2000年巻頭言7~12月号
2000年7月
「甘露台」事情の共時性

 いまを去る20年ほど前、憩いの家の胸部外科医であったK・レシャード君のたっての依頼で、アフガン難民救済有志会を発足させた。ぺシャワールから3名の戦うアフガン難民・ゲリラ幹部3名を日本に迎えて、彼らと共に難民援助活動に励んでいた頃のはなしである。私たちは協力を求めて、日本船舶振興会(現日本財団)の笹川良一会長を訪れた。そのときのことである。笹川会長が話のあいまに突然、「井上さん。天理教に甘露台という神さんあるやろ」と問うた。「うーん、甘露台が神さんというわけではありませんが」と、その説明に入ろうとする私の発言をさえぎって、「あれは、わしの30台の時やったか、それを本部に返しに行ったら、そんなもんは神さんではないと言われた」と続けた。もちろんそれとは、明治15年官憲によって没収された、2段の石の甘露台のことである。アフガン和平と難民救済を訴える中で、人類創造の象徴である「甘露台」という言葉が突然とんで出てきた「共時性」(シンクロニシティー)に驚いたことを想い出した。
 6月26日祭典中、「しんのはしら」である甘露台を、侵入者が抱きつき倒すという事情が発生した。事件は明治15年とはその動機が異なる。反教者が起こした事でもないらしい。教史上「いままでにない事」である。親神は”「いままでにない事」ばかりゆいかけて よろずたすけのつとめおしえる”と「元の理」の委細を説き聞かされた。同様に「いままでにない事」として現れた、このたびの神の「かやし」の「共時性」を理解するためには、私たちの「いままでにある」レベルのさんげや心定めの繰り返しでは、「いままでにない事」として現れた神意のスケールに、照応していないということに気がつかねばならない。甘露台に象徴される「つとめ」の意義は、信仰の普遍的救済のメッセージにある。しかし、信仰の「内面化」に力点がかかりすぎると、その普遍性は遠のいてゆく。普遍的な救済のメッセージを狭め「個別化」することは、信仰の「独自性」を築き上げるが、一方その「個別化」の傾向は、より内部志向を強め「合理化」への反動を生む。
 信仰の「内面化」は、精神的成長にとって大切だが、注意すべきはその「内面化」が「呪術化」する危険を持つことであろう。つまり、時として排他的で、内輪の者にしか真実が「解らない」形での社会から断絶した信仰となる(青木保)。新新宗教にときとして見られる傾向である。文化としての宗教は、その独自性によってアイデンティティを保持するのであるが、世界宗教は、その個別性の中で、普遍という世界を包摂し、異質文化の多様な領域や時代にも通じていなければならない。集団、個人にかかわらず、信仰者の意識において、この個別と普遍の調和が欠けたときに、「元の理」の原理にそって神の手引きとして身上・事情が、個人にも社会にも、自然にも現れる。
 ローカルとグローバル、個と全体という相照応する二つを一つにつなげる「グローカル」な発想と実践が、節を乗り切るには大切だ。このたびの甘露台事情は、このグローカリティの概念を「元の理」を掘り切ることによって、さらに展開せよという親神のメッセージとして受け取りたい。においがけ・おたすけは、広報・宣伝や慈善・治癒といったものではない。「元の理」の意味が分からなければ、布教も求道も方向性を失うのである。教学の再生・振興が切に求められる。

2000年8月
世界語としての日本語を考える

 日本人は過去千年間、漢字という化け物に悩まされてきた。IT(情報技術)革命の時代に、外国と対等に渡り合うためには、漢字かなまじりの日本語では太刀打ちできない。ローマ字なら対等に勝負ができる。このように本年の6月17日、天理で開催されたおやさと研究所主催の「言語と文明─世界語としての日本語を考える」という講演会で、文化勲章受賞者・梅棹忠夫は主張した。

 急激な情報量の増加と経済のグローバル化は、いまのところ英語を世界の共通語としてすすめられている。英語が分らなければ、経済や科学・技術においても世界からとり残される。そこで、日本にも英語第二公用語論がでてきた。英語を学ぶ時間があるなら、正しい日本語をもっと勉強すべきで、英語はスペシャリストに任せておけばよいという意見もある。

 言語と文化は不可分という常識がある。伝統的にはそうであろう。それに対して、外国人の日本語学習者は、世界で多く見て400万人であるが、その数がいっこうに増えないのは、第一に漢字を使うからであり、第二に日本語には敬語や、人称などをめぐって、実にむずかしい多様な表現があるからであるといわれる。そこで、日本語を国際語として普及するために、外国人のために新しい文法を考案することが大切であると、国立国語研究所は「簡約日本語」なるものを人工的につくり出した。その中身を示すと、たとえば『北風と太陽』の話は、「まず北の風が強く吹き始めました。しかし北の風が強く吹きますと吹きます程、旅行をします人は、上に着ますものを強く体につけました。とうとう北の風は彼から上に着ますものを脱ぎさせますことをやめませんとなりませんでした。」となる。

 こういった表現が「簡約日本語」の初段階で、五段階を経て正常な日本語に辿り着くように工夫されているという。そこまでして日本語を「国際化」する必要はないという猛反対がいっせいに巻き起こった。筆者は「簡約日本語」なるものの中身には賛成しかねるが、日本語を外国人に学びやすくしようとすることには大賛成である。しかし、日本語の普遍化を可能にするその中身は、ローマ字化の方向が理想的であると考える。

 現・未来の日本文明を運転してゆく装置としての日本語、特に経済、政治、科学・技術上の受・発信においては、たとえそれが「おぞましい」日本語であっても、許容されるべきであろう。日本語は世界の言語のなかでも、動詞の変化ひとつをとってみても、きわめて論理的で、文法的にも簡潔にできている。つまり、普遍性ある世界語としての値うちをもっている。問題は表記法なのである。

 日本の大企業は、社内において海外との通信や取り引きを、コンピューターでわざわざローマ字から漢字に変換する労力を省いて、ローマ字で通信しているところが多い。ローマ字化は書き手に同音意義語を使わないという意識を生むので、聞き手にとっても分かりやすいという利点を生む。学生時代から講義ノートをローマ字で書き、盲目になるまで日記をローマ字で書いてきた梅棹は、分かち書きさえしっかりしておれば、分かりやすさは慣れの問題であるという。日本人が長らく親しんだ和服から、機能的な洋服に着変えて、洋服を着こなしているように、漢字からローマ字に移行することも同じことですという、梅棹のアナロジーには説得力があった。

2000年9月
天理大学雅楽部・「敦煌」演奏の歴史的意義

 天理大学雅楽部が、蔵経堂発見敦煌学誕生百年記念国際学術会議に、主催者敦煌学研究院の招請にこたえて、7月30日世界遺産として知られる「中国・敦煌の莫高窟」の正面において、200数十名の学者の前で、傾盃楽、催馬楽、蘇莫者などの雅楽を披露した。特に傾盃楽急の演奏は、現在の中国にはすでにない、莫高窟で発見された1000年前の敦煌琵琶譜にある同名の曲を演奏したもので、その歴史的意義はきわめて大きいと思われる。
 莫高窟には、現在528の石窟が確認され、その壁画の総面積は約5万平方メートルで、石像は約3千体に及ぶといわれる。320窟の舞楽図や429窟などの飛天に見られるように、その楽器の形態や演奏のスタイルは、日本の雅楽の源流であることを十分に物語っている。また敦煌のシンボルでもある、琵琶を背中に回してからだを捻り弾ずる天女の「反弾琵琶」舞の図は、濃艶でもあり、ロック・ミュージックのギタリストを遙かに凌いでいるように見えて、1000年の時の隔たりを全く感じさせない。
 敦煌は、中国側の西域との交通の要衝、シルクロードの出入り口にあたるオアシス都市であった。4世紀から14世紀にかけて仏教文化が栄えたが、16世紀以降はさびれ、1900年にその莫高窟から5万点あまりの古文書や絵巻が発見されたのが契機となって、「敦煌学」が起こった。雅楽の譜面は、正倉院でもその古譜が発見されており、フランス人ペリオが持ち帰った敦煌文書にある楽譜が、最近この日本の雅楽の琵琶譜をもとにして解読されたことは、専門家のなかではよく知られている。

 天理大学雅楽部は、今回それを莫高窟の前で劇的に演じて見せた。千年前の旋律をその場所で復元したことの意義は、シルクロード文化交流史のなかでも特筆されるべきであろう。天理教の本部・ぢばは、日本最古の道として知られる山の辺の道にそって、北には平城京を、そして南には藤原京を見るやまと盆地の東方の中心部に位置している。山の辺の道は仏教文化が東漸したシルクロードの終着点であるが、つぎつぎと発掘される遺跡や遺物は、その真実を如実に証明している。
 シルクロードは絹の道であるばかりでなく、経済・情報・文化の道であり、ホースロードでもあった。神殿の東礼拝場の東方階段付近から最近発掘された数多くの馬の歯は、ホースロードと山の辺の道が繋がっていたと考える考古学者もいる。シルクロードは巡礼の道でもあったし、さまざまな競技が伝えられたスポーツロードでもあった。
 ところで、遺伝子の情報列の進化が生物の脳を発達させ、その結果人間の心が生まれ、その心がさまざまな自然環境のなかで、多種多様な文化を育てたとすれば、シルクロードは文化遺伝子の情報列として見立てられる。このように考えると、シルクロードが運んだ多種多様な文化「種」の着床地点は、「苗床」・母胎としてのやまと盆地であるというイメージが浮かぶ。さらに言えば、この歴史・文化的事実と、着床地点に見立てられる聖地ぢばのもつ宗教的意味は、重なりあうこととなる。つまり、「裏守護」と見立てられる異文化や他宗教は、天理教の教えと断絶しているのではなく、繋がっているというわけだ。このような次第で、シルクロードに籠められた教学的意味は、きわめて大きいと言わねばならない。その掘り起こしが求められる。

2000年10月
宗教とスポーツ

 シドニーオリンピック競技大会が終わった。柔道では天理大学出身の野村忠宏選手が金メダル、篠原信一選手が銀メダル、そして細川伸二全日本柔道コーチが天理大学の教員であり、また銀メダルを獲得したシンクロナイズドスイミングの井村雅代ヘッドコーチも天理大学出身であることを考えると、天理大学出身のアスリートたちの活躍はすばらしかった。天理大学の体育学部は、校名発揚に今回もおおいに貢献した。
 スポーツは強いにこしたことはないが、肉体の耐えざる訓練を通して、精神にその成果が結果として反映されなければ、意味はない。より速く、より高く、より強くのオリンピックモットーも、あくなき人間の肉体の限界を超えようとする意味だけでは、単に動物のもつ力への限りない挑戦ということになる。オリンピックが単なる肉体の限界に挑戦する祭典であるなら、それを見ている動物たちは、人間のスピードのなさ、脆弱さを見てあざけり笑うであろう。
 もともとオリンピック競技は、ギリシャの最高神ゼウスに捧げられたスポーツ祭典であった。つまり宗教儀式の一部としてあったのである。そして、またオリンピック運動は平和運動であった。その故に、競技が始まると戦争は少なくとも競技開催中は休戦となった。相撲も考古学者によれば、葬祭という宗教儀式に深く関係している。また、聖フランシスコ・ザビエルは、あらゆる運動競技にひいで、特にピロタという球技に熱中するあまり、その右手はひどく変形していたと言われる。のちにザビエルは、スポーツ万能を恥じ、みずからの手首、手足を荒縄で縛り付けて肉体を痛めつけながら、精神の世界を磨いていったと言われている。
 当時のキリスト教会においては、肉体は精神と比較して、罪の原点であり、それを否定することが魂を磨き上げることに繋がると考えられていたのである。肉体を神のものとする天理教の教えとは対照的である。しかし、資本主義が発達し、近代化とともにスポーツが労働者や市民に広く親しまれるようになって、キリスト教会も肉体の鍛錬は、精神にとっても大切であると認めるようになった。
 クーベルタンは、当時のフランス人青年のひ弱さに比べて、イギリスのラクビー校の青年たちの強健さに触発され、オリンピック競技の復活を思いついたのである。そしてスポーツを教育に取り入れようともした。オランダの歴史学者ホイジンハは、人間をホモ・ルーデンスと規定した。つまり遊ぶ存在というわけだ。そして人間の文化は「遊びの中で、遊びとして、発生し展開してきた」と論じた。そして遊びから生まれたスポーツは、いまや巨大な文化装置として、世界の経済や政治に影響を与えるまでになったのである。遊びは聖なるものに通じる。同じように、スポーツの極限における崇高さはまさに宗教的とも言える。その熱意、協調力、忠実性、集中力、自制心、誠実性、いやしの力、祈りといった要素は、スポーツにも宗教にも共通している。しかし、スポーツは仕事としても成立するし、単なる暇つぶしとしても存在している。「陽気遊び」を神の人間創造の目的とする教理を通して、スポーツのその周辺領域がどのように見えてくるかという視点から、天理スポーツギャラリー展の期間中にシンポジウムの開催を考えてみた。

2000年11月
人間・生命と地球の共進化と「元の理」
 生命と地球の共進化を証明するために、全地球史解読プログラムという学際的研究のシンポジウム報告が月刊『地球』(1995/7)の特集で紹介されている。太古代における岩石や化石の系統的分析をもとに、地球システム全体の変動進化史と、それをもたらした地球多圏の相互作用の解読を通して、岐阜大学の川上紳一助教授らは、生命と地球の表層環境とが共進化してきたとの認識を得るに至ったという。

 この生命と地球の共進化という地球史の先端科学的解読は、人間の成長と自然環境の変化が相照応していることを示す「元の理」のはなしと類似している点できわめて興味深い。だからといって、勿論、この生命と地球の共進化仮説をもって、「元の理」の正当性を主張しようとするも
のではない。

 しかし、20世紀の人類の先端科学技術による新しい発見と知恵は、「元の理」の説く真実の世界に確実に接近しているように思われる。ミクロの領域に籠もる、DNAの整然とした二本のベルトの並びを、拡大して目の前に突きつけられると、それはとても偶然の産物とは考えられない。「元の理」を知るものであれば、夫婦のひながたとなった「ぎ」と「み」を即座に連想するであろうし、無数の「どじょう」は、地下、地上、海水、大気圏での生き物を支える微生物を連想させる。

 ふつう一人の人間に共生する微生物は、1.5キログラムといわれるが、微生物を一枚の10円銅貨の厚さに見立てると、その積み上げた高さは2兆光年の長さとなり、宇宙からはみ出てしまう。「元の理」の「たくさん」ということばで示される無数とは、究極のところこういうことなのである。

 さらに「元の理」においては、この世の始まりは泥の海であったとある。泥海を混沌(カオス)と解せば、そのカオスから、虫鳥畜類に、そして人間へと、自然を取り持つ秩序(コスモス)が、親神の守護のもとに順序を通して現れる。この宇宙も混沌と秩序のバランスと進化の上に成り立っている。

 マクロの宇宙もミクロの人間の脳も同じである。松下正明東京大学医学部教授によれば、人間というのは、脳のなかにある混沌の世界なしには存在し得ないという。喜怒哀楽の感情、おそれや怒りなどの情動、敵に対する防御反応や呼吸・循環・消化・血圧などの自律神経機能、さらには摂食、体温維持、性行動などに加えて、これらの機能が果たされるために必要な記憶などは、内臓脳と呼ばれる大脳辺縁系の混沌が取り持つ、種族保存のための必須のはたらきであるとされる。

 人間の心、つまり、知性、判断、言語、認知などの機能は、コスモスとしての脳の新皮質の役割であるが、それに対して、中間・原始・古皮質を形成するのが大脳辺縁系である。つまり、知識(コスモス)の前提である、生命を維持する機能は、混沌(カオス)をなす大脳辺縁系によって支えられている。神のからだとしての人間の身体・かしものが、DNAのコスモスと脳のカオスに支えられている事実は、驚嘆にあたいするが、神から与えられた人間の心が、カオスを元にして知識を積み重ね、知恵を創りあげ、調和あるコスモスの世界に至るということは、これまた、一人ひとりが因縁というカオスを元にして成人することに似て、ここにおいても、人間の心の進化と生命・地球の共進化は、その原型において相照応していることに気づくのである。そこには驚くべき共時性が見られる。

2000年12月
「漢字御廃止之議」とおふでさき
 歴史的に日本語は、中国から漢字を取り入れることによって、かきことばを獲得した。しかし、日本語の歴史は漢字からの独立の歴史であった。それは日本語独特の音節文字である仮名文字の開発にはじまっている。
 江戸中期の儒学者であり、政治家でもあった新井白石(1657-1725)などは、西洋人にはなしをきいたら「その字母わずか33字」であって、これが「天下の音として、うつすべからずというもの」がないと感嘆している。
 江戸中期の国学者・賀茂真淵(1697-1769)も、同じように「天竺では、50字もて5千余巻の仏の書を書伝え」といい、わずか25字でなり立っているオランダ語にも注目して、漢字を中心にした日本語の表記法の複雑さにおおきな疑問をなげかけている。
 さらに下って、慶応2年の12月には、日本に郵便制度を導入したことで知られる前島密が、「仮名を一国の国字とし、文法を定むべし」と徳川慶喜将軍に「漢字御廃止之議」を提出している。その実践例として「まいにちひらかなしんぶん」のような全文ひらがなで書かれた新聞もあらわれたらしい。
 つづいて明治6年には、哲学者・西周(1829-97)が「洋字を以て国語を書するの論」をかき、最初のローマ字論者といわれた。また福沢諭吉は同じ年に「文字之教」のなかで、漢字全廃論をとなえ、明治12年には「羅馬字会」が発足している。
 その後、井上馨、西園寺公望、大隈重信、鶴見祐輔など、そうそうたる人たちによって「日本語を世界語と為す運動」を通して、ひらがな・ローマ字運動に政治色がいりこんで、日本語論があらたにおこった。一方、森有礼などは日本語を英語に、戦後志賀直哉は日本語をフランス語にせよと主張したり、日本語をめぐっての議論は、日本が歴史的な危機をむかえるにあたって、くりかえされてきた。このあたりの消息については、加藤秀俊の「日本語の敗北」(『中央公論』平成12年4月号)にくわしい。
 こういった歴史のながれをふまえて、日本がIT(情報技術)時代を生きぬくためには、日本語の将来はどうあるべきかという文明論からみた主張と提言を、日本ローマ字会の会長である梅棹忠夫先生にお聞きしたのを本誌に特別掲載した。しかし、筆者がここで注目したいのは、天理教祖がつとめの第一節を教えられたのは、前島の「漢字御廃止之議」の数ヶ月まえであるということと、仮名でかかれたおふでさきが明治2年にはじまっているという史実である。

 つまり、脱漢字という歴史的共時性が世上を鏡としてここにおいてもみられる。おふでさきが仮名文字でかかれているのは、単によみやすいというだけでなく、もっとその理由の根本は言語的なところにあるように思われる。
 やまとことばのもつ意味は、しばしば重層的である。翻訳者はその訳語の選択になやまされる。たとえば、「やさしい」というやまとことばは、漢字や英語にすると、すくなくとも「優しい」「kind」と、「易しい」「easy」の2つの意味をもっている。それは易しく表現することは、筆者の読者にたいする優しさにほかならず、両語のもつ意味はその底辺においてつながっていて、矛盾してはいない。やまとことばは、それを一つのことばであらわすということばのひろがりをもっている。従って、音声にもとづくやまとことばの表現は、必然的に脱漢字的にならざるを得ない。
 やまとことばは論理より詩的表現に向いた言語であり、宗教的真実は本質的に論理より、詩的感性を通して伝わりやすい。だからといって、おふでさきに論理性がないということではない。全体を通して構造的に確たる原理原則の上にたっている。つまり、おふでさきは一首一首個別的には詩的であり、総体的には論理的であるという二つ一つの調和の上になりたっているのである。もちろん漢文も英文も、さまざまな言語独自の詩的表現のかたちをもつが、それは所詮かたちであって、ことばそれ自身ではない。
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# by inoueakio | 2001-01-01 00:00 | 巻頭言集