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2003巻頭言1~3月号
2003年1月
 「レンタルの思想」とかしもの・かりものの教理

限りなく富を追究して膨脹する人間圏と、それにともなう地球環境破壊の問題を解決するための考え方として、最近注目すべきものに「レンタルの思想」というのがある。レンタルとはレンタカーのレンタルであるから、「レンタルの思想」を一言で言えば「借りものの思想」ということになる。比較惑星学者・松井孝典東大大学院教授などが提唱する「地球学」の骨子をなす新しい考え方であるが、この先端科学が生み出した思想には、天理教独自の伝統的自然観と身体観に通底しているところがある。
人類は悠久の歴史の中で豊かになるということを追究して生きてきた。そして、豊かになることは人間にとって具体的に物を「所有」することを意味した。しかし、いまこの豊かさの意味が人間圏の危機の中で問われている。つまり、人間の物に対する「所有」欲が現在のスピードで増幅すれば、人口増加や生産消費の拡大率の異常さの中で、人類は後100年も存続し得ないであろうと言われる。つまり、物の「所有」いうことについて考え直すことが求められているのである。この物の「所有」に対するアンチテーゼとして、「借りもの」という思想が科学の領域から突如として飛び出してきた。
松井教授は、我々が生きていくにあたって必要としているのは物(製品)ではなくて、その物(製品)の「機能」だけであり、自分の「所有」と思っているからだも、実は物として地球から借りているに過ぎないと述べる。借りた物から各種の臓器がつくられ、その臓器の「機能」を使って私たちは生きているのだという。その「機能」を使うということが生きるためには重要なことであって、人間のからだそのものが物として意味があるのではない、死ねば地球に返るだけだとも述べる。
物それ自体が重要なのではなく、「機能」が重要だというこの地球学者の主張は、自然の「機能」や自然の一部である人間の身体の働きは、神の守護の配下にあり、人間のからだは神からのかしものかりものであるという教理に通じている。「レンタルの思想」が科学の領域の中で自ずと限界を見せるのは、その借りた物の貸された目的の欠落であり、その「機能」の目的に反する使い方を戒める具体的倫理や道徳の不在である。しかし、このあらたな思想のインパクトは宗教的にも強烈なものがある。
かえりみれば近代の自然科学は、二元論と要素還元主義から成り立っていた。前者は、人間が自然を認識する主体であり、自然は人間に認識される客体であるという考え方である。後者は、宇宙全体を理解するためには、それを構成している部分を組み合わせたものが全体であるという考え方である。しかし、量子力学の分野において、たとえば観測する主体の行為が、認識しようとする素粒子という客体に影響を及ぼしていることが分かり、主体と客体が分離しているという考え方の前提が崩れてしまった。また、認識された部分の足し算で物質の全体像が理解されるという考え方も破綻した。自然全体を理解するためには、その部分を単純に足し算すればよいとは認められない自然の複雑さがつぎつぎとわかってきたからである。そこから複雑系と名の付くさまざまな学問が誕生した。
そこで21世紀の科学においては、二元論と要素還元主義の限界をいかにして超えるかということが問題となってきた。その方法として松井教授は、注目すべき二つの議論を展開している。一つは、自然・宇宙の構成要素は、互いに関係をもってつながった一つの系であるとして全体を説明しようとするシステム論であり、もう一つは、自然は宇宙の歴史を記録した古文書であるという見方である。つまり、氏はわれわれは知的生命体として知の体系を創造しているのではなく、自然の中に書かれている「古文書」を読んでいるに過ぎないと主張する。この立場に立つと、知の体系が拡大し、自然がより総合的に解釈できるのは、自然を解読する道具が時代と共に効率よくなっているということに過ぎないということになる。この考え方は、自然を神の身体、道具を教理解釈という言葉に置きかえれば、限りなく天理教の教えに近い考え方であろう。自然を「古文書」として読むということは、神の身体である自然を成り立たせている機能と働きを解読するということに他ならないからである。また前者のシステム論は、個と全体をつなぐ「グローカル」な考え方とも言えるだろう。
教祖はひながたの道の初期において、徹底した施しや母屋の取りこぼちなどを通して、物の「所有」を否定されたように思われる。また、私たちが生きるために必要な物は神からの恵みであり、人間のからだは物の中でもその個人の魂に貸されたいのちの所在であり、からだの機能は魂に与えられた人間の心が使用する道具(陽気暮らしを目的とした)であると教えられた。松井教授の「レンタルの思想」は、一種の理神論を想起させるが、かつてそれが17、18世紀においてヨーロッパの啓蒙主義に強い影響を与えたように、21世紀の人類の欲望を制御できるあたらしい思想として広く受け入れられることを祈りたい。


2003年2月
スペースシャトル「コロンビア」の空中分解に思う─「宇宙地獄」と「地球極楽」─

1967年のこと。アポロ1号が秒読みの実験中、電気系統の故障で火災が起き、宇宙飛行士の3人が船内で焼死した。そのためにアポロ計画は一年延期された。しかし、この事故の徹底した糾明がなかったならば、その後の人類の月面着陸は不可能であったといわれる。つまり、焼死した宇宙飛行士は、アポロ計画成功のために人柱になったというわけだ。今回のスペースシャトル「コロンビア」の空中爆発は、進行中の国際宇宙ステーション建設にいかなる教訓を残すか。
1986年「チャレンジャー」が打ち上げ直後に空中分解を起こした。今回の「コロンビア」の空中爆発は、帰還直前の事故であった。いずれも宇宙飛行士の家族が空中分解の現場を見上げているだけにその悲惨さは増す。「チャレンジャー」の教訓が生かされていなかったというNASAへの風当たりは強い。その極めつけは、『タイム』誌2月10日号のNew Republicの編集者G. イースターブルックが鋭く迫った「スペースシャトルは中止せよ」(The Space Shuttle Must Be Stopped)という読み応えのある記事であろう。サブタイトルでは、スペースシャトルは非経済的で、時代遅れ、非現実的、そして今回再び学んだように命取りであると決めつけている。テキサス州で散乱した飛行士の遺体を目撃した子どもたちのショックは、『ヘラルド・トリビューン』紙2月5日の記事に生々しく描写されているが、読者に宇宙飛行における目をおおわせるような事故の無惨さを突き付けずにはおかない。
「未だ、宇宙で死んだ宇宙飛行士はいない」と立花隆氏は『宇宙からの帰還』で述べている。「ソ連では帰還時の地上激突死1人と窒息死3人を出しているが、窒息死は大気圏再突入時の事故である。大気圏はむろん宇宙ではなく、地球の一部である」というわけだ。しかし、これは何かの間違いであろう。旧ソ連宇宙飛行士3名の窒息死は、1971年6月、大気圏外の宇宙空間におけるソユーズ11号船内で起きた。3人の宇宙飛行士が搭乗したソユーズはサリュート1号宇宙船とドッキング。 23日間宇宙に滞在して科学実験を全て終了した後、帰還船ソユーズに乗り移り、母船サリュートと切り離すため逆推進ロケットを逆噴射した。 その直後、多分積み荷重量超過などが原因の衝撃で、キャビンのバルブが開き、宇宙船内の減圧と酸欠により45秒間で3人の宇宙飛行士は死亡した(The Soviet Cosmonaut Team)。ソユーズは死亡した3人の宇宙飛行士を乗せて遠隔操作で地球に帰還し、地上では厳粛な葬儀が行われた。
宇宙空間は真空である。たとえ酸素を持ち込んでも、それだけでは生きていけない。圧力がかからないと、酸素が肺胞膜を経て血液のなかに浸透していかないからである。地上の気圧とは、酸素や窒素などの空気の重さで生じる圧力のことである。大気圏の中では、絶対量は低下しているにしても高度1万メートルでも酸素は存在している。しかし、気圧の低下により、酸素が体内に吸収されないのである。地表の気圧は1013ヘクトパスカルである。それが48ヘクトパスカルまで下がると、人体の体温は沸騰点に達する。実に人体の7割は水分であるから、沸騰点に達するとそれがガス化して、全身から血液や蒸気が吹き出し、人体は風船玉のように膨れあがって崩壊、飛散する(津田幸雄『重力の思想』)。また、宇宙飛行士の土井隆雄はコズミックカレッジで、人間が普段着で宇宙に出ると、約20秒で干からびてミイラになると言っている。こういう現象が起こるのは、高度1万9千メートルからだ。気圧がなければ、酸素マスクをつけていても、人間は絶対に生存できないのである。大気・気圧は地球全生命のシェルターである。したがって、大気のない空間は、人間が沸騰する「宇宙地獄」であって、天国ではない。
数多くの宇宙飛行士は、無重量空間の生活も慣れてしまえば、実に快適であると表現している。しかし、宇宙船内は実は宇宙ではない。地球の「酸素」、「気圧」、「温度」といった地球環境を船内に持ち込んだ空間に過ぎないものである。快適なのは宇宙空間につくられた地球環境の方なのであった。宇宙に持参しなかったのは「地球の重力」だけである。アポロ12号で月面着地したアラン・ビーンは、筆者にその体験を語ってくれた。月面では全く何も動いていないし、何も聞こえない。月世界から太平洋に帰還・着水して一番うれしかったのは、水が動き、風が吹き、音が聞こえることであると言った。そのまさに当たり前の意味で、地球は人間にとって極楽である。宇宙空間や月それ自体は、人間にとっては実は地獄なのであって、地球圏外に脱出して、はじめて人間は本当にこの「地球極楽」を知ったのである。
「ここはこの世の極楽や」、「地と天とは実の親。それより出来た人間である」と教えられる。宇宙開発を可能にした先端科学技術は、シャトル計画の失敗を通しても、「この世」とは、「今生」を指すばかりでなく、宇宙の中での母なる惑星「地球」という場を指すことを教えてくれた。今回の事故も、あえて科学技術の失敗が宗教的真実の覚醒を促した一例であると前向きに解釈したい。

2003年3月   
「からだことば」と天理教用語

『文藝春秋』3月号が「日本語大切」という特集を組んでいる。堺屋太一は−「カタカナ外国語」は亡国の道−という一文を寄せ、外来語を日本語訳に出来ないこの国の現在の知的衰退力を憂う。また3月19日のNHKテレビニュースによれば、年間500語のカタカナ語が増え、政府各省庁の白書を国立国語研究所が調べたところ、5000語以上のカタカナ語が使われてたという。一方、立川昭二と養老孟司は−「からだことば」って何?−という文春の対談で、ことばからからだが抜け落ちていく事例を挙げながら、このままではからだは文化性を失い、ついには人間性を失った得体の知れないものになっていくのではないかと心配している。
先端科学技術や国際政治が次々と生み出すことばに日本語の翻訳が間に合わない。連日新聞の見出しにもカタカナ語が飛び交う。ことばは知的努力の集積であるから、日本語が衰えているとすれば、この国の知的努力が減退していることだ。実際、この20年ほどの間、ことばを操る知的作業者の努力不足は目を蔽いたくなるほどだと堺屋は嘆いている。同感である。
「からだことば」は、日本語からだんだんと消えつつある。立川は医学部の一般教養の講義で学生に「血」のつくことばを書かせたところ、「血液」「血管」「血圧」「血糖値」など医学用語ばかりで、「血縁」「血族」「血色」「血潮」といったことばが出てこないことをなげいている。つまり「血縁」ということばが浮かばないのは自分が、祖先、親、兄弟と血でつながっているという感覚が薄れてきている。せめて「血色」ということばぐらい挙げて欲しい。コンピュータの数値ばかりを気にして、患者の顔色を見ることを忘れる医者が出てこないかと心配だという。喜怒哀楽の表現も、たとえば最近は「腹が立つ」「断腸のおもい」という「からだことば」は消えて、「頭に来る」「ムカつく」「キレる」という感覚語が頻繁に使われるようになった。つまり、からだの実体がだんだん遠ざかり、最後に抽象的な薄っぺらい感覚だけが残ったというわけだ。このことは平行して「かりもの」であるからだの意味や、その働きの実体も遠ざかっているのではないかとも考えられる。
かつての教育には、からだにしみ込ませるような「身にしみる」感覚と体験が確かにあった。養老は、教養とは「鼻につく」ものでも、「頭につく」ものではなく「身につく」もんだと言い、また暮らしの中でからだの経験が消えると、ことばも失われるのではないかと言う。私たちの信仰生活のなかでも時代が変わると同じことが言えるのではないか。
筆者は最近、自分のからだを動かすはじめての経験を通して、「からだことば」の貴重な発見をした。昨年1年間を通しての日曜日は、殆ど神戸か天理でアースバッグによるシェルター建築に仲間と汗を流したのである。つまり、土に水とセメントを加えてシャベルで練りまぜる。数人で一緒に練ると「練り合う」ことになる。それを土嚢袋に入れて、建築現場まで「運ぶ」。運んだ土嚢を上からドン付きでしっかりと叩きつける。つぎつぎと土嚢の層を円形に「叩きあげ」「積み上げ」ていく。この誰でも出来る単純な肉体作業を繰り返し、約600の土嚢を積み上げ、叩き上げることによって、直径3m高さ5m近くのドームが一棟完成するのである。「叩き上げ」られたのは、実は、我が「身」であったことに気づいたのであった。
土をシャベルで「練る」には、腰を据え、力を込め、足下を見る。そして目的とする土嚢袋に煉り土を入れなければならない。気をそらすと土は土嚢袋からこぼれ落ちる。談じ合う「煉り合い」の進め方にもヒントを与えてくれる。また「理」「道」「心」「別席」などといった教語にも、「理を運ぶ」というように、土嚢を「運ぶ」という「からだことば」の動詞が使われている。「身」をもって「運ぶ」ことを体験するところから、「からだことば」の精神的意味が深まっていく。この「からだことば」の究極は、他宗教には見られない「かぐら」と「てをどり」であろう。これが勤められるとき、からだがことばになり、ことばがからだになる。からだとことばが合体し、二つ一つになり、それが交叉するところから不思議な意味がほとばしり出るのである。
教語には「からだことば」が数多く見られる。その極めつけはたとえば「身」ということばだろう。「身上」「身の内」「身の障り」「身に掛かる」「身が迫る」「身につく」などにみられる、「身」という「からだことば」は、単なる「身体」という生理的な次元を超えて、精神の領域にまでその意味を延ばしていると理解されねばならない。「身」は英語のbodyとは異なり、時として「身を入れる」というように心(mind)を指すときもある。したがって「身」の訳語は存在しない。そもそも大和ことばの「み」とは非常にひろい意味を持っていて、それは「実」であり「肉」であり「味」でもあったのである。
市川浩は『〈身〉の構造』の中で、「身」の透徹した解析を行い「〈身〉は、単なる身体でもなければ、精神でもなく−しかし時としてそれらに接近する−精神である身体、あるいは身体である精神としての『実存』を意味するのである」と述べ、「われわれが生きている〈人間的現実〉を指し示すことばとして、〈身〉以上に適当な用語はみいだしにくいように思われる」と言っている。されば「身の内」の障りにおける「身」の場合も、単に空間を占める一身体、一個人のやまいにとどまらず、神の手引きとしてその黙示的意味は限りなく広く、深遠であると言わねばならない。
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by inoueakio | 2003-01-04 16:32 | 巻頭言集
2003巻頭言4~6月号
2003年4月  
強い者は弱い、弱い者は強いで」─アフガン・イラク戦争に思う─

イラク攻撃が始まった3月20日の翌日は、アフガニスタンやパキスタンなど四季のあるイスラーム圏では新年を祝う。米国は大晦日から正月にかけて、イラク侵攻を開始したわけだ。そのとき筆者はカブールにいた。 
正月2日目にあたる3月21日、カブールでは実に5年ぶりに雨らしい雨が降った。市中を走る車の大半が日本製の中古車である。車の排気ガスのすごさはいつもと変わりないが、ほこりまみれの樹木は久しぶりにシャワーで洗われ生き返ったように見えた。大地は雨のおかげで砂埃を巻きあげず、快晴で実に清々しい日であった。驚喜したのは水不足に悩む農民たちであったろう。「りゆうけつくれば水がほしかろ」(ふ13-101)というお言葉が胸に迫った。対照的に、筆者が宿泊した報道陣に人気のあるムスタファ・ホテルで放映されている、アルジャジーラをはじめとする国際テレビ番組は、イラクの砂漠を猛烈に吹き荒れる砂あらしに苦闘する米軍の様子を報道していた。
アフガニスタンに平和が訪れているわけではない。逆に、イラク戦争を契機にして民間外国人も標的にしたタリバンによるゲリラ戦が活発化している。特に南部と東南部ではテロ活動が増えているが、3月27日には中部のウルズガン州ではタリバンとアメリカ特殊部隊が戦闘を行い、赤十字国際委員会の職員が射殺されている。国際テロ組織アル・カーイダは、イスラム原理主義者のホームページで「アメリカはアフガンでの失敗の代わりにイラク戦争を始めた。国際治安支援部隊(ISAF)はタリバンとアル・カイーダの剣にまみえることになろう」と警告している。ISAFとは首都カブールの治安を守る軍隊のことである。米軍が圧倒的な武力でバグダッドを物理的に占拠し、一時勝利宣言を行っても、試練は終わったのではなく、本当の試練はこれから始まるだろう。さまざまな意味を込めて「強い者は弱い、弱い者は強いで」(さ20/12/4)という神言が思い出される。
今回のアフガニスタン訪問は、おやさと研究所の自然・人間環境学研究室が中心となって推進している、天理エコモデル・デザイニングセンターのアースバッグ・シェルター、そしてチェックダムや井戸掘りなどといった住居・水資源確保の試みが、天理大学地域文化研究センターの「国際参加」プロジェクトを通して、アフガニスタン難民村でも適応できないかという可能性を調査するためであった。世界から数多くのNGOがさまざまな領域で恵まれない人たちのために汗を流している。その人たちとの協働も視野に入れている。
3月7日から2週間、天理大学の学生8名(内女性5名)他教員3名と造園家など4名のスタッフを加えた計15名がインドに赴き、昨年建設した土嚢シェルターの横に、現地のNGOの人たちと新たに少し大きめのシェルター1棟を完成した。隣接する村の質素な小学校の図書館として利用される予定である。第1回隊がつくったシェルター2棟の横に、造園家グループはインドではめずらしい日本庭園を造った。このアンキット村で2001年の夏に植えた竹はすでに背高く茂っており、今回持参した孟宗などの5種類の竹は石庭とシェルター2棟の中間に植樹した。将来が楽しみである。繁殖すれば、これらの竹は建材や家具の素材としても利活用され、筍は食料となる。
灼熱のデリーを3月17日にアリアン・アフガン航空で発ち、冬のカブールに向かった。予定どおりに到着したのはありがたかったが、冬着と竹の根を梱包したトランクが出てこない。震えながら準難民になったつもりで、旧知のマンガール・フセイン大臣のところに行きたすけを求めた。早速秘書にバザールに案内してもらい、冬物を手に入れた。2米ドルで購入した長ズボン代わりの古着のトレパンには、日本語で学生の名前が縫われていていた。荷物は1週間後、デリーへ出発直前カブール空港で出てきたので、あわててトランクを開け、竹の根っこの包みを見送りの英語の分かるカブール大学生シャフィーク君に渡して、先に面談しキャンパス植樹の了解を得ていたA・ポパール学長に届けてもらうことを約束、一安心して機上の人となった。離陸は7時間も遅れどうなることかと心配したが、こういうことに慣れているのか悠然として待ち続ける他の乗客の姿には感心させられた。
カブールの北部30kmあたりにソマリ平野が広がっている。この地域は戦争以前は有名なブドウの産地であった。しかし、タリバンが農家に敵が潜伏するのを防ぐために、ブドウ畑も、カレーズ(地下水路)も、村落も徹底的に破壊してしまい、くずれた土の家が、あたかも古代遺跡のような姿で残っていたのが非常に印象的であった。この地方にも農民が少しずつ帰還しはじめているが、ブドウを再生し、生きるためにはまず水が必要となる。そこで、水の流れていないカレーズの復活が生活再建の必須条件となる。この夏は、せめて1本でもこのカレーズの修復に向けて「一に百姓たすけたい」と思し召される、教祖の思いに一歩近づかせて頂きたいと考えている。
 
2003年5月   
劣化ウラン兵器とクラスター爆弾の恐怖     

ヨルダンの首都アンマンの国際空港で毎日新聞の記者が所持していて爆発した物体は、クラスター(集束)爆弾の子弾だった可能性が出てきた。クラスター親爆弾には数百の子爆弾が詰め込まれ、上空千mくらいで飛散し、落下の瞬間に爆発する。戦車などの4�の装甲板を貫通する能力があるといわれるが、その1割前後は不発弾として残り「第2の地雷」と呼ばれる。アフガニスタンやイラクでは戦後も民間人の被害が拡大している。
筆者はこの3月に視察したカブールの「地雷除去・アフガン復興機構」が管理・経営するオマール(OMAR)兵器博物館で、使用済み現物の説明を身近に受け、クラスター爆弾にも劣化ウランが使われているのではないかと感じた。この博物館には、アフガニスタンなどで使用されたさまざまな地雷や爆弾、ミサイルなどの兵器が展示されている。各国の外交官や国連関係者、そして兵役に従事する人たちが、カブールに赴任すると必ず訪れるところだという。毎日新聞の記者もここを前もって訪れ、兵器についての基本的な知識をもっていたならば、今回のような悲惨な事故は未然に防げたであろう。機上で爆発していたらと想像すると、その可能性は否定できないだけに、武器に関する無知は犯罪に近いと言われても仕方がない。なにしろ子弾をキャッチボールして遊んでいたと言うから驚きである。各新聞社は戦地に派遣するジャーナリストに武器についての基礎知識を義務づけるべきだろう。
「悪魔の金属」といわれる劣化ウラン弾は、1991年湾岸戦争の時にはじめてアメリカ軍が使用した。「劣化」という名称は危険性がなくなったという意味では決してない。原子力発電所の放射性廃棄物から造られるれっきとした放射線物質である。体内に取り込まれればガンを引き起こし、重金属としての毒性を合わせもつ。アフガニスタンでは約700トンが使用された。また湾岸戦争では、アメリカ軍を中心とする多国籍軍が述べ11万回の出撃で、8万8千トンの爆弾を投じて、42日間で15万人から30万人が殺されている。このときイラクの地に劣化ウラン弾の微粒子が3百万トンもばらまかれた。その量は広島の放射性微粒子の1万4千から3万6千倍に相当すると言われている。戦争後も空気、水、大地に残留したウランを市民が取り込み、ガンや白血病、死産、流産、奇形をもたらし、従軍した兵士やその子どもたちにも被害が広がっている。
イラクの南部最大の都市バスラでは、1988年の記録によると白血病とガンによる死者は34人であったのが、湾岸戦争5年後の1996年では219人、2000年には586人に激増している(『PEN』第357号)。またイラク政府によれば、イラク全土では1990年以来子どものガンは5倍、生殖器異常出産と白血病は3倍に増加し、イラク国民全員ではガンの増加は38%となっている(『世界』5月号)。劣化ウランの半減期は45億年といわれるので、この数字が劣化ウランによるものとすると、イラクは永久的にこの病魔にとりつかれることになるわけだ。
このような「湾岸戦争症候群」に関しては、劣化ウランとの因果関係は証明されていないというのが米国やわが国の政府見解である。しかし、5万件にも及ぶウェブ上の関連情報の数件を読むだけで、劣化ウランが原因であることは近く科学的に証明されると思われる。そのとき、使用者は戦争犯罪者としてその責任をきびしく問われなければならない。英国防省は4月24日、両者に科学的因果関係は明らかでないと一方で主張しながら、イランから帰還する兵士に劣化ウランの体内への影響を調べる尿検査を実施すると発表した。わが国では、クラスター爆弾が北海道の自衛隊基地にもあり、沖縄の嘉手納米軍基地にもある。防衛庁長官はわが国自衛のために有効な武器として、その存在価値を認めている。
核廃棄物である劣化ウランは、長年ネイティブ・アメリカン居留地などに野積みにされていて、米政府の頭痛の種であった。国防総省がこれに目をつけて、軍需産業に1トンあたり1ドルというタダ同然の値段で売却したといわれている(『世界』5月号)。貫通力が格段に優れた兵器の材料となるだけに、それは「魔法の金属」とも呼ばれる。その核兵器を多量に持っている米国が、コソボや、核兵器やテロ集団をかくし持っているだろうという国を怪しからんとして、正義と自由の名の下に非戦闘員をも殺害してきた。
いま北京を中心として猛威を振るっているSARS(重症急性呼吸器症候群)の死亡者は5月15日現在で600人を超えた。SARSと劣化ウランやクラスター爆弾は「拡散」するという点で共通しているが、前者はウィルスによる一時的伝染であり、後者は兵器を使った半永久的殺戮である。悲惨さでも共通しているが、後者にはおろかな「高山」の人間の意志が強烈に関わっているだけに腹立たしいこと極まりがない。その象徴であるブッシュ大統領が、ことにあたって擬似宗教的発言を繰り返すのには、こころあるクリスチャンは心底あきれているのではないか。

2003年6月 
「若江の家」と文明開化     

嘉永6年(1853)米国対日使節ペリーの来航により、日本の長い鎖国は解かれた。その後欧米の文物が急激に流入し、わが国は急速に西洋化・近代化した。明治前半期にはその文物の輸入が国策として大々的に行われたが、その西洋文明を積極的に取り入れた現象を文明開化という。文明開化を象徴するものには、散切頭に洋服、ランプに牛鍋、鉄道や蒸気船などがあるが、数多くのいわゆる洋館という特異な建物も、見逃すことができない文明開化の産物であった。中央の官庁をはじめ、学校、駅舎、銀行、ホテル、そして個人の邸宅といわれる大きな和館・洋館などに見られる建築様式は、日本の木造建築とは異質な技術と材料を採用したものからなり、日本近代建築史のなかでは、日本の伝統的建築と近代建築の狭間に出現した特異な建物といわれる。
天理大学構内に建つ大正13年に竣工した「若江の家」は、この文明開化がもたらした象徴的・歴史的建物として位置づけられる。当初、中山正善天理教「管長公勉強室」として、大阪の若江岩田にあった天理教大阪教務支庁境内に建てられたが、昭和30年天理大学の前身である外国語学校創設の30周年を記念して現在の位置に移築された。その理由は、創設者が述べるように、この洋館の建物の中で、世界一列陽気ぐらし実現へむけての天理教教祖の教えの延長線に、外国語学校創設のビジョンが熱く語られ、その結果として天理大学の前身が誕生したからである。ゆえに、「若江の家」は天理大学の「建学の精神」を宿した、いわば建学の精神母胎としての意味を持つ。
「若江の家」は、大正5年に創刊された洋館建築の専門月刊誌『住宅』の中に紹介されているあめりか屋(大阪支店)の設計で、施工は大林組と聞いている。『住宅』は天理図書館にほぼそのバックナンバーが揃っており、表紙には寄贈中山正善氏と押印されている。洋館建設にあたって創設者はこの建築専門誌を購読し、ひそかに調査研究を進めておられたことが窺われる。筆者は後に展開される天理の宗教建築の独自的構想の原型は、創設者が置かれたこの時代における文明開化の歴史的潮流に無縁ではなかったと考えている。『住宅』を注意深く読んでいくと、当時わが国の文明開化の諸相が建築という営みを通して垣間見られ、文明開化が導入した洋館が、単なる邸宅であることを超えて、流入する新しい文化思想を運搬する入れ物であり、かつまた新進気鋭の人物が交流する場所としての役割をになっていたことが知られる。つまり、それが和魂洋才であれ、和洋折衷であれ、洋館は新しい思想の実践的決断を促し、それを受胎着床させる母胎であるかのような印象を醸し出しているのだ。
創設者は東京大学に入学するまでの2年間、「若江の家」から大阪高等学校へ通学し、当初は寝室と書斎からなる質素な日本間が2部屋があれば一学生としては十分だと言われていたらしいが、最終的に「管長公勉強室」としてこの洋館の普請を採択したのは創設者自身であったと思われる。その背景には、首都の最高学府において先輩として学び、文明開化の激流のなかに青春を謳歌した、天理教大阪教務支廰長・中山為信(1892-1961)本部員をはじめ、教祖の時代を生きた古老たちの創設者に対する強い思い入れがあったと推測される。筆者は『住宅』(大正15年11月1日発行)のなかに創設者が挿んでいたと思われるガリ版印刷の紙片を偶然見つけて、大正15年教祖40年祭(1926)直後の7月と8月に開催された一般教会長大講習会の時間割表と講演題目、そして講習会のそうそうたる講師名を知るに及んで、その思いを強くした。
天理大学は、この洋館・「若江の家」を創立80周年の記念事業として創設者記念館にすることを、遅まきながらも本年の4月に決定した。準備委員会と顧問会議も追って設置されたが、2005年の80周年まであとわずか2年もない。私たちは修復再現を正確にするために、建築図面を探しているが、設計を担当した大阪のあめりか屋はすでになく、移築を担当した天御津組も現存していない。また施工主の大林組に問い合わせても、該当する図面を発見することができないでいる。レトロな内装やオリジナルな照明器具については、竣工当時や移築以前の写真を見つけるしか方法がない。そこで読者のなかで、屋外屋内を問わず、「若江の家」の写真をお持ちの方があれば、是非ご教示頂きたいと思う。
関西の私立大学では大学間の生存競争が激しくなる中、歴史的な建学のシンボルとなる洋館の保存修理が相次いでいる。それは「建学の精神」をもう一度思い出そうとの意味があるようだとした解説記事を日本経済新聞夕刊(2003.5.24)が写真入りで紹介している。「欧米では古い建物が残るキャンパスの雰囲気に引かれ、観光客や地域住民が集まる。日本でも建築物を通じて各大学がアイデンティティーを見直す作業が始まっているのではないか」とは、建築構造学が専門の京都大学の西沢英和講師のコメントであった。天理大学もいま「若江の家」を通して、どこまで真剣にその「建学の精神」に接近できるかが厳しく問われている。
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by inoueakio | 2003-01-03 16:41 | 巻頭言集
2003巻頭言7~9月号
2003年7月     
外辺医療と現代医学─宗教と心理療法の調和統合  

ここ数年、新聞紙上に現代医学以外の治療法を紹介する書籍の広告記事が急速にふえている。『超抗ガン剤低分子高吸収アガリスク─末期ガン治る!助かる!』『超薬プロポリス─現代の難病にプロポリスが克つ理由』などなど。監修者は医学博士や薬学博士だ。書籍ばかりでなく「健康食品」の名のもとに、サメの軟骨、クロレラ、イチョウの葉、沖縄のウコン、ノコギリヤシに各種ビタミンやミネラルの調剤など、わが家に持込まれたサプリメントだけでもまだまだある。ダイレクトメールでも次々と外資系企業が参入して類似品の積極的な勧誘が行われている。景気低迷のなか繁昌しているのは健康食品界だけではないかと思われる程である。
これらの民間療法は「外辺医療」という名でひとくくりにされ、前近代的なものとして西洋医学からは長い間排斥されてきた。しかし、最近この外辺医療が再評価されはじめて、代替医療や補完医療などと呼ばれるようになった。欧米社会ではこの名前を統一してCAM「補完代替医療」(Complementary & Alternative Medicine)という略称で呼んでいる。自然を重視した伝統医療を前近代的なものから脱近代的なものへと評価を変えてきたのは、「地球の健康なくして人間の健康はない」という市民によるエコロジー意識の目覚めであるとされる(『補完代替医療入門』上野圭一、岩波アクティブ新書、2003)。現代医学がもっとも苦手とする、ガン、糖尿病、肝臓病、心臓病など、いわゆる生活習慣病に悩むひとたちに「現代医学以外の治療法」としてCAMに魅力を感じている人の数はふえる一方である。東洋医学もいまCAMとともに脚光をあびている。しかし、大切なのは特殊なCAMと普遍の先端医療、つまりローカルとグローバルの統合であろう。この「グローカル」な調和は、患者自身の選択と責任においてなされねばならないのが現状である。
インドの伝統医学であるアユールヴェーダは、風土に根ざした独自の医学体系を持っているが、鍼灸や漢方薬を主体とする東洋医学においては、人間を小宇宙と見て大宇宙と連関せしめている点が特徴である。『准南子』精神訓は「頭が丸いのは天に象り、足の方形なのは地に象っている。天には四季・五行・九つの領域(八つの方角と中央)、三百六十六日の日数があり、人にもまた四肢・五臓・九つの穴・三百六十六の節がある」と述べている。この「節」の数は骨の数と一致し、人体の関節を上体・下体と合わせれば12関節で、1年12ヶ月に相当する。脊椎骨は、頚椎・胸椎・腰椎合わせて24個で、1日の24時間と相通ずる。こういった考えから導き出される医学は、自然のリズムから逸脱した人間が病むのだという明確な認識を持っていて、その治療には内なる自然の秩序を回復することが第一と考えられていた。
病む身体の秩序を回復する注目すべき補完代替医療に、セラピューティックタッチという「手かざし療法」といわれるものがある。看護学専門のニューヨーク大学名誉教授ドロレス・クリーガーがその開発者として知られている。彼は看護という仕事の基本要因を「人を助けたい、癒したいという願望、患者への切実な共感、病む人、苦しむ人にたいするつよい無私の感情」であると考え、だれもができる癒しの技法を模索していた。数々の臨床実験を通してその治療的効果に確信をもち、「セラピューティックタッチ」をマニュアル化し、今世界の75カ国でナースがその「手かざし療法」を用いている。大病院で外科医がメスを振るっている手術台のそばで、患者の頭上からセラピストが手かざしをしている光景は米国では珍しくないという。手をかざすヒーラーの絵は1万5千年前にピレーネー山脈の洞窟に描かれていて、最古の文献は5000年前にまでさかのぼる。手かざしは有史以来世界各地で用いられてきた癒し(ヒーリング)の原型である。日本語の「手当て」が治療を意味することはその消息をよく物語っている。
天理教では、身上者(病人)の患部を「あしきはらいたすけたまえてんりわうのみこと」と3遍唱えて、3度撫で、これを3度繰り返す「さづけ」が、身上諭しをともなって、布教伝道の要となってきた。「さづけ」と「セラピューティック」の間には基本的な相違があるが、苦しむ人を助けたいという願いにおいては共通している。後者が脱近代化医療として普遍性をもちつつあるとき、その原因を追求して、前者に医療との共存を求めることは大切である。
ときあたかも人間関係学科臨床心理学専攻の大学院が天理大学にまもなく設置される。天理教の独自的救済環境を活かして、宗教と心理療法の接点の研究や、心理臨床の高度な知識や技能に加え、宗教的な人間理解に基づいて心理臨床の実践を行う力を身につけることを目指しているという。しかし、その理念を具体的に達成するのは、「さづけ」と「諭し」の天理教救済史が実証する実践教学サイドからの、心理療法領域への積極的関与であろう。その逆は主客転倒であるというパワフルな気構えがとくに宗教学教授陣には必要だ。そうでないと宗教私学である天理大学の独自性はまたもや普遍に埋没して、その個性を輝かすチャンスを失うことになることを憂う。

2003年8月     
宗教と夢─夢と現実の「二つ一つ」

人間はこの世に生まれ落ちてから、赤ん坊の時はほとんど寝て過ごし、成人しても授業中や会議中は言うに及ばず、通勤電車のなかでも寝ている時が多いから、人生約3分の1は寝て過ごすのではなかろうか。従って年齢を聞かれたときに、私が60歳と答えるとすれば、私は生まれてから20年間寝てきたと答えていることになる。そして人間は、ほとんど忘れているにしても、この寝ているときに夢を見ている。その夢は魂の散歩であると実にうまく表現した人がいたが、その人の名前は忘れた。
夢と宗教に関して言えば、宗教進化論で著名なE.B.タイラーは、宗教の起源を未開人の夢の解釈に見いだしている。人間が夢などの不可解な心的現象を理解しようとして、肉体から遊離し得る霊魂という観念を持つに至ったのが、霊的存在の信仰の始まりというわけだ。その霊魂の観念が、人間から動物へ、植物・岩石・食物・武器などへと連想・拡大されて、アニミズム的な世界観が成立し、そこから多神教、一神教という宗教が進化してきたという。夢を、遊離した魂の経験の現れであるとする信仰は、未開人や古代人に広く認められる。古代インドでは、睡眠中の人を急に起こすとその魂が肉体への帰り道を見失って癒しがたい病に陥ると考えられ、中国では睡眠中に魂が肉体を離れ、その逍遥の間の体験が夢であると信じられていたという。また夢が神や悪魔などのお告げであるという考え方は世界中にあり、その例は枚挙にいとまがないほどである。ギリシャでは夢の送り手はゼウスやアポロであったり、イスラムでは善い夢は神に由来し、悪い夢は悪魔から送られると教える。(『宗教学辞典』東京大学出版会)
夢の多くは支離滅裂であり、意味不明、不合理に満ちている。常識の世界をはるかに超越しているので、そのために夢の解釈は古代から盛んに行われていた。夢は無意識への王道であるとも言われるが、バビロニヤでは夢判断のテキストが作られていたという。そのなかでは勿論、個人、国家を問わず吉凶が盛んに予言されていたに違いない。また、ユダヤ法典にはエルサレムに12人の職業的夢解釈家がいたことが記されている。バビロンが栄華を誇っていた現在のイラクやイスラエル・パレスチナの紛争のながきをみると、現実の世界が夢の世界にとってかわったようなむなしさを感じる。実際、夢と現実が逆転したような諸相は、最近あちこちに見られるようになった気がする。
フロイトは夢と宗教を心理機制において同根と考え、宗教は幼児的願望が外界へ投影された幻想の体系であるとした。それに対してユングは、夢は意識的な洞察よりすぐれた知恵を現す能力があり、基本的には宗教的な現象であるとした。河合隼雄は『明恵夢を生きる』の中で、さまざまな仏僧の「上昇の夢」を分析解釈した後、ユングが70歳のころに心臓麻痺で危篤状態になったときに見たという、地球から遙かに遠ざかった地点に到達した夢ともヴィジョンとも思われる次のような体験を紹介している。
「私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのが見え、そこには紺碧の海と諸大陸とがみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らし出されて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。左方のはるかかなたには大きな広野があった、──そこは赤黄色のアラビヤ砂漠で、銀色の大地が赤味ががった金色を帯びているかのようであった。──」(『明恵夢を生きる』、140頁)
1990年天理で宇宙飛行士などを招き「宇宙の心・心の宇宙」という国際シンポジウムを開いた。その時、アポロ12号で月面に着地したピート・コンラッドが「月面に立ちて想う」というテーマで話をし、その宇宙体験を数多くのスライドを使って披露した。その一こまであるスクリーンに大きく映し出されたインド大陸を中心とした宇宙からの地球の映像が、ユングが体験した「上昇の夢」の描写とぴたりと一致したような印象を与えた。明恵の夢の話を河合隼雄氏から聞いたコンラッドも大変驚いたが、氏によればこのような例は多く見られるとのことであった。しかし、何故かという質問に対しては返答は返ってこなかった。
ところで、天理教では夢は肯定的に捉えられている。「どのよふなゆめをみるのもみな月日 まことみるのもみな月日やで」(ふ12:163)。「語るに語られん、言うに言われん。夢でなりと、現でなりと知らせたい」(さ23/6/2)。現実の世界に神の摂理があるように、夢の世界にも神の摂理がある。言葉で伝えられないことは、夢を通してでも知らせるという親心がある。ユングは、夢は無意識の側から意識の偏りを警告・補償するものを現しているとする。夢と現実を分断して「そんなの夢の話じゃないか」というのではなく、両者を橋渡しする「二つ一つ」の天理教学からの研究が求められる。


2003年9月  
宗教研究の新パラダイムを求めて─研究所創立60周年記念国際シンポジウムから─

日本宗教学会第62回学術大会が天理大学で開催された。丁度本年は、おやさと研究所設立60周年にもあたるので、大会に先立つ9月3日「宗教の概念とそのリアリティ」というテーマのもとに、研究所主催の記念国際シンポジウムを行った。 300名に近い宗教学を専門とする人たちの参加があった。主会場に入りきれない人のためには別室にモニターテレビが設けられた。
基調講演は「宗教研究の理論と方法」と題して、チャールズ・ロング、カリフォルニア大学サンタバーバラ校名誉教授、「比較宗教学再考」と題して、ウィリアム・グラハム、ハーバード大学教授が行った。両教授とも専門は宗教学であるが、ロング教授は、20世紀を代表する宗教学者ミルチア・エリアーデとともにいわゆる「シカゴ学派」を構築された学者で、米国の宗教学会の会長をつとめられた事もある著名人である。また、グラハム教授は、現在ハーバード大学の神学大学院長の立場にもあり、研究領域はイスラーム研究で、世界宗教の聖典の伝統と諸問題に関心をもっておられる。
両教授の基調講演では、現代の宗教学が西欧の概念によって世界の諸宗教を理解しようとして来た傾向を具体例をあげて鋭く批判され、これからの宗教研究の上にあらたなパラダイムを構築しよういう議論が展開された。両教授の発表は、日本の新興宗教のモデルとして、しばしば調査研究対象にあげられてきたわが天理教が、今回批判された欧米思考の研究方法の流れの中で、ここ一世紀ものあいださまざまな宗教学者の研究対象とされてきたことを思い起こさせた。その傾向を、和英に関わらず数々の研究文献を通して直接ふれたことのある筆者にとっては、とりわけ印象深い講演内容であった。
思い起こせば、筆者は1960年アメリカ留学から帰国して、欧米からの宗教学者や聖職者を天理教の神殿などに案内し、教理説明をめぐって彼等との質疑応答の体験を数多くもった。そのさまざまな経験を想起しながら聞き入った今回の記念シンポジウムの講演内容は、島薗進、東京大学教授の「現代宗教と宗教研究」、氣多雅子、京都大学教授の「現代社会と宗教哲学」の発表も加えて、まことに感慨深いものがあった。会場に参加しておられた、筆者と同じ体験をもたれたであろう日本の他宗教に帰依しておられる宗教学者も、同じような印象をもたれたに違いない。思い出は数々あるが、今回のシンポジウムで批判された従来の宗教研究の傾向から出たであろう極端な諸例をあげると、その極めつけは中山正善天理教二代真柱に向って、信者を引き連れて全員基督教に改宗しないかと驚嘆すべき発言をした聖職者もいたことである。また、神殿の礼拝場で甘露台の説明をする筆者に、背中を見せて始終外を眺めていた異宗教は否定すべきものと最初から盲信しているかのような失礼な原理主義者もいた。その礼儀を超えた徹底した信仰姿勢には、反面感心さえもしたほどである。さらに、1970年大阪万博の年、ローマ法皇の代理で訪日した際、天理の真柱宅にそのために建てられた日本間に宿泊したパウロ・マレラ枢機卿は、すばらしい聖職者との印象をもったが、天理教の人間の身体は神からの借り物であるという「かしもの・かりもの」の教理や「出直し」の教理など、キリスト教とは力点が異なる独自の教理を比較において説明する筆者に対して、あれもこれも全部聖書に書いてあるというそっけない回答が次々にかえってきたことなども思い出す。また、組織神学で著名なパウル・ティリッヒが、天理を訪れた印象を聞かれ「天理教は原始宗教の爆発である」とコメントした話はいまや有名であるが、その意味はさまざまに解釈されるとしても、その異宗教に対する彼等の思想的背景にあるものは、今回のシンポジウムで痛烈に批判された従来の欧米パラダイムの宗教研究の底流をなすものであったと思われる。
シンポジウムの後、宗教学会の特別セッションにも出席されたロング教授と二人で2時間程話し合いの機会をもった。教授とは17年前、筆者が『おふでさき英訳・研究』(天理教道友社刊)の最終稿を終えた直後に、氏の教え子であった村上辰雄君の紹介で天理で初めて会い、奈良ホテルに宿泊しておられた教授に明日までに原稿に目を通して頂きたいという無理な願いを快諾頂いたというご縁がある。今回も天理滞在中に「元の理」を読んでもらい、御意見をお聞きし、質問にも答えさせて頂いた。「元の理」は日本語では天理教外の学者からも学際的に研究され、「元の理」講座7巻(天理やまと文化会議刊)にも収録されているが、英文翻訳資料が極端にすくないのが現状である。求められる「こうき」の世界的ひろめには、その翻訳が絶対条件となる。
今回の記念シンポジウムや学会の特別部会においては、天理大学の宗教学科をはじめ、教校本科や天理教教庁海外部の若手による同時・逐次通訳者の活躍が注目された。1960年代の当時を顧みて、すべてにおいて隔世の感がある。学問を海外で研鑽させて頂いた神恩に報いる為にも、外国語による教理翻訳に止まらず、学んだ外国語とそれぞれの専門分野を通して、本教教理の展開をしていく気概をもって、世界のあたらしい宗教研究の橋渡しに貢献する仕事を期待したい。
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by inoueakio | 2003-01-02 16:43 | 巻頭言集
2003巻頭言10~12月号
2003年10月    
危険に満ちた好機としての「病い」─からだに聴く     

人体への関心が様々な理由で高まっているのか、色々な解剖学の本がカラー版で出回っている。頭蓋骨の下方に骨格器官が人体をかたどり、その周りに筋肉がくっついている。各種内臓器官もリアルに描かれているので、解剖の経験のない私などは、自分の体内がかく成立っているということを頭で知ることができても、その各器官を直接自分の手で触ることができないのだから、自分のからだと言いながらそうであるという実感のないことおびただしい。私たちは通常自分のからだの中のことはそこに異状が発生しなければその存在すら忘れているのである。つまり、「病い」になってはじめて人間は己の体内を具体的に意識させられる。
解剖図には頭、胴体、両手両足等など、部分部分が集まってからだができていることが示されているのだが、不思議なことにからだの70%を占めている「体液」の書いてある解剖図などは見たことがない。死体解剖なども同じことを何回も繰り返しているうちに筋肉や骨だけになってしまい、それがからだというものの知識を医学生にあたえるとしたら、人間は物質化したものとして捉えられがちになる。先日某医大の附属病院で「新しい技術を自分のものにしたかった」という功名心にかられて経験のない腹腔鏡手術を行い、患者を死に到らしめた医師が逮捕されたというニュースが大きく報じられていた。
こうした人体実験に等しい事件は、どうも「体液」の欠落した解剖による人体物質観から来るのではなかろうかと思いついた。そこで以前に読んだことのある野口三千三氏の『野口体操・からだに貞く』(柏樹社)をひもとくと、次のように書かれてあって、なるほどと改めて納得したのである。つまり、「生きている人間の身体は、皮膚という生きた袋の中に、体液的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ」という考え方である。氏はこのことに気づいた時おおいに驚き、その瞬間に死体解剖学の知識が生きている自分のからだと突如として一体化し、まったく新しいからだ観がうまれ出たと述懐している。その気づきの先に「体液主体説・非意識主体説」が導き出され、野口体操が誕生する。私も東京の朝日カルチャーセンターで1日入門し、先生から直接「野口体操」の手ほどきを受けたことがある。からだのひねり動作ひとつで、ひらがなを描きコミュニケーションを可能にする先生の「水袋」のような柔軟な動きは、強く印象に残り、その日は御自宅まで押しかけて自説を拝聴した。氏には『野口体操・おもさに貞く』(柏樹社)という名著もある。その主張は、人間が人間であることの基礎感覚は、地球の中心との「繋がり感覚」であり、神意(自然の原理)は、重さというコトバによって告げられ、筋肉はそれを貞き取ってからだの動きに翻訳するというものである。また「筋肉は重さに抵抗し重さを支配するためにあるのではなく、重さという神のコトバを貞く耳である」という。野口説を充分に解説するスペースはないが、コトバとの関連で展開していく身体観はきわめて宇宙的で独自の思想を形成している。そこでいま注目したいのは、からだに「きく」(貞く)という聴覚的表現である。
「きく」といえば、「病い」を危機に満ちた好機として捉えた『からだの智恵に聴く』(日本教文社)というアーサー・W・フランクの名著がある。フランクは「病い」はからだが送ってくれるシグナルであり、私たちに多くの「窓」や「鏡」を提供してくれると説く。「病い」は我々から生活の一部を奪い取っても、いままで何気なく過ごしてきた生き方とは対極に位置し「自分が主体となるような人生を選ぶ機会を与えてくれるのである」とも述べる。39歳で心臓発作に襲われ、40歳で癌を経験した著者は、もうすこし「病い」とつきあい、「病い」を通して学び、過去の自分を取り戻すことよりも、「病い」を通して自分のことを変えようと望んだと言い、回復を「病い」の理想的な終結と考えるのは大きな問題があると主張している。そこには「病い」を神の「手引き」とする天理教の教えに他方から強烈に説得力をもって接近してくる考え方が見られる。つまり、究極の教えが「裏守護」の地平からも明らかにされつつあるような印象を受ける。たとえば、「病い」の回復を理想とすれば、慢性病や死に到る病には何の価値も見いだせないということになるから、「病い」に際して「我々は回復よりもむしろ新生というべきものに目をむけるべきなのだ」と「病い」に対する積極的姿勢の重要性を説いている。
「病い」は、からだとのコミュニケーションを可能にしてくれる。天理教のかしもの・かりものの教理からすれば、「病い」を貸し主である親なる神との対話を交わす自己新生への絶好のチャンスと捉える覚悟ができれば、病気の治癒だけにこころを奪われずに、「病い」を自分の生きざまをよりよくするための起爆剤とし、医療に絡み取られそうになるからだを奪いかえすという主体性の確立に思いが向くであろう。「病い」を神の「手引き」とするかしもの・かりものの基本教理は、進化する先端医療の中であらたな地平からあらたなことばで、従来の心性還元論を超えて、より積極的に深化・展開されることが思想的にもいま求められている。

2003年11月     
天理・カブール大学共同研究事業に向けて

天理大学おやさと研究所は、「伝道史料室」に加えて、数年前から大学の再改革運動の主旨に向けて、「天理自然・人間環境学」「天理ジェンダー・女性学」「天理総合人間学」「天理スポーツ・オリンピック」「天理国連・平和学」の5研究室を発足した。それらの調査研究活動の独自の業績は、本年研究所設立60周年記念の事業の一つとして9月に実施された「回廊ギャラリー展」をもって紹介された。そして10月「天理国連・平和学」研究室は、本年度の活動の一つであるアフガニスタンでの「国際化」「他者への貢献」プロジェクトの一環として、その可能性を調査・推進する目的で、研究室の担当である筆者がカブールを訪問した。
筆者がアフガニスタンに関わるのは、1979年ソ連軍のアフガン侵攻後、NGOアフガン難民救済同志会なるものを立ち上げ、約20トンの毛布や古着、医薬品などをペシャワールの難民村に届けたのが最初であった。そのときの同志である天理・憩の家病院に胸部外科医として勤務していた京大医学部卒のアフガン人カレッド・レシャード医師は、現在静岡県でクリニックを開院するかたわら、NPO「カレーズの会」を昨年立ち上げ、出身地カンダハールにおいて医療支援をいま活発に行っている。
今回カブールには10月12日から10日間滞在した。その第一の目的は、本学の地域文化研究センターの調査研究活動と連動して、復興途上にあるアフガニスタンに関する映画をカブール大学と共同製作する可能性の検討であった。そのためにファルーク・ファリアッド芸術学部長をはじめ、ジュリア・アフィフィ演劇学科長やカブール大学フセイン・ザダ文化評議委員会議長などと撮影に関する基本的な問題点を2日間にわたって検討し、おおむねわれわれの提案について賛同を得た。撮影に関する資金が日本側から可能であれば、出演者や撮影場所の選択、保安・警護、政府よりの撮影許可の入手などはカブール大学が責任をもって協力し、ビデオカメラ、照明機器など、現場での撮影に必要なプロについての経費は日本側が負担するということで、一応の条件付仮合意が口頭でなされた。前もって準備しておいた英訳シナリオ案も提示し、特にアフガンの文化的な表現について誤解がないかどうか大学側の助言や意見をもらうことになっている。
カブール大学では、著名なアフガニスタンの映像作家でもある映画監督ムサ・ラドマニッシュ氏が講義するシネマトグラフィーの授業風景を参観させてもらい、教室で学生達と約1時間の質疑応答を行った。30数人の受講生の中、女子学生は1名に過ぎなかったが、彼女は女優志願・シナリオ作家希望と言い、他の男子学生は、ビデオやデジカメ、三脚など撮影機器の圧倒的に少ない学科の現状を嘆いていた。大学には編集用のパソコンもない。ただひとりBBCで7年間アルバイトをしていた学生が、旧式のビデオを1台もっているだけであった。アフガニスタン人によるアフガンからの映像発信の物理的条件が、他の支援領域と比較してはるかに援助が遅れていることはまことに残念である。外国人によるアフガン報道は、あくまでも外国人の目から見たアフガニスタンであって、時によってはアフガニスタン人からすれば慚愧にたえない一方的報道もあり、彼等にはそれに反論する機会が与えられていない。情報が相互に平等に流れるよう条件整備が急がれる。
カンヌ映画祭において「オサマ」という作品で3つの賞を授与されたシディック・バルマック監督とは、アフガンフィルムという市街戦の弾痕が残ってはいるが立派な建物にある彼のスタジオで約1時間半のインタビューを行った。最初はダリ語で彼が語り、通訳がそれを英語に訳していたのだが、訳語が的確でないと判断したのか途中から彼は苦手だがと言い訳しながらも英語で喋りはじめた。時間は半減され、話はロシアでの5年間の映画大学留学時代の経験に及んで、黒澤明の作品批評までが飛び出した。後ほど表敬訪問した高等教育省大臣シャリフ・ファイズ博士は、その子息がアメリカの大学院で映像学科に籍をおいていることもあって、詩歌や写真も真実を伝える手段であるが、映像の伝達力はその先端科学技術の発達によりさらに力をましていると語った。そして本学とカブール大学との共同製作には喜んで協力したいという言葉をいただいた。
今回も天理からマダケとモウソウ竹の4本の根を持参した。3月に持参した竹の根は7本芽を吹き出し、30cm程の高さに育っていた。カブール大学農学部は竹生長観察のため特別に構内に一角をもうけ、担当のアーマッド・コエスタニ教授は盛んに竹に関する英文資料をほしがっていた。
11月16日には国連ユニタール・フェローシップによる25名のアフガニスタン高官が本学を訪問した。一行の中にはカブール大学社会・哲学部のモハメッド・ハビビ教授がいたので、彼に英語文献をことづけ、来年はコエスタニ教授の来学を実現し、竹と土嚢を中心とした当研究所のエコ・モデルセンターにおける進行状況を見てもらうことを楽しみにしている。カブール大学と協力して将来アフガン各地での竹林造成を私たちは夢見ているからである。

2003年12月   
カブールの雨

医療援助NGO「ペシャワ−ル会」代表の中村哲医師は、旱魃がつづくアフガニスタンで、すでに千本以上の井戸を掘った。用水路も建設中である。氏には『医者井戸を掘る』という著書もある。なぜ医者が井戸を掘り始めたのか。氏にはそのアフガン難民救援の20年近くに及ぶ現場体験から、あらゆる人道支援や紛争からの復興は水に還元してゆくという信念がある。
ここ数年、特にアフガニスタン東部は未曾有の旱魃で耕地が砂漠化し、大量の難民が発生している。カブールなど大都市に流れたその難民が治安悪化の背景をなしている。戦争がなくとも難民は発生する。特に農耕、遊牧を主とする地域での旱魃は難民発生の原因となる。アフガニスタンでは戦争と内紛が難民発生の原因であると一般に考えられているが、実は水不足が紛争の遠因となり、それが復興を遅らせているという視点をも忘れてはならない。
10月に訪問したカブール北方20数キロにあるショマリ平野の農村でも、いままで流れていたカレーズ(地下水路)に水が流れていない。ここ5年あまり雪も雨も降らないからである。そこで井戸を掘る。以前は10メートルも掘れば湧き出て来た水が、100メ−トルから150メートルも掘らなければ出て来ないと村の古老が訴える。この深さになると手掘りは不可能であり、1本掘るのに100万円以上の重機器による掘削費がかかる。ポンプ用の発電機も要る。何しろ大学教授の月給が4千円くらいだから、帰還農民にはまったく手の届かない金額である。
中村医師はクナール州で用水路を建設中の11月2日、発破作業を攻撃と誤認した米軍へリコプターに機銃掃射をうけた。作業地の平和は一瞬にして吹き飛ばされたという。イラクと同様にアフガニスタンでも国連組織や国際赤十字、外国のNGOへの襲撃事件が頻発している。そして、「今回、私たちは『テロリスト』からではなく、『国際社会の正義』から襲撃された。日本政府がこの『正義』に同調し、『軍隊』を派遣するとなれば、アフガンでも日本への敵意が生まれ、私たちが攻撃の対象になりかねない」とその危惧を語り、イラクへ自衛隊を派遣しようとする日本の風潮を危険かつ奇怪と述べている(『朝日新聞』11/22)。
私たちも天理大学の「他者への献身」という「国際参加プロジェクト」を通して、学生と共にインドのグジャラート州においてアラビヤ海に流出する雨水をせき止めるためのチェックダムを現地のNGOと協働して建築してきた。雨期が訪れ完成した堰を水が満たし、その結果その数キロ周辺に掘られた数10本の井戸から水が湧き出たという報告を受けた。本年の8月、井戸や農作物、そして樹木の生長などの調査のため現地におもむき、近村の農作物収穫にチェックダム効果があったことを私たちは検証しているので、なおさら中村医師のねばり強い謙虚な井戸掘り作業のすごさに感動するのである。
奇しくも天理大学創設者2代真柱様の御命日にあたる11月14日、2泊の予定で27名のアフガニスタンの政府高官や研究者、そしてNGOの代表が天理大学を訪れた。明治16年(1883)、明治でも類のない大旱魃に悩む農民の願いで、三島村で雨乞づとめが行われた史実を紹介した。官憲の厳しい取り締まりの中であったので、教祖に伺うと「雨降るも神、降らぬのも神、皆、神の自由である。心次第、雨を授けるで」とのお言葉あり、雨乞いづとめをつとめられると大夕立ちとなった。しかし、当時86歳の教祖が水利妨害という名目で徹夜留置処分を受けられたという史実に聞き入る、アフガン高官の人たちの目つきは真剣そのものであった。
本年の3月19日、アメリカはミサイルの雨をイラクに降らせた。アフガニスタンにとってはこの日は大晦日にあたる。その翌日アフガンの人たちが新年を祝う日、私はカブールにいた。そこで砂塵舞い上がるカブールに少しでも雨の御守護をと教祖に心からお願いをした。不思議にも次の日の正月2日、5年ぶりに雨がカブールに降ったのである。
宿舎から外に出て、目の当たりに見た市民や子供達が狂喜するあり様をつぶさに話した後、アフガニスタンに雨の御守護を祈ろうと訴えて共に礼拝し、教祖殿をあとにした。翌17日から広島において国連ユニタール主催の「紛争後の国々における訓練と能力開発」というテーマでユニタールの広島事務所開設記念国際会議が開催された。その報告は『朝日新聞』(11/25)のオピニオン欄で大きく取り上げられている。アフガニスタンから出席が予定されていたモハメッド・ファーラン復興大臣は、2日遅れて広島に到着した。主催者はその理由を、カブールが突然大雨と大雪に見舞われ、飛行機が飛ばなかったからだと説明した。「現代の谷底」アフガニスタンに春が来て雪が溶けはじめると、渇いたカレーズに水が再び流れ出ることを祈る。
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by inoueakio | 2003-01-01 16:49 | 巻頭言集