、現実の世界が夢の世界にとってかわったようなむなしさを感じる。実際、夢と現実が逆転したような諸相は、最近あちこちに見られるようになった気がする。 フロイトは夢と宗教を心理機制において同根と考え、宗教は幼児的願望が外界へ投影された幻想の体系であるとした。それに対してユングは、夢は意識的な洞察よりすぐれた知恵を現す能力があり、基本的には宗教的な現象であるとした。河合隼雄は『明恵夢を生きる』の中で、さまざまな仏僧の「上昇の夢」を分析解釈した後、ユングが70歳のころに心臓麻痺で危篤状態になったときに見たという、地球から遙かに遠ざかった地点に到達した夢ともヴィジョンとも思われる次のような体験を紹介している。 「私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸とがみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らし出されて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。左方のはるかかなたには大きな広野があった、──そこは赤黄色のアラビヤ砂漠で、銀色の大地が赤味ががった金色を帯びているかのようであった。──」(『明恵夢を生きる』、140頁) 1990年天理で宇宙飛行士などを招き「宇宙の心・心の宇宙」という国際シンポジウムを開いた。その時、アポロ12号で月面に着地したピート・コンラッドが「月面に立ちて想う」というテーマで話をし、その宇宙体験を数多くのスライドを使って披露した。その一こまであるスクリーンに大きく映し出されたインド大陸を中心とした宇宙からの地球の映像が、ユングが体験した「上昇の夢」の描写とぴたりと一致したような印象を与えた。明恵の夢の話を河合隼雄氏から聞いたコンラッドも大変驚いたが、氏によればこのような例は多く見られるとのことであった。しかし、何故かという質問に対しては返答は返ってこなかった。 ところで、天理教では夢は肯定的に捉えられている。「どのよふなゆめをみるのもみな月日 まことみるのもみな月日やで」(ふ12:163)。「語るに語られん、言うに言われん。夢でなりと、現でなりと知らせたい」(さ23/6/2)。現実の世界に神の摂理があるように、夢の世界にも神の摂理がある。言葉で伝えられないことは、夢を通してでも知らせるという親心がある。ユングは、夢は無意識の側から意識の偏りを警告・補償するものを現しているとする。夢と現実を分断して「そんなの夢の話じゃないか」というのではなく、両者を橋渡しする「二つ一つ」の天理教学からの研究が求められる。 2003年9月 宗教研究の新パラダイムを求めて─研究所創立60周年記念国際シンポジウムから─ 日本宗教学会第62回学術大会が天理大学で開催された。丁度本年は、おやさと研究所設立60周年にもあたるので、大会に先立つ9月3日「宗教の概念とそのリアリティ」というテーマのもとに、研究所主催の記念国際シンポジウムを行った。 300名に近い宗教学を専門とする人たちの参加があった。主会場に入りきれない人のためには別室にモニターテレビが設けられた。 基調講演は「宗教研究の理論と方法」と題して、チャールズ・ロング、カリフォルニア大学サンタバーバラ校名誉教授、「比較宗教学再考」と題して、ウィリアム・グラハム、ハーバード大学教授が行った。両教授とも専門は宗教学であるが、ロング教授は、20世紀を代表する宗教学者ミルチア・エリアーデとともにいわゆる「シカゴ学派」を構築された学者で、米国の宗教学会の会長をつとめられた事もある著名人である。また、グラハム教授は、現在ハーバード大学の神学大学院長の立場にもあり、研究領域はイスラーム研究で、世界宗教の聖典の伝統と諸問題に関心をもっておられる。 両教授の基調講演では、現代の宗教学が西欧の概念によって世界の諸宗教を理解しようとして来た傾向を具体例をあげて鋭く批判され、これからの宗教研究の上にあらたなパラダイムを構築しよういう議論が展開された。両教授の発表は、日本の新興宗教のモデルとして、しばしば調査研究対象にあげられてきたわが天理教が、今回批判された欧米思考の研究方法の流れの中で、ここ一世紀ものあいださまざまな宗教学者の研究対象とされてきたことを思い起こさせた。その傾向を、和英に関わらず数々の研究文献を通して直接ふれたことのある筆者にとっては、とりわけ印象深い講演内容であった。 思い起こせば、筆者は1960年アメリカ留学から帰国して、欧米からの宗教学者や聖職者を天理教の神殿などに案内し、教理説明をめぐって彼等との質疑応答の体験を数多くもった。そのさまざまな経験を想起しながら聞き入った今回の記念シンポジウムの講演内容は、島薗進、東京大学教授の「現代宗教と宗教研究」、氣多雅子、京都大学教授の「現代社会と宗教哲学」の発表も加えて、まことに感慨深いものがあった。会場に参加しておられた、筆者と同じ体験をもたれたであろう日本の他宗教に帰依しておられる宗教学者も、同じような印象をもたれたに違いない。思い出は数々あるが、今回のシンポジウムで批判された従来の宗教研究の傾向から出たであろう極端な諸例をあげると、その極めつけは中山正善天理教二代真柱に向って、信者を引き連れて全員基督教に改宗しないかと驚嘆すべき発言をした聖職者もいたことである。また、神殿の礼拝場で甘露台の説明をする筆者に、背中を見せて始終外を眺めていた異宗教は否定すべきものと最初から盲信しているかのような失礼な原理主義者もいた。その礼儀を超えた徹底した信仰姿勢には、反面感心さえもしたほどである。さらに、1970年大阪万博の年、ローマ法皇の代理で訪日した際、天理の真柱宅にそのために建てられた日本間に宿泊したパウロ・マレラ枢機卿は、すばらしい聖職者との印象をもったが、天理教の人間の身体は神からの借り物であるという「かしもの・かりもの」の教理や「出直し」の教理など、キリスト教とは力点が異なる独自の教理を比較において説明する筆者に対して、あれもこれも全部聖書に書いてあるというそっけない回答が次々にかえってきたことなども思い出す。また、組織神学で著名なパウル・ティリッヒが、天理を訪れた印象を聞かれ「天理教は原始宗教の爆発である」とコメントした話はいまや有名であるが、その意味はさまざまに解釈されるとしても、その異宗教に対する彼等の思想的背景にあるものは、今回のシンポジウムで痛烈に批判された従来の欧米パラダイムの宗教研究の底流をなすものであったと思われる。 シンポジウムの後、宗教学会の特別セッションにも出席されたロング教授と二人で2時間程話し合いの機会をもった。教授とは17年前、筆者が『おふでさき英訳・研究』(天理教道友社刊)の最終稿を終えた直後に、氏の教え子であった村上辰雄君の紹介で天理で初めて会い、奈良ホテルに宿泊しておられた教授に明日までに原稿に目を通して頂きたいという無理な願いを快諾頂いたというご縁がある。今回も天理滞在中に「元の理」を読んでもらい、御意見をお聞きし、質問にも答えさせて頂いた。「元の理」は日本語では天理教外の学者からも学際的に研究され、「元の理」講座7巻(天理やまと文化会議刊)にも収録されているが、英文翻訳資料が極端にすくないのが現状である。求められる「こうき」の世界的ひろめには、その翻訳が絶対条件となる。 今回の記念シンポジウムや学会の特別部会においては、天理大学の宗教学科をはじめ、教校本科や天理教教庁海外部の若手による同時・逐次通訳者の活躍が注目された。1960年代の当時を顧みて、すべてにおいて隔世の感がある。学問を海外で研鑽させて頂いた神恩に報いる為にも、外国語による教理翻訳に止まらず、学んだ外国語とそれぞれの専門分野を通して、本教教理の展開をしていく気概をもって、世界のあたらしい宗教研究の橋渡しに貢献する仕事を期待したい。
by inoueakio
| 2003-01-02 16:43
| 巻頭言集
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