2001巻頭言7~12月号
2001年7月  
「国家の安全保障」から「人間の安全保障」へ

国連によれば、第二次世界大戦後に引き起こされた106の紛争のうち、94%は内戦である。つまり、国家間の戦争は、数的には圧倒的に回避されている。しかし、グローバリゼーションによって、価値観が多様化し、連帯観や境界の意義が薄れ、貧富の差が拡大し、逆に非国際的な性格の武力紛争が激増している。以前は、国際平和の保証が国内平和の保証につながっていた。しかし今は、国内平和の保証が国際平和を保証するという逆方向に、歴史が回転しているように見える。国内の平和は、基本的人権や自由が守られてはじめて可能となる。天災や紛争、資源の枯渇などによる極度の貧困と恐怖から、自由を求めて人々が先祖の土地を追われ、難民として、国内外で暮らさざるを得ないような状況では、平和な繁栄はありえない。国連や世界銀行による施策のポイントが、この世界各地に蔓延する現代の「貧困との闘争」に置かれていることは当然のことであろう。世界の「高山」である国連の眼は、いまこの国々所々に発生する貧困撲滅の方向に焦点が合わされている。宗教者の眼はこの新「谷底」層に向けられているか。
国連憲章は国連の主目的を国際平和と安全の確保にあるとしている。1992年安全保障理事会の異例の要請を受けて、事務総長は加盟国に平和建設のための国連の活動をより効果あるものにするために「平和への課題」という報告書を提出した。それは国連の紛争に対する予防外交、停戦を通しての平和維持、紛争終了後の平和創造の活動に集約される。近年、国連はこの路線を継承する中、平和への理論的アプローチを進化させ、その活動についてさらなる改善を進めてきている。
去る5月14日、国連ユニタール・広島アジア太平洋センター設立にむけて、本年度ワークショップの調印式に出席したユニタールのM・ボイサード本部長は、いま国連の平和の概念が拡大し、変化し始めていると述べた。それは平和を守るために取り組むべき課題が、紛争に加えて、人権侵害、自然災害、環境破壊、薬物、犯罪、疫病、対人地雷などと多岐にわたり始めたという点にある。安全保障の概念も、国家から人間に焦点が移っている。国連はそれを次の三点で考えていると説明した。
第1は紛争を予防する平和創造(Peace Making)であり、第2は交戦中の両者を切り離す平和維持(Peace Keeping)であり、第3は紛争後の復興に当たる平和構築(Peace Building)である。この3つの「平和への課題」は頻繁に引用されているが、いまこれは「人間の安全保障」(Human Security)というより大きな概念の枠組みに吸収されている。「人間の安全保障」とは、伝統的な「国家の安全保障」から、人間個人の本来の可能性を実現する安全保障に移した新しい挑戦的な概念である。
「人間の安全保障」に対する挑戦は、暴力、基本的人権の無視、伝染病や自然災害、貧困や経済的社会的混乱、天然資源の枯渇、環境変化、災害など数え切きれないほどある。問題は山積しているとはいえ、国家の安全と繁栄を課題とした時代から、国家を超えて人間同士の安全と繁栄を課題とする方向に、世界の眼が向き始めたことは、平和を求める人類意識の進化・成人と言えなくもない。
外からやってきた、世界いちれつの新しい平和の概念と、陽気暮らしを目指す世界だすけの内なる伝統的教理実践が、個々の信仰生活や学校教育の領域においてどのように繋がっているかを振り返ることは大切である。

2001年8月  
「国際参加」:貯水・植樹・アドベ建築の試み
「地震は多くの人命を奪い、あらゆる構造物を破壊した。だが、カーストの障壁を砕くことはできなかった」とインドの英字紙インディアン・エキスプレスはインド西部地震救援状況にふれて述べている。報道によると、救援物資はもっぱら上位カースト中心に配給されたという。カーストにはバラモン(僧侶)、クシャトリヤ(武士)、バイシャ(庶民)、シュードラ(隷属民)の4階級と、カースト枠外の不可触民・ハリジャンが存在するが、現実にはカーストはその中でさらにさまざまな職種にわたって細分されている。下位カーストやイスラム教徒は、地震救援物資の公平な配分を求めて、抗議行動をあちこちでおこしているとも報道されている。
カースト制度に限らず、自然災害や戦争の被災者のために世界から送られてきた救援物資が届かないという事実はいくらでも見受けられる。ベトナムやアフガニスタンの難民救援活動に携わったことのある筆者には、経験済みである。届いているか否かを詮索する苦労は、物資を集める苦労より気がめいる。相手を疑うこころが先行するからである。
筆者は8月に派遣される天理大学「国際参加」プロジェクチームに先立って、7月上旬インドのグジャラート州・ジャムナガール市近辺の地震被災地などを訪問し、その復興状況や、とくにハリジャンの村などの視察を行った。目指すのは、地震による被災者に物資や募金を届けるという救援ではない。被災者側と協働して、農業・牧畜に必要な貯水のためのチェックダムや、ハリジャンのための安価で耐震構造のある泥土によるモデルハウスを建築し、地域行政と協力して竹を移植する。この地方の雨期に降る95パーセントの雨水は海に流れてしまうので、雨水をせき止めるチェックダムを造り、数多くのため池を作る。さらにモデルハウスは、直径2m70、高さ2m90あまりの泥土による小型アドベ建築であり、斬新な土木技術をもって、現地の伝統的風土と宗教・文化的要素を考慮しながら、独自のデザインを考えている。このユニットを生態学的な視点をも織り込んで、機能的にさまざまな形に配置すれば、将来は天理エコ・ヴィレッジが完成する。竹は、ジャムナガール滞在中3カ所において、2種10数本が散見された。市の森林局に依頼して、竹千本の苗を特別に提供してもらうこととなった。ゼロエミッションの象徴である竹が、この地域で育てば、ため池や河川の護岸にも役立つ。このコンセプトを記者会見で語ったら、翌日テレビ局(ZTV)の取材を受けた。全インドに向けて天理大学の名前が報道されたはずだ。またインドの国樹グルモハルと桜の苗木の交換移植も考えている。
参加する学生は、大地震の実態に触れるばかりでなく、カーストの実際や、さらには人間と自然の共生についても学ぶ点が多い。ジャムナガール滞在中は、東洋医学の源であるインド5千年の伝統を持つアーユルヴェーダの国立医科大学を訪問し、現代の西洋医学を足下から考える。帰途には、シルクロードにある世界遺産エローラやアージャンタ遺跡も見学する。このような協働的・教育的ツアースタイルは、単なる観光旅行や文化学習ツアーとは異なる。観察を主としたエコ・ツアーでもない。ツアーする側と地域社会の側が自立的に結びつく、「献身」という概念を取り込んだ「国際参加」のスタイルである。これを広げ、そのネットワークをグローバルに構築すれば、我が国でもユニークな異文化人間教育の試みとなるであろう。

2001年9月    
地球温暖化の教理的解釈

太陽の子である惑星地球は、大気という柔らかな着物をまとっている。その着物は、温室的な機能を持ち、自然の気象条件を巧みに調節している。その働きは、生物が生きて行くのに必要なぬくみと水気、つまり温度と湿度を絶妙に保つ仕組みになっている。現在問題になっている地球規模の気温上昇は、この地球を取りまく自然の大気の着物に、人間の生産活動や消費活動によって放出される大量のガスによって作られた着物を、地球にかさね着させた事によって起こされていると考えれば分かりやすい。温室効果ガスといわれるものがその着物であるが、主として化石燃料を燃やす際に出る二酸化炭素や、フロン、メタンなどが原因となっている。気温上昇によって溶けた氷河や、北極や南極の氷山は水となって海に流れ出る。その結果、海面は上昇し、渚は消え、島嶼国家、海辺低地帯地域は、巨大化する津波や海水の地下水への浸透などで大きな被害を受ける。温暖化が続けば、今世紀中に国土が水面下に消え去る運命にある島嶼国家も少なくない。
地球温暖化で高潮や洪水の影響を受ける人たちは、低地帯の居住者であり、その数は4600万人から9200万人、その他の生態系の崩壊により影響をうける発展途上国の人々は数億人といわれ、いままで人類が経験したことのない巨大なスケールになる。この温暖化をもたらす温室効果ガスは、主として先進工業国がいままで排出してきたものである。経済のグローバリゼーションは貧富の差を拡大してきたが、温暖化という自然破壊においても、弱者と強者、被害者と加害者がはっきりと分離されていくという構図がここには見られる。さる7月ジェノバで開かれたG8に対して、死傷者を出した20万人におよぶ「反グローバル化」を叫ぶデモは、この弱者・被害者の主張を先進国G8はもっと真面目に聞けというものであった。国連の気候変動に関する政府間パネル・IPPC(2001)によれば、平均地上気温はこれから約100年間で、最大5.8℃上がると予測されている。これまでの1万年間の変化は1℃にも満たなかった。この気候の安定のおかげで人類文明の発展があったといわれる。現在のスピードで地球の気温上昇が続けば、人類生存にとって深刻な問題となる。
地球温暖化により、海面上昇の被害を被るのはなにもツバルなどの島嶼国家だけではない。日本でも50cmの水位上昇で299万人が移住を余儀なくされる。海面が1m上昇すると、海抜が0m以下となる地域例としては、東京では江戸川区、墨田区、葛飾区、江東区などが上げられる。30cm海面上昇で日本全体で現存する砂浜の57%が消失し、1m上昇で90%が消失する。
一方、水資源の絶対的不足が人口増加により加速化するという意味でも、21世紀は「水の世紀」であるといわれる。宗教者にとって、この水資源や地球温暖化の環境問題は、人間活動の鏡である限り、即精神問題でなければならぬ。天理教教理からすると、をもたりとくにとこたち両神の守護よって象徴される、本来あるべき生態系の火と水、そして人体のぬくみと水気のバランスの中で、それに対応するこころの働きとしての理性と感性、理と情の働きのアンバランスが、温暖化の精神的原因であるという考え方。つまり、温暖化というグローバルな環境問題を突きつけられて、いまローカルな信仰者個人に問われているのは、人と自然の関係に照応する人と人との関係、個人と組織の環境に介在する、理と情のバランスの問題でもあるという考え方も成り立つのではなかろうか。

2001年10月  
「文明の衝突」に見る「善と悪」

冷戦後の文明間の衝突を予言したハーバード大学教授サムエル・ハンチントンの『文明の衝突』(1996)は大きな反響を呼んだ。冷戦後の世界はグローバルな国際社会の一体化が進むというのが当時の支配的な見方であった。しかし、ハンチントンは、イデオロギーに代わって冷戦後は多様な宗教や民族に基づくいくつもの文明がその存在を主張するようになり、米国だけが唯一の超大国であるかのように傲慢に振る舞うのは、地域大国や他の文明から反逆をもたらすだろうと分析した。9月11日の米国での同時多発テロによる攻撃は、その論拠の正しさを物語っている。
テロ首謀者ビンラーディンをかくまっていると言われる「タリバーン」は、パシュトゥーン族からなっている。このタリバーンをパキスタンが支援してきた。パキスタンにはアフガニスタン国境周辺に一説150万人ともいわれるパシュトゥーン族が住んでいる。また、タジク、ハザラ、ウズベク族からなる「北部同盟」は反タリバーンである。そして言うまでもなく米国は反タリバーンであるから、この三角関係の中でパキスタンに内乱が起こるのは目に見えている。
一方、3種族からなる反タリバーンの北部同盟は、一致団結していない。仮に米国が北部同盟を支援してタリバーンをうち破っても、政権をとった北部同盟の3派が潜在するタリバーンのテロを常時警戒しながら、派閥間の覇権闘争を繰り返すという構図になっている。ために、一部にはイタリアに亡命していた超派閥のザヒル・シャー元国王を帰国させ、アフガニスタンを統一させようとしているが、過去の経緯からして、その前にパシュトゥーンの元国王は暗殺されてしまうだろうという説の方が信憑性を持つ。
パキスタンは1989年ソ連軍が撤退したあと、イスラム自由戦士・ムジャヒディーンのゲリラ派閥を支援していた。主として元首相G・へクマティヤール党首の率いるスンニ派原理主義ヒズミ・イスラミ「イスラム党」にアメリカの援助資金はわたっていた。この事実はハンチントンの『文明の衝突』(375頁)にも記されている。1980年に筆者はペシャワールのヒズミ・イスラミの本部でこのヘクマティヤールに会見している。会見中、突然彼が退席し、側近もつづいて退席し、カメラマンと筆者の二人は薄暗い部屋にぽつんととり残された。しばし沈黙がつづいた後、中庭でゲリラによるコーランの敬虔な祈りが始まった。窓越しにそれをのぞき見しながら、再度会見の時間を静かに待ったのを昨日の如くにいま思い出している。
世界貿易センターに突っ込んだテロリスト、ムハマド・アター(33)は、遺書の中で「殉教者」としての長文の祈りを残し(『ヘラルド・トリビューン』9/29)、ブッシュ大統領は、旧約詩編23を引用してテロとの戦いは「善と悪」との戦いと位置づける(同9/12)。そして法皇ジョン・パウロ二世は、アルメニアの教会の祈りで、グローバルな問題を解決する唯一の方法は何が「善か悪」かを選択するところにあると述べる(同9/24)。そこには納得出来る宗教的懺悔の片鱗も見いだせないのだが。一神教の「善と悪」との二項対立における正義が二分化された争いはこれからも延々と続くのだろうか。一方米軍機は、戦いのための武器・弾薬・兵士と、その被害者のための「人道的支援物資」を同時に輸送している。これが新しい形の戦争であるとしたら、何とも奇妙な「善と悪」二者択一の辿りついた姿であると言わねばならない。

2001年11月    
現代の「谷底」・「高山」戦争に学ぶ

世界で最も豊かな国アメリカが、いま世界で最も貧しい国アフガニスタンを徹底空爆している。まさに『おふでさき』に啓示されている「高山」と「谷底」の戦いが象徴的に進行している。泥沼化するアフガン戦争の中で、貧富の差を惨めなまでにも拡大化してしまったグローバリゼーションの強力な牽引車・アメリカは、「高山ハせかい一れつをもうよふ まゝにすれともさきハみゑんで」(3−48)という神言をいま実証しているかのようだ。空爆される最貧国アフガニスタンは、「どのよふな高い山でも水がつく たにそこやとてあふなけわない」(7−13)というような心境で、高山の積雪の稜線を見上げ、長期化する地上戦にさらなる戦意を谷底から駆り立ている様子が窺われる。
アフガニスタンに対するアメリカのとめどもない空爆はやむところを知らない。しかし、29日発売の米週刊誌『タイム』を引用する『朝日新聞』(10月30日)によれば、「米国防総省の最も甘い評価でも目標に命中したのは85%で、15%にあたる450発以上は誤爆」であるという。カブールの赤十字の食糧倉庫は3回続けて誤爆された! 誤爆による被害は勿論戦争と関わりのない村落や市民・婦女子にも及んでいる。アメリカの空爆の目的は、タリバーンの軍事施設を破壊し、テロの犯人と目されるビンラーディンを地上部隊によって追いつめ捕獲することにあるというが、徹底した空爆が連日1ヶ月も続き、先鋭の特殊部隊が侵入している現在でも、目指す人物が籠もる場所はいまだに定かではない。万が一ビンラーディンを捕殺することが出来ても、彼は殉教者として脚光を浴び、さらにテロの恐怖は過激化する。
つまり、高山・アメリカ側にとっては、谷底の「めざる」一匹に見立てられるビンラーディンを捕獲出来てもマイナス、出来なくてもマイナスである。現に今朝(10月30日)のCNNニュースによると、200余名のタリバーンの精鋭がアフガニスタンを脱出し、英国に侵入したのではないかと伝え、米司法当局は一週間以内にアメリカのどこかで新たなテロが発生する可能性があると警告している。テロがどこかで発生するでは防御のしようがないから、不安や恐怖は増幅する。つまり、この事実は空爆を正当化した「悪か正義」かの二者択一の論理が、現実には全く有効性を持ち得ず、間違っていたということを証明している。一方、拡散する高純度兵器「炭疽菌」への対応はちぐはぐで、空爆の成果も見えていない。だんだんと米国民の団結に亀裂が入り始めている。報復は報復を呼ぶ。そのサイクルをどのようにして断ち切るか。人類の知恵と決断がいま求められている。
テロはあらゆる技術を尽くして防ぐ必要がある。しかし、なぜテロが起きているのか、その原因を歴史や宗教、或いは経済や人権の不平等といった社会的視点からだけではなく、心性還元論の罠を避けながら、現実の問題に対応し、同時に人間の心の本質についても考える必要がある。『文明の衝突』でS・ハンチントンが予測したように、アメリカの国際社会における「傲慢な振る舞い」がテロの遠因であったとしても、「世界は鏡」と教えられる限り、それを心の内面鏡に照応する問題として、例えば「こうまん」の埃を払う厳粛な信仰的行為に繋げていかねばならない。少なくとも具体的にそうでなければ、全人類の陽気暮らしや世界平和への祈りも対話も、さまざまに求められる信仰姿勢も、焦点がぼやけて現実の世界と断絶してしまう。

2001年12月  
アフガン難民村に土嚢シェルターを

世界的に環境問題が深刻化するに従い、土嚢(アースバッグ)を建築に使うことが、重要な自然建築技術として復活してきた。
考えてみれば、人類だけが住居を造るときに自然を破壊する。昆虫、魚類を始めとし、鳥類、哺乳類、霊長類に至るまで、彼らはさまざまな巣を作るが、人類の巣だけが、材木をはじめ、鉄骨やセメント、化石燃料などを加工して造られる。加えて、働く場所も農業以外はなべて人工建造物の中だが、最近は野菜生産工場もある。しかし、むかし自然を破壊する科学技術が発達していなかった頃は、土や石、草や樹木の枝葉などが多用されていた。アフリカやインドの土壁の家、中東、中南米、そしてモンゴルなどに見られる干しレンガによる建物や、黄土高原のヤオトンはよく知られている。
ナーダ・カリーリというアラブ系のアメリカ人建築家は、大地の建築とも言われる土嚢建築で有名である。彼は大学の教授でもあるが、カリフォルニアのヘスペリア砂漠で、スーパーアドベという土嚢によるさまざまなモデル棟を大学生と共に建てている。砂漠の土砂に極少量のセメントを混ぜ、それを詰め込んだ袋を円形に積み重ねて行く。積み上げる土嚢コイル各層の接触面を固定化するために、有刺鉄線を層と層との間に入れることを思いついた。彼はこの新しい工法で、カリフォルニア州より建築許可を取り、独自のデザインを施して、いまヘスペリア人工湖畔にデザインが非常にユニークな博物館を建築中である。ちなみにこの湖畔の岸壁は、セメントではなく数マイルの長さの土嚢コイルを10数段重ねて張り巡らしてある。勿論目に見えるのは上部の土嚢コイルだけであるが、そこには微生物も適度に繁殖して水生植物が茂り、魚釣りを楽しむ市民も多い。NASAもこの土嚢工法に注目して、月面基地建設に応用するため近々実験に入ると聞いている。土の住居は人類の歴史と共にあるが、いまそれが新しい土嚢技術を伴って浮上してきた。
8月の天理大学生によるインド地震被災地グジャラート州ジャムナガールにおけるモデル土嚢建築は、このカリーリの技術からヒントを得たものである。しかし、実際やってみると、長さ65cm幅45cmあまりの土嚢は30キロ以上の重さであるから、それを背の高さまで持ち上げる作業は長続きしない。しかも上部に行けば行くほど、直径が狭まる円錐形の建物は、バランスが微妙で危険が伴う。また、インドのボンガといわれる伝統的円形住居の屋根部分は草葺きが多い。こちらの方が、遙かに作業はラクであり、見栄えも暖かい感じがする。そこで、私たちはアッサム地方で取れたという孟宗竹を入手して屋根の枠組みをつくり、その上を茅葺き様に仕立て上げた。
極貧のアフガニスタンで戦争が続き、難民が続出している。難民村の住居は見渡す限りテントの波である。ここに安価で工法が簡単な土嚢シェルターのモデルが出来ないだろうか。カナダやニューメキシコには「国境なき建築者」(Builders Without Borders)というNGOが立ち上げられ、基本的人権にかかわる人間の住居提供に向けて、土嚢をはじめ自然の建築素材による住居モデル作成のワークショップを実践し、技術普及の活動を始めている。これら NGOとタイアップして、アフガン難民村で、人間が立つ大地の土を原料に、安価で風土・気候に適した、工法も易しいシェルターのモデル建築が、難民の人たちと協働で実現出来ないかと考えている。
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by inoueakio | 2001-01-03 12:18 | 巻頭言集
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