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2008巻頭言7月~12月号
2008年7月
「元気なアフリカ」と「苦悩するアフリカ

横浜市で開かれていた第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)が5月30日に閉幕した。首相は「元気なアフリカ」を目指す挑戦は始まったばかりで、政府は最大限の努力をすると訴えた。51カ国の首脳クラスが参加した「横浜宣言」の骨子は、開発、人間の安全保障、平和の定着、気候変動、パートナーシップからなる。その行動計画目的達成のために、政府はアフリカ向け政府開発援助(ODA)を5年間で25億ドルに倍増させると宣言した。首相は「日本の外交史上、類を見ない大規模な国際会議となった」今回のTICADの成果を、7月の洞爺湖G8サミットの議論に反映させると語った。この巻頭言が出る頃は、山積するさまざまな地球規模の問題解決にむけて、世界のアフリカ支援のあり方についてG8サミット主催国としての日本の国際的リーダーシップが問われる言説がジャーナリズムを賑わしているだろう。
TICAD IVのスローガンは「元気なアフリカ」(Vibrant Africa)であったが、筆者はこの言葉に主催者のごまかしを感じている。「苦悩するアフリカ」の現実から国民の目をそらせてはならない。「元気なアフリカ」は、アフリカ数カ国の経済成長率を表向きにした政治的なニュアンスの響きをもつ。たとえば、驚くべき経済的成長を成し遂げた資源大国アンゴラなどは、石油ビジネスで一部の人間が巨大な富を獲得しているだけであって、国民はその恩恵を何もうけていない。物価は5年で4倍に上昇し、国家としてのガバナンスが欠落している。「元気なアフリカ」という言葉には、腐敗した政府、搾取の構造、民族対立、貧困、エイズといった世界的問題が、集中的にアフリカにおいて存続しているという現実から目をそらせる危険がある。
2005年にアフリカ支援国によって採択された「パリ宣言」の趣旨は、アフリカ諸国独立後の過去半世紀にわたる援助の完全な失敗を認め、そこからいかに新たな方策を創出していくかという点にあった。この点に関してTICAD開催に先立つ5月14日に外務省が日本の主たるNGO代表との話し合いを初めて行った。筆者も出席したが、議論は「パリ宣言」の分析と説明レベルに終わり、経団連や政府レベルのアフリカ貧困支援のあり方に対するNGOからの貴重な具体的経験が活かせる機会とはならなかった。主催者横浜市も、市民へのアフリカ紹介、アフリカからのお客さんのおもてなし、一駅一国紹介といったイベントに象徴されるお祭り騒ぎ意識のレベルであった。 TICAD IVを開港150年記念直前の絶好の機会と捉えて、横浜市が独自のアフリカ開発プロジェクトを地域から立ち上げるという歴史的気迫は見られなかった。洞爺湖も同じレベルに終わるであろう。我が国においては、官と民、中央と地方が実質においてかみ合っていないのである。
アフリカ各国の首脳らが異口同音に求めたのは、貿易と投資の拡大で「アフリカの将来を支えるのは貿易であり、援助ではない」という点にあった。ある国の大統領は、イギリスは我が国より1ドルで買ったコーヒーを自国において14ドルで売っている。このことは、逆に我が国がイギリスに13ドルの援助をしていることになると皮肉ったのが印象的であった。東アフリカ共同体の貧困緩和自立支援の立ち上げにかかわった筆者としては、中国の資源外交に対抗する支援の名前に隠れた経済進出も重要課題だが、その際はアフリカ関係の学術研究者やNGOの経験と知見をもっと重要視してほしいと思う。ちなみにTICAD IV直前に龍谷大学で開催された日本アフリカ学会第45回学術大会には600人余りの専門学者が集まり盛会であった。数多くの貴重な発表があったが、その学問的成果が我が国のアフリカ開発会議にどのように反映されているのかは大いに疑問である。産官学民の合力があって、はじめて世界と国民が納得できる平和への政策形成ができると信じるからである。宗教者のアフリカにおける支援の役割についても考えさせられた。洞爺湖G8サミットに向けて開かれるG8世界宗教指導者サミットの成果が期待される。

2008年8月
東アフリカ共同体(EAC)と天理大学

東アフリカ共同体(EAC)の貧困緩和自立支援プロジェクトの中核をなす、高等教育交流のためのグローバルな「奨学資金制度の確立」への要請資料は、本年5月に開催されたTICAD IV(第4回アフリカ開発会議)において各国参加者に配布され、横浜の国際会議場ではパネル展示がなされた。この東アフリカ・プロジェクトは、9.11米国同時多発テロ後、天理大学の国際プロジェクトとしてインド・ジャムナガールやまたアフガニスタンへの頻繁な筆者の訪問に触発され、慎重な議論を経てEAC大使間との合意のもとに提案されたものである。
大地震と止むことのない戦争の苦しみに直面していたこれらの地域を訪問するまえから、筆者は環境汚染修復に有効とされる「バイオレメディエーション技術」と、イラン系アメリカ人であるナーダ・カリーリがカリフォルニアのヘスペリア砂漠で主宰する「自然建築」や、ネバダの砂漠で600年計画の生態建築論に基づいたパウロ・ソレリの建築様式に強い関心を持っていた。カリーリは、イスラムの神秘主義者として著名なスーフィーのルーミーを信奉する詩人でもあったが、彼は数多くのデザイン性豊かな土嚢ドームを完成して、惜しくも本年亡くなった。思い出せば、彼が紹介したイラン系のスイス人であるナシリーン・アジミ女史とニューヨークの国連で出会ったのが契機となって、広島において国連訓練調査研究所(ユニタール)の設立を見たのである。早速私たちは、活動の一環として、戦争で荒廃したアフガニスタンを復興させる人材能力開発のために、現地の若い人たちを広島に招請するという「アフガン・フェローシップ・プログラム」を始動した。天理大学にも来訪した彼らアフガニスタン人は、天理エコモデル・デザイニングセンターの土嚢ドーム群の中心に、祖国復興を祈って、30年後に発掘するメッセージをタイムカプセルに埋め込んだ。その話を聞いて、「アフガン零年」でカンヌ賞を受賞したアフガニスタンの映画監督シディック・バルマックも天理大学にやってきた。
2006年の夏、筆者はケニアへ初の視察旅行を行った。現地では、天理大学の卒業生たちが、エイズや戦争孤児を支援するNGOを設立しているだけでなく、貧しい人々とともに農作業や建設事業にも従事していた。また、彼らからの紹介によって筆者はンクンバ大学から依頼され「シンクロニシティー(共時性)の不思議—アフガン絨毯と日本刀」と題した公開講演を行い、その後の交流を通して多くのことを学んだ。
東アフリカ諸国の気候と自然環境は、インドとアフガニスタンとは大きく異なるものだったが、世界の豊かな国々と比べて、これらの国々における非常な極貧状況に、同じように強烈な衝撃を受けた。そのとき、アフリカ大陸の貧困を取り巻く歴史的、現実的な疑問が頭に浮かび、先進国のアフリカ開発支援のあり方を研究することとなった。このような次第で、TICAD IVやG8世界宗教指導者サミットへの関与は、もはや天から自分に投げかけられた義務と考えるようになったのである。
TICADや洞爺湖G8サミットは政府間の会議であり、民間が草の根で支援する現場のNGO活動とは一線を引いている。アフリカ学会も学問は政治に関与しないという原則からか、盛んにフィールドワークによる報告は行うが、国際支援は斯くあるべきだという政府支援への批判などはほとんど行わない。つまり調査や研究そのものが、悲惨な現実を改善しようとする強力な意思に支えられた活学になっていない。逆に、アフリカ学者は、アフリカ研究によって職を得ているという意味では、アフリカに助けられているという奇妙な関係になっている。
天理大学第2回東アフリカ調査活動隊は、8月にビクトリア湖畔にEACと共同してエコビレッジモデルの建設を開始する。つまり「天理活学」を通し、アフリカの貧困緩和自立支援にむけて、大学の建学の精神につながる「他者への献身」を実践するものである。その活動によって救われるのは、実は私たちであるという信念のもとに。

2008年9月
FRP船から木船へ─ビクトリア湖「船遊び」事始め

FRP船とはfibered-reinforced plastic(繊維で強化されたプラスティックス)船の略号で一般に樹脂でできた船舶を指して使われる言葉である。かつての船体は木船が中心を占めていたが、昭和40年代から軽快で長持ちのするFRP船が登場した。ところがいまこのFRP廃船が漁港の環境問題となっている。筆者は淡路島をはじめ数箇所の漁港や問題となっている河川を視察したが、中には河口に半分沈んだままのFRP製のボートやヨットなども見られた。漁師が高齢化し跡継ぎがいない場合、中古船をFRP漁船所有者が売りたいと希望しても、中古車のように買い手を見つけることはむずかしい。車両と違って船は陸送するのに手間もかかる。そこでそれまで使われてきた漁船が、港に係留され朽ち果てる姿が数多くみられるようになった。
5トン未満の、特に船外機をもちいるわが国の小型の漁船の大部分はFRP製である。FRP船は骨格と外皮とエンジンからなり、使用可能な船外機エンジンは東南アジアやアフリカなどの発展途上国に輸出され、小型漁船に利用されている。筆者が見たビクトリア湖の木製の漁船は手漕ぎもあるが、そのほとんどに日本製船外機の中古エンジンが取り付けられていた。ビクトリア湖には、まだ日本のようにFRPでつくられた漁船は見られない。違法漁業をとりしまる軽快な警備艇にFRP船らしきものを見たが、FRP船建造には経費が高くつくのか漁船のほとんどがいまだ昔とかわらぬ木船である。
ところで、FRP船の外皮の部分は廃棄物として処分されるが、これは廃プラスティックという産業廃棄物にあたる。したがって、その処分は廃棄法の規定に従わなければならない。廃船を漁港から別の場所に陸送し解体するには法的にも煩雑で手間がかかる。その分、漁船所有者に余計な負担がまわってくる。たとえば、北海道最北端に位置する礼文島の漁村などは、あと数年もすれば廃船の墓場になると憂慮されているという。漁船所有者はいまなら謝金をだすから使用中のFRP漁船をもらってほしい、その方が将来処分するより安くつくという。そこで筆者は、盛んに日本製中古車が発展途上国に輸出される実情に学んで、船外機つきのFRP中古漁船を内陸湖の多いアフリカ大陸に輸出し、貧困漁村の自立支援にリユースできないかと思いついた。苫小牧のコンテナ運輸が可能な港まで謝金で船外機エンジン付の小型漁船を陸送し、ブリッジを取り除けば帽子を重ねるようにFRP船5艘は40フィートのコンテナ一台に積み込めると計算した。ビクトリア湖までの内陸運送もふくめて、ウガンダ政府が運搬に関する費用を支払うというところまで交渉が進展した時点で、突如ケニアの大統領選挙後に騒動が勃発し、モンバサ港が閉鎖され、鉄道も破壊されて、この計画は頓挫してしまった。そこで、筆者はまずビクトリア湖に40フィートの伝統的木船を作ることに計画変更をしたのである。
ところがガソリンの異常な世界的値上がりが影響して、船造りより高価な船外機エンジンをつける余裕がほとんどなくなってしまった。そこでダウ船に学んで手漕ぎをかねた帆船の設計ができないかと考えなおした。しかし、ビクトリア湖にはダウ船使用の歴史がない。そこで帆船ホクレア号を再現し、ハワイから日本に航海したことのある旧知のハワイ大学の海洋人類学者ベン・フィニー教授に連絡をとり、帆船の歴史と造船の仕様に関する文献を入手し、今度は帆船の海洋史に首を突っ込むこととなった。
さまざまに夢は湖上を駆け巡るが、究極の貧困漁村の自立支援という「谷底せり上げ」を目指し、目下ビクトリア湖に「天理丸」を浮かべる「船遊び」の準備に入る次第となった。今回の訪問で、不思議にもビクトリア湖のエンテベの一寒村において、エイズや紛争で孤児になった数多くの子供たちに伝統的船造りの技術を誇りをもって伝承するウガンダの船大工に出会い、意気投合し、懸案のアフリカ国際プロジェクトに思わぬ加速度がついた。
「船遊び」とは申すまでもなく、『稿本天理教教祖伝逸話篇』168番の挿話に出てくる教祖のお言葉で、海外伝道を指すものと考える。

2008年10月
「鈍感力」と「狂気力」─妙好人と平賀源内

たしか10年ほどまえ、五木寛之の『他力』という本がベストセラーになったことがある。困難な今を生きる100のヒント、他力本願こそ生命力の真の核心などという言葉が本の帯に書かれていた。それからしばらくして出版された渡辺淳一の『鈍感力』などは、その奇抜な発想法において、今を生き抜く新しい知恵などといわれ、数ある「力」もの人生論のモデルとなりそうな評価まで得た。本屋を逍遥していて、最近この「力」というタイトルやサブタイトルを冠した新書の類や単行本がずらりと並んでいるのが目に入り驚いた。いわく「文化力」「共感力」「質問力」「実行力」「発見力」といった「刺激力」のないものから、「親力」「空腹力」「破天荒力」「一点集中力」「和力」「先読み力」「愛語の力」「大阪力」など中味が予想のつかない「力」ものや、中には手に取って数行目をとおしただけで「力」が抜け落ちて馬鹿らしくなるものもある。
そして、ついには本年5月下旬の刊行で、政治学者・姜尚中著の『悩む力』がたちまち数十万部のベストセラーとなっている。表紙には「悩みぬいて強くなる」と著者自身の顔写真に語らせている。いずれも編集者がベストセラーを狙って練りに練ったタイトルであろうが、ブームがつづく「品格」本をはじめ、読者を声高く叱咤するような調子のものが目立つ中、しかられ疲れた読者が、「悩んで生きよう」と声低く語りかける本書にこころひかれたのではないかという解説もある(6月18日付『日経新聞』夕刊)。世上を見れば、そのうち「殺人力」や「狂気力」などという恐ろしいタイトル本が出そうな気配である。
ミシェル・フーコーの大著『狂気の歴史』の序言の冒頭に「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみていることになるだろう」というパスカルのことばが引用されている。同感である。「狂」の文字の起源は「犬がめくらめっぽうにかけまわること」にあるといわれる。西行は「狂」への志なければ歌の心は体得できないと言い、知的浪人の芭蕉は、己の正気の沙汰をもて余し、ほとほと嫌気がさして、なんとか逸脱してやろうと努力をしたが「風狂」願望のまま死んでしまった。それに比べて一休は「狂」では完全に芭蕉を追い抜いている。「風狂の狂客狂風を起こす」の言葉どおり、「世法とはいかに」と問われて曰く「よの中はくふて糞してねて起きて、さてそののちは死ぬるばかりよ」。
狂気の横綱は、なんといっても平賀源内(1728〜1779)であろう。『放屁論』に述べて曰く、「人は小天地なれば、天地に雷あり、人に屁あり、陰陽相激するの声にして、時に発し、時に屁を放こそ、持まへなれ」。天理を朱子学で説明して、日常的放屁現象より「エレキテル」(摩擦起電機)発明の原理を導き出している。医学、蘭学に秀で、文学面でも戯曲、滑稽本などを通して、当時の社会や思想に鋭い批判を行った。持ちすぎた才能が世に迎えられぬ苛立ちから、貧民を苦しめる米屋と勘定奉行を殺傷し、牢獄で病死したとも、断食して死んだともいわれる。パスカル流に言えば、源内はまさに正気が過ぎた非常人ということになろうか。
寛政6年82歳で没した三州七三郎は、労苦の末、伐採した木材を盗まれたとき、盗人に謝礼をしたという。「日々前生に盗んだ報い辱し、こちらから返す道をしらなかったのにあちらから取りに来たと思えば礼を言うよりほかはない」。こういった人たちを「妙好人」といい、その天使のような心境と振る舞いは、いわゆる『妙好人伝』といわれる本の中に数多く語られている。妙好人の受動的天性と源内の非凡な能動的才能が合体した「狂気力」や「義憤力」を隠し持つ人材を、いま真の正義を求める世界は待望していると思うのだが。

2008年11月
アフリカ・新貧困緩和少額融資への期待

開発途上国向けの貧困緩和自立支援を目的としたムハンマド・ユヌス氏が、マイクロ・ファイナンス(少額融資)でひろく世界の貧困緩和に貢献しノーベル賞を受賞したのは有名である。グラミン銀行を代表とする無利子で融資をおこなうこのマイクロ・ファイナンスに対して、最近開発途上国の小企業家向けに実働しはじめたのが、専用ウェブサイトを立ち上げて運営をおこなうマイクロ・レンディング(少額貸付)という新たな注目すべきシステムである。後者は、とりわけ個人が貧困から抜け出し、より豊かな生活を求め、さらには小規模ビジネスの立ち上げに意欲をもつ人たちにむけて、低利子・無担保の条件での資金融資を行うと同時に、投資者にむけても利潤還元する点にその特徴がある。
アフリカ大陸の貧困緩和自立支援活動を目的として、ウェブサイトを媒体としたこの新たな投資・貸与活動がウガンダで昨年はじめて立ち上げられた。このマイクロ・レンディングサイトは、デンマーク政府援助機関ダニダが支援するデンマークの企業家によって設立され、MyC4と呼ばれる。本年9月、第2回天理大学東アフリカ貧困緩和自立支援調査・活動で再会した映像作家ロナルド・イサビリエ氏が、MyC4のウガンダパートナーとしてその代表者になっているのを知り、彼から綿密なヒアリングをおこなう機会をえた。わが国ではまだ知られていない、将来期待されるモデル・プロジェクトとして紹介しておきたい。
マイクロ・レンディングは通常の投資と比較するとその利益率は少ないが、その投資がもたらす貧困緩和への社会的付加価値は絶大であると思われる。ウガンダの国立統計局によると国民の「失業率」は3.5%であるが、若者の失業率は22%を超えているといわれる。しかし、実際は国民の労働人口の70%が変則的なビジネスに従事しているか、もともと職をもった経験がないから、公表された「失業率」の数字は信用できない。ヨーロッパの労働基準からみれば、ウガンダに限らずアフリカ大陸は単純ではあるが、なべて相当な潜在的労働力をもっていると見られる。ビジネスに対する専門的な知識と資本さえ与えれば、その巨大な潜在能力を開発することにより、国家の貧困緩和政策は、対政府間国際援助よりも、この草の根レベルの小企業化運動をとおして成功するのではないかと思われた。
MyC4は、ウガンダにおいて小資本融資事業部門であるCapital Micro Credit(CMC)と企業開発事業部門であるFederation for Entrepreneurship Development(FED)をパートナーとして活動をおこなっている。イサビリエ氏は、両部門の代表を兼任し、その活動振りがムセベニ大統領の写真入で現地の新聞で大きく取り上げられた。
融資支援を申し込んだ個人のビジネス案に評価が下されると、CMC/FEDはその企業提案をMyC4に送信する。MyC4はその企画案をウェブサイトに掲載し投資者を募る。最も金利の低い資金提供者が当案件の資金提供の権利を落札する。MyC4は現在74カ国から7,754人の投資家の実績を誇り、ウガンダでは99%の被融資者が利子の返還をおこなっている。投資者の受け取る利子の平均値は12.8%である。ウガンダでは銀行融資には26%、マイクロ・ファイナンスは35%の利子が課せられる。くわえて銀行は融資額200%の担保を要求する。貧困層にはとても手が出ない。そこへ無担保、低利子で融資が得られる新たな貧困緩和自立事業がインターネットを通して可能となった。融資を申し出る70%が女性であり、その個人零細企業の充実にむけた活動の成果は確実に草の根コミュニティー開発に貢献している。
MyC4の事業はケニア、タンザニアなどにも広がりを見せている。投資者にも利子が還元され、被融資者にも生活の向上が自助努力によって約束される新たなインターネット・ローンシステムは、グローバル化による21世紀の世界的貧困格差を解消するおおきな希望を提供する試みとして、注目していきたい。

2008年12月
人間の退屈と神の退屈

神は原初において一人で退屈したので、人間を創ることを思いついたという意味を持つ世界神話はさまざまにある。天理教の創造・救済神話である「元の理」もその例外ではない。『天理教教典』には、この世の初りは泥海であり、神は「この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」とある。退屈にもいろいろあるが、ラース・スヴェンセンは名著『退屈の小さな哲学』において、世界全体において退屈させられているときが気分であり、状況の退屈は感情であることが多く、実存の退屈はつねに気分と言えるだろうと洞察している。
神の子供である人間には、こころの自由は与えられているが、魂には「根本気分」としての「退屈」というものが神の遺伝子のごとくに込められていると考えられる。動物には人間にみられる退屈というものはない。人間は退屈から刺激や興奮をもとめて一時的に逃れることができても、永遠に「根本的退屈」からは逃避できない存在であると思われる。
ところで、『天理教教典』編纂の重要な素材となった「こふき話」の諸写本には「味気ない」という表現は見られない。たとえば、十六年本では泥海中に月日両神居たばかりでは神として敬うものもないし「何の楽しみもない」とある。そこで、なぜ「何の楽しみもない」という記述が「退屈」ではなく「味気ない」という表現になったかという問いが問われることとなる。その問いを追求する過程においては、たとえば、ハイデッガーが『形而上学の根本諸概念』において思索する人間存在の「深い退屈」への実存的な問いを援用することによって、「味気ない」という日本語が独自にもつ形而上学的味覚表現を媒体として、教理解釈に深みをもたらす可能性が予見される。
「おふでさき」には「退屈」ということばが1回見られる。「いまゝてハながいどふちふみちすがら よほどたいくつしたであろをな」と詠われる1号55番の一首である。つづいて「このたびハもふたしかなるまいりしよ みへてきたぞへとくしんをせよ」「これからハながいどふちふみちすがら といてきかするとくとしやんを」とある。一方、「おさしづ」においては「退屈」は10数件みられるが、「おふでさき」に示唆された過去、現在、未来を貫いた「元の理」の根本的意義につながる意味では使われていないように思われる。ところが、この「おふでさき」三首の「退屈」と「得心」と「思案」の順序は、気分と信心と思索、心理と宗教と哲学といった範疇とも重なり、現人間存在と天理教学における救済のキータ−ムともつながっている。
筆者は9月東アフリカから帰国後、強度のストレスと疲労から体調をくずし「気分障害」(mood disorder)と自己分析する一種の精神病的と思われる症状に陥った。アフリカの構造的な貧困現場における実体験と、わが日本の平和の中のばかさ加減の精神的落差に、コミュニケーションのことばを失った。複数の医師は精密検査の結果、肉体的原因は不明だと診断し、ただひたすら休養せよという。肉体的休養はメンタルな脳の沈澱した領域を活性化させる。肉体と精神の葛藤があらわになり、かくてある決定的な瞬間を契機に、脳梗塞で緊急入院することとなった。
この巻頭言は、退院の日に「根本的退屈」君との出会いの記念に記したものである。ラッセルは「退屈」の反対は快楽ではなくして、興奮であるという。そしてパスカルは、「人は何らかの障害とたたかうことを経て休息を求める。ところがそれらの障害をのりこえたならば休息は堪えがたいものとなる。『退屈』が生じるからである。『退屈』をのがれて動揺を乞い求めなければならない」と述べている(『パンセ』津田穣訳)。願わくばこの動揺が「退屈」から芽生えた陽気ぐらし共同体実現へのユートピア幻想につながることを祈っている。
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by inoueakio | 2008-07-01 11:04 | 巻頭言集