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ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
●マラリア感染事情:
9月5日(金)-カージ現場で7日(日)の天理丸ヴィクトリア湖「船遊び」についてサムと打ち合わせ。午後インド人が経営する Nandadeep会社を浄水器デモのため天理大学生2名を助手に古屋と再訪問する。同室の渡辺氏が体調を崩し、発熱したので中国人が経営するクリニックで検査の結果マラリアと診断される。風邪薬も併用して、休養を指示。井上も毎夜寒気がして第二次隊に持参してきてもらったホカロンで体を温めていたが、ついにダウン。夜至急に病院へ、血液検査の結果マラリアのパラサイトが見つかったと顕微鏡まで見せてもらう。一週間分の薬をもらい寄宿。休養を命ぜられるが、発熱がないので、歩くとふらふらしながらも仕事を続ける。

9月6日(土)―朝食事、アフリカ学者の和崎春日教授は「井上先生もマラリアになってアフリカのイニシエーションをおえられましたね。おめでとうございます」と笑顔で言われる。氏の教え子である名古屋大学院生の高村美也子もフィールドワークのタンザニアから恩師を訪ねて、われわれと同じホテルに滞在していたが、彼女も数日後高熱を出しマラリアに感染。三日目には完全に回復してけろっとしていたのには驚かされた。高熱にうなされていた彼女、にこにこして曰く「わたしはもう三回経験しているので、マラリア対応についてはなれているのです」。小生のマラリアは、後ほどナイロビの病院で誤診と診断される。帰国後病院で徹底検査をして眩暈の原因を見つけてもらわねば、大変なことになると心配したが、このまま帰国するわけにもいかない。血圧は降下剤を服用しているので異常に高いというほどではない。石原と古屋は一泊の予定で片道7時間かかるラカイ県の日本人が経営するNGO「ムクワノ」孤児院を視察。浄水器のデモンストレーションを行う。水は6時間離れたヴィクトリア湖から、雨水が無くなったときには毎日運ばなければならない水事情の劣悪な地域である。子供たちはため池の汚水を飲んでいるという(写真集参照)。
 午後7時、石原、古屋、井上はフェニックス柏田社長と市内の中華料理屋で会食。氏の40年間にかかわった歴代大統領との話や、ウガンダ経済、政治事情などについて体験者の貴重な情報を3時間ほどついやして聞かせていただく。明日は日本から50数名のミッションがくるので世話どり準備に超多忙の様子。同じレストラントではたまたま在ウ日本大使が会食していて、紹介される。大使の名前は失念したが、本年のウガンダ共和国独立45周年記念パーティーで赴任前に東京で名刺交換した記憶はある。JICA出身の専門家らしい。後ほどこの日本からのミッションは、旧知の外務省中東アフリカ局審議官TICADIV担当者の岡田誠司氏もふくめて、カージのエコヴィリッジ建設現場をビ大使に引率されて視察に訪れた。

●「船遊び」と貧困離島:
9月7日(日)-午前8時、小林、佐藤、曽山、小林舞の研究員は、本日から4日間ブウィンディ国立公園へゴリラの視察旅行に出発する。残留組は予定していたキクング漁村での船外機をレンタルした「天理丸」の村民代表Kilobo Godfrey氏に同乗してもらう、お披露目の進水式を行うために9時半に宿舎を出る。Godfrey氏は右足の不自由でキクング村の身体障害者連盟の代表者でもあるとのこと。午後二時、船首に紺碧の教旗をたなびかせて、天理丸はまずMakusa島にむかう。この島は岩壁からなり、樹木や植物は一本もはえていない。上陸すれば島の反対側の端がすぐに目に入る小さな裸島である。ところ狭しと隣接して建つバラックに住む貧困漁民は、ヴィクトリア湖から捕るテラピアを燻製にして生活をしのいでいる。人口は子供を交えて450人余りという。ほとんどが無学文盲であり、本土とバナナなどのバーター取引をしている様子もみられた。マクサ島代表のKumakech John氏を紹介され、村民を集めて挨拶をすることとなった。島は本年の一月に燻製の火が原因で火災を起こしまるはだかになったとのこと。この事故のウガンダ海上保安庁の対応の仕方はインターネットで知っていたので別にはじめてのはなしではない。その残影がまだ残っていた。悪臭と子供たちが群れ集まる様子は言語に絶する情景であり、忘れることができない。この島で汚染された湖水を浄水器で浄化するデモを古屋と学生が行った。それを見た村民がみるみる浄化される透明な水を求め、ビニール袋をもってあつまってきた(写真集参照)。つまり飲料水が高価で購入できない人たちなのである。

●テラピアのお供え:
次に訪れたのが30分ほど離れたところにあるLwamunyo島である。Makusa島と大差ない貧困漁民が生活する孤島であるが、ここは人口約300人。接岸が簡単にできないので、小舟で天理丸まで迎えに来てもらう。こと時点で筆者は疲れはてボートに飛び移る気迫がなく上陸を拒否したが、村民がまっているので上陸して代表に握手し簡単な挨拶をしてほしいという。若者に担がれて上陸し、Usubuga村長と握手し、Makusa島と同じく島民に英語による挨拶を現地語に通訳してもらって、浄水器のデモを行う。この時点で左の耳が聞こえなくなる。再乗船して日が暮れ始めると魚がつれるということで、ミミズを餌にして数人が湖上に釣り竿を放つ。小生はおふでさきと教祖伝逸話篇の「船遊び」の頁をひらけ並べた赤布クッションの前に座して、釣りを見学。5時15分に最初のテラピア一匹が釣れる。釣ったのは両親をなくして祖父母に育てられている孤児のフレデリック君である(写真集参照)。彼は授業料が支払えなかった4ヶ月間、家計を支えるために漁師の手伝いをして釣りを習ったとか。このテラピアはすぐキクングの信者に燻製にしてもらい、日本に10日に一足先に帰国する古屋氏にことづけて羽田から天理に直送してもらい、存命の教祖に「船遊び」の初穂としてお供えさせていただいた。6時にキクングに帰港。8時日本人組Green Tea HouseRestaurantにて昼食兼夕食。9時半に寄宿後即時就寝。

●ラカイ県での浄水器デモ:
9月8日(月)-石原、古屋二人は片道6時間かけてウガンダの南方に位置するラカイ県の日本人が管理するNGOムクアノを訪問。乾季には孤児たちは6時間かけて毎日はるか遠方の湖水に水汲みに出かけるのが日課とか。雨水は低地にたまっているが濁っていて飲料水には適さない。その上澄を飲んでいる状況であるという。そこで浄化水のデモを行う(写真集参照)。
 渡辺と井上はカージの現場へ向かい、全員で土嚢建築ユニットを背景にして記念写真を撮る。往路の途中でキクングの作業者がバスを待っているのを見つけて全員バンに乗せる。7人定員のバンは12人乗りとなり、あの悪名高いアルグレイブ収容所の写真を思い出したほどだ。当方はしかし、この偶然の出会いでお互いにさらに身近くなったと感じながら、楽しんで悪路に揺れる道中をわいわい言いながら現場に向かった。
 
●ウガンダ閣僚のカージ現場視察:
午後4時半、ビ大使とカージ・エコヴィリッジの将来構想について、氏が考えている現在の動きについて報告をうける。この土地は氏の所有地で、ここでEACプロジェクトを推進したいビジョンについては、本報告書の日本語訳の理念に解説してあるとおりである。
カージは人口約二万人からなるムサバラ地区にあり、農業と漁業を主体とした地域である。
このコミュニティーに一村一品主義(One Village One Product)の運動を立ち上げたい。その一環としてJICAにPeace Corps 100名派遣を願い出て米作を主体とした農業指導を期待している。9月6日の午前9時半には、ウガンダ閣僚のMinister in charge of Trade Industry, Tourism & Technology(貿易・産業、観光、科学技術担当)Emphraim Kasmuntu大臣が現場視察にやってきてビ大使の説明を受け写真を撮って帰った。大臣は機会を見てムセベニ大統領にも視察を願い出るとのこと。ビ大使は11月には再び日本から帰国し、一棟二部屋の土嚢Hut(小屋)を12棟建築し、カージのエコヴィリッジ活動の一環としてここでJICA派遣Peace Corpsによる農漁業をテーマとしたワークショップを開いてもらいたいという。当方はエコヴィリッジ建築にはJICAとは直接関係はないので、この件はウガンダ側で主体的に折衝推進してもらいたいと答えておいた。依頼されたHutの設計モデル図面は渡辺建築士が在ウ中に作成して提出するように依頼する約束をして、氏はそれを承諾し、帰国直前に設計図を完成してビ大使に手渡した。もちろん建築に関する費用は全額ウガンダの負担となる。

●中心軸にタイムカプセルを埋める:
9月9日(火)-午前中エコヴィリッジに甘露台の六角形を意識して定置した中心軸にタイムカプセルを埋める。30年後に開けてほしいと若い孤児たちに伝え、一緒にメッセージを書き込んだノートと資料をプラスティックの容器に入れ、それを使用済みのトタン状のパネルで包装紙し有刺鉄線で巻き込んで、地下五十センチほどの深さにセメントで固定した。その場所に教旗を立て天理丸で使用した赤座布団を置き記念写真を撮った(写真集参照)。この中心軸には将来水槽タンクを設置することをビ大使に依頼した。二百メートルほど離れたヴィクトリア湖から風力発電で浄化水路をつたって湖水をくみ上げ、浄水器で殺菌を行い、飲料水として使用するモデル構想は出来上がっている。タイムカプセルといえば、天理大学の土嚢エコモデルセンターの中心軸に、ユニタール招請のアフガニスタン奨学生30名が広島から来学した際にも埋めたことを思い出して実行した次第であった。
 午後3時寄宿し、洗濯、部屋整理。6時半、Muwando Godfrey副大統領私設秘書官とJICA所長の依頼により、市内ホテルで夕食面談のため石原氏と宿舎を出る。EACエコヴィリッジプロジェクトについていろいろ質問をうける。G秘書官はジャーナリスト出身でかなりインテリジェンスが高い。出身地のマサカ県でエデンの園をイメージしたエコヴィリッジをつくりたいという。ムセベニ大統領が関心を示す武士道の話をするとその思想に異常な関心を示し、JICA所長になぜこの話をいままで自分にしてくれなかったのかと抗議をする始末であった。
 午後11時、ナイロビ経由で大野夫妻がおこなう上総掘りの現場を視察するために石原氏とエンテべホテルチェックイン。深夜の二時に起床して、3時にホテルをチェックアウト一路エンテベ空港にむかう。

●マサイによる井戸堀視察:
9月10日(水)-5時半エンテベ空港発、一時間半でナイロビ空港着、一路タンザニアの国境近くに位置するOlotoktok市にむけて用意していた四輪駆動車に乗り、途中水を購入して、一路サバンナの悪路をひた走る。途中砂に車輪がとられて空回りするのも数度あり、砂ぼこりにまみれて目的地に到着。昼食をとって、やすむ間もなく、大野夫妻の自動車でマサイ族を指導して上総掘りで井戸を掘りつつある現場をしさつ。ここまで二時間のドライブ。今は見えないが明日の朝はキリマンジャロが見えるだろうとのはなし。作業の様子を参観しながら、大野氏から現場での苦労話を聞く。すでに十数か所で井戸を掘り当てたらしい。完成した井戸も見学させてもらい、マサイの親子とも通訳をとおして会話が交換できた。すでにマサイ族の中では上総掘りのベテランが誕生していて、大野氏もその技術移転に満足の様子であったが、水脈を地政学的な調査によって決定しなければ、どこを掘ってもよいというわけではないので、それが難題だという。地球温暖化やJICAが上流で農業指導のため農地開発をおこない灌漑用水路を造ったので、この周辺は河川の水位が低下して生態系が急激に変化してきた。多分それが原因で下流に流れる水が不足し、下流に生息する象たちの移動が数年前より早くなったらしい。その証拠として井戸堀の現場周辺には木々が象の群れに倒され、大きな糞の塊があちこちに散らばっていた。つい先日は井戸水をプールしておいたドラム缶の水を象が飲んでいるのを見て驚嘆した。最近は作業中も象の出現に注意をはらっているとの話であった。この夜大野夫人が日本食を作ってくださったが、自分は食欲がなくダウン、失礼して就寝。
 
●キリマンジャロ:
9月11日(木)-早朝ベッドのテーブルの横に置いてあった昨夜の味噌汁と酢の物と御飯のいっぱいをいただき、5時頃に西方にそびえるキリマンジャロを見るために無理をしてひとりでカメラを手に散歩にでる。まだ朝日は昇らず。しばし丘にたたずみ太陽の出るのを待つ。6時25分、朝日がキリマンジャロの反対方向から昇りはじめて、その輝が徐々に東の山頂の稜線を覆う霧を払い、風にゆっくりと流される雲の移動がカーテンの役割を果たすようにキリマンジャロ山頂の雪の白さをあらわにしてくれた。しばらくのあいだ、山の向こう側にあるタンザニアのアルーシャには、おやさと研究所の基地が1970年代にあり、その地の調査に昨年赴いたことなどを思い出しながら、学校に通いはじめた現地の子供たちの列をながめて、しばし瞑想にふけった。一時間ほどふらふらと近辺を散歩しているうちに、道を見失い、ホテルを探しながら、二三度現地の青年に尋ねてようやく宿舎にたどりついた。大野夫妻は朝食を準備してくださっていたが、食欲が無いのでお断りをして、氏にはコンピューターに収録してある関係データをつかって、氏の活動の外観と問題点を教示いただいた。マサイ族と共同した夫妻の長年にわたる経験は文化人類学的にも貴重な資料を提供するとの印象をのこしてくれた。日本から大学の教員がここまで視察に来たのは今回がはじめてのケースであるらしい。
 
●ナイロビ病院で身体検査:
9時宿舎を一路ナイロビに向けて立つ。運転手には近道の悪路はさけて、走行距離はどうでもよいから通行料を支払うので少しでも早くナイロビに到着するように交渉する。30キロほどガソリン代がかかると言われたが、健康状態がおもわしくないので、乗馬をするがのごとき悪路7時間は耐えられないので、よろしく頼むと交渉して、結局一時間早くナイロビに到着。途中サバンナで象の群れやキリンに豹、野牛、河馬、やさまざまな鳥類に出会い幸運であった。途中「Masai Eco」という看板を道路わきで見る。遊牧民を農耕民化する国家政策なのかと疑問を抱く。誰に聞いてもその実態がわからない。これからの研究課題とする。
 ホテルに着くなり就寝。目ざめて、日本食堂を石原氏に探してもらって栄養をとる。しかし、依然として夜は熟睡できない。あさ起きるとめまいがする。そこで、ナイロビ空港出発までに病院で診察検査をしてもらうことにした。二時間半かかって、検査の結果が出て、ピロリ菌が異常に発生していてストレスと疲れもたまり、胃には尋常でない潰瘍ができていると驚かされる。3分間ほど医師の問診に答えているともう疲れるというありさまである。治療のため入院するかといわれたが、薬をもらう時間がなく診断結果の説明を熱帯病専門という女性医師から聞き、ただちに空港に直行。道路は非常な渋滞で心配したが、二時間ほどで無事空港に出発時間まえに到着して機上の人となった。ウガンダでのマラリアの診断はパラサイトが見つからず誤診であったとのこと。データは帰国後日本の医師診断の参考のために、すべてメモをとって診断書のコピーを入手してきた。

●血便が出る:
9月12日(金)-8時ホテルをチェックアウトし、民族陶芸店と書店で資料収集をする。
マサイエコに関する情報は得られなかった。書店員は大学の専門家に聞いてほしいという。
ナイロビ空港3時着。5時エンテベ空港着後、ただちにカレンダーホテルに直行し、ベッドに寝る。少し寒気がし、血便が出る。細菌が原因ならナイロビ病院の検査で診断されていたはずだがと不安になる。

●マサカのあらきとうりょう:
9月13日(土)―石原宅でコンピューターを拝借してエコヴィリッジと船遊びの主な写真のプリントをする。マサカ県から山崎夫妻が子供を連れて会いに来ていた。カンパラまでには5時間はかかるだろう。全員で記念写真を撮る。石原氏夫妻の一人娘一才の真美ちゃんは小生が命名したかわいい赤ちゃん。お兄さんが三人いるので大変かわいがられている。黒人には慣れて泣かないが日本人の顔をみると泣き出すという。あまりこんな顔は見たことないというのがその理由らしい。山崎君はマサカ県の山お頂に布教所を土嚢で建築中、普請は屋根を除いてすべてが完成している。一才になる子供は裸足で坂を下った近所の友達の家にひとりで遊びに行き、一時は探しまわったことがあるらしい。将来が楽しみである。水は雨水を樋からドラム缶にためて蒸留して飲料水とし、電気は自製のソーラーパネルを活用しているという。言うなればジャングルの「あらきとうりょう」である。天理大学ではラグビー部に所属、奥さんは上智大学の卒業生で英語には不自由しない実力の持ち主である。
 
●エコヴィリッジの満月:
本日13日でカージのエコヴィリッジ作業は終了する。タイムカプセルを埋めた6角形の中心軸を6段の土嚢で完成し、三段目までアリ塚の土にコンクリート5パーセントを混ぜて埋めたたきつめた。その上に小石を敷き詰め、雨が降れば水がたまり、野鳥の水の飲び場になることを祈った。作業を終えたときは現場はすでに薄暗くなり、あと片づけをしていると東に満月が出ていた。ヴィクトリア湖上に浮かぶ月を背景に中心軸を囲んで記念写真を撮る。帰途カンパラのいつも行きつけの中華料理店で建築指導者の渡辺氏の健闘をたたえて一同乾杯をする。氏は一度もカージ以外はこの一ヶ月間現場監督として目が離せないので出掛けたことがない。明日は日曜日で最後の日となるので、せめてウガンダの伝統的建造物と世界遺産である王室の墓を見学する予定をたてている。

●Mpambo Multiversityの思想:
9月14日(日)-ンパンボ大学とはナイルの源流をもつジンジャ市において、1990年代に反新植民地主義をかかげて設立されたジンジャ地方に本部をもつBusoga民族を主とした母国語教育・伝統文化復興継承運動を目的として設立された大学である。ンパンボとは「種」という意味らしい。ウガンダの教育は英語で民族言語の教育は禁止されている。英語がウガンダ近代化の必須条件であるという憲法に反逆して、日本や中国、韓国は自国語で近代化に成功しているではないかというのが論拠の説得力となり、カナダのヴィクトリア大学をはじめ数校がその思想に共鳴して物心両面の援助をおこない、共同研究やブソガ族の文化を象徴する校舎建設の運動をはじめている。Paulo Wangoola学長は私たちのカージにおけるエコヴィリッジ構想にいたく感動して建築家を伴い、二度も現場を視察した。土嚢による研究棟をウガンダの伝道様式を取り入れて共同デザインをしようではないかという申し出である。学長によればMultiversityがUniversityと異なる点は、後者の組織的機構が縦断官僚的であるのに対して、前者は水平平等的思想に立っているところにあるとの説明であった。
 そこで最終日の今日は、大学のカンパラの事務所を訪問し、さらなる情報を収集して、学長他数人のスタッフと意見交換し、将来の可能な限りの協力を口頭約束した。現在筆者はカナダの関係学者とメイルで情報交換中であり、その自律的アフリカニズムは成功すればアフリカの思想的革命の核となり得るとの感触を得ている。2010年には、ジンジャで第二回国際会議が開催される予定であり、筆者は基調講演を依頼されている。継承された民族神話にはエジプトと類似するものもあり、興味はつきない。日本におけるアイヌの差別歴史とも類似する歴史的痕跡とさまざまな問題を抱えており、その比較をとおしても独自文化と彼らの消えゆく母国語保存の意義はおおきいとみなければならない。ちなみにMpamboとは「種」という意味で、MultiversityとはUniversityの縦の管理組織に対応する横の平等観と正義を象徴する言語的表現であるとの説明であった。氏とも帰国後メイルをとおして、あらたな識字的活動をカナダの専門の学術者と共同し、個人的にも研究課題として、学外のアフリカ学者や国内の企業家の賛同を得て進める準備に入っている。

●二つの満月と帰還:
9月15日(月)
予定通りエンテベ空港一行出発。ドバイを経由して関空に到着。16日(日)の夕刻天理到着。バスは奈良盆地に入り名阪から眺めた東の山から、カージの最後の夜に見上げた同じ満月は、ひときわ輝いてわれわれの帰りを迎えてくれているような感じがした。どうやらやっと両足で大地を踏みしめて無事に天理に戻ることが出来て心から感謝の御礼参拝をする。早速自宅では茶漬けを注文し、久しぶりの風呂に浸かって、すぐ眠りにつこうとしたが時差もあり眠られず、早朝三時までトランクやら書類の整理をこまごまとおこなう始末となった。
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by inoueakio | 2008-12-10 14:53 | アフリカ
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー2ー
●空手伝道とホカロン:
8月23日(土)―9時宿舎を全員でカージにむけて出発。午後1時35分エコヴィリッジの数棟から成る第1ユニットの第1棟がついに完成する(合計12ユニットの計画)。土嚢に詰める土は現場にあるアリ塚を利用する。第1棟は土嚢30層の高さである。詳しくは河口レポートと関連写真を参照されたい。午後2時、ビ大使来訪。ヴィクトリア湖でとれたナイルパーチの昼飯の差し入れをうける。4時、宿舎ヘいったん帰り、カンパラ最大のショッピングセンター4階のスポーツクラブで石原氏が教える空手クラスを参観。2ダース入りのペットボトル3箱などを購入する。ペットボトル入りの水は宿舎と作業現場でまたたくまになくなる。
 石原宅でインターネットを借用し、27日着の第2次隊に教旗と天理大学の旗の持参をメイルで依頼する。天理大学の小旗は現在手元にはないとの返事で驚く。昔は手旗が存在していたはずだが。数日前から就寝前に寒気がして寝つかれないので、ついでにホカロン百個持参を注文する。マラリア感染を疑うが、発熱で苦しむほどではないので、我慢をつづけている。どうやらストレスと過労でばててきた様子だ。毎日の洗濯も気が重い。

●ナイルの源流:
8月24日(日)-日曜日で作業休日となり、石原君の案内で全員でウガンダの東南に位置するジンジャ市へ向かいナイルの源流や滝を見学した。ジンジャ市はウガンダ第二の都市で砂糖生産と繊維産業が盛んである。郊外にあるオーウェン・フォール・ダムは隣国ケニアに大量の電力を輸出しているといわれる。片道所要時間カンパラ市より東へ80キロ、3時間あまり。ここには1862年イギリスの探検家ジョン・ハニング・スピークが初めてヴィクトリア湖がホワイトナイルの源流であることを発見した場所であることを説明した大きな案内板が立ち、少し離れた奥まったところにガンジーの遺灰がここに流されたという石碑が建った。6時半カンパラに帰り、宿舎に近い石原君の布教所にて全員参拝。氏がNGO活動の一環として実践している孤児たちによる手ずくりのストラップなどのアクセサリーを見せてもらう。来所していた現地のアーティストが布に描いた作品を数多く見せてもらい、ユニークな絵画数点を記念品として購入する。

●NGOクロスアーツ:
8月25日(月)-早朝、河口、三成両氏が明日帰国するので、渡辺氏とサニー夫妻をまじえて、第二次隊到着後のエコヴィリッジ建築現場の活動予定と問題点について打ち合わせをする。その後、将来の可能性を視野にドキュメンタリー映画作製のシナリオ案を練る。予算さえつけば、カブール大学と共同で製作した「カブールトライアングル」の人脈を活用して、映画製作は可能である。ビ大使とのインタビューも当初にあたって、そのヴィジョンの語りを録音している。カブール大学との関係は、その後東京で結成したNGOクロスアーツが継続し、毎年カブールから著名な本学に来学したこともある映画監督と共同してドキュメンタリー映画を製作し、毎年映画祭を開催している。東京の数か所の大学では毎年新作品を教材につかいよろこばれている。2008年はThe Rootsという作品が完成し、10月に公開された。100人収容の渋谷のミニ映画館は入場料2千円で立ち見席ができ、東京外国大学の著名な伊勢崎教授が井上春生監督と対談をおこなった。外大でも井上春生が集めたアフガン映画を利用し、平和構築のための講座検討などがなされるようだ。
 9月2日開催のマケレレ大学における合同会議のテーマと諸連絡や出席者などの確認を携帯電話で一時間にわたっておこなう。正午約束の石原氏外務省申請の武道館設計者が市内のホテルにおいて一時間まってもあらわれないので、水と果物を購入し宿舎に帰り、本日より渡辺氏と同室になるので部屋の掃除と洗濯、組み換えを行う。チャールスに電話してサムとビ大使の契約書の内容について再助言をおこなう。疲れて16時に就寝。

 8月26日(火)-11時市内のスピークホテルにて須崎JICA所長の紹介により、ケニアでマサイ族とともに上総掘りを行っている大野夫妻と面談し、情報交換をおこなう。ザンビアでも経験あり、今回はウガンダで試みたいとのこと。カージの現場をも視察しその地質的可能性を検証してみるとの約束を得た。将来協働できればありがたい。19時石原氏の空手教室に同行しウガンダ人に武士道について話す。21時寄宿。

●魔法瓶の爆発:
8月27日(水)-全員朝食時に、蓋を開けたとたんにホテルの魔法瓶が突然爆発する。ガラスの破片が四方に飛び散り、顔にささらなかったのが信じられないくらい不思議であった。9時半より石原宅でコンピュータを借用し、今夕のエンテベロータリークラブでの講演原稿を作成する。15時半第二次隊、佐藤、小林、曽山教授、古屋、パピーニ氏及びアグロフォレストリー専攻の小林舞の6名がエンテベ空港に無事到着。

●姉妹ロータリークラブの提案:
19時より約1時間、Lake Victoria Hotel において30数名のエンテベロータリークラブ(Club 25128 District 9200)会員に講演、質疑応答をおこなう。まず、天理大学のキクング漁村貧困緩和活動を紹介し、千葉県勝浦市とエンテベ市の共通点を5点あげ、姉妹ロータリー関係を結ばないかという提案を結論にもっていった。その5点とは、海と湖、クジラとナイルパーチ、オーガニック乳牛と放牧場、RPBと木造漁船、エコヴィリッジとBGLである。勝浦ロータリークラブ会長あてに著名をしたService Above Selfと印刷されたクラブ旗をAlex Kakuru会長より贈呈される。BGLの開発者である同行の三成氏が両クラブの橋渡しをしてくれることになっている。同クラブはヴィクトリアホテルで毎水曜日に定期会合を行っているとのこと。

● ガンジーの「七つの社会的罪」:
このエンテベロータリークラブの会合に出席していた、ジンジャ市のロータリークラブの会員であるNicholas Kisinhjha氏から、来週の水曜日に予定されているジンジャロータリー会合での講演を依頼される。与えられたテーマは「持続可能な開発とウガンダ」についてであった。講演の最後に結論として、ガンジーが暗殺され荼毘に付されたラージカートに「七つの社会的罪」と題して刻まれている碑文を引用した。それは、1)理念なき政治、2)労働なき富、3)良心なき快楽、4)人格なき学識、5)道徳なき商業、6)人間性なき科学、7)献身なき信仰、という言葉であるが、このことばの説明に入ったときウガンダ人の聴衆は水を打ったようにシーンとして何の反応も示さない。どうしたことかと一瞬戸惑い、とっさにこの七つの社会的罪に私としては八番目として「正義なき行為」という言葉を加えたいと発言したときに、笑顔とともに大きな拍手が起こって話はおわった。  
あとでその意味を考えたが、とにかくウガンダ人はインド人に対してある種の敵意をもたざるを得ない歴史的事件を記憶していて、相互に人種偏見がいまも持続しているという事情が背景にあることが分かった。その事情は、のちインド人が社長をつとめるジンジャ市の製紙工場における対談でも感じたことであった。インド人は確実にウガンダ人を下に見て、ウガンダ人はインド人から労働搾取されていると一般に受け取られているからである。最近もウガンダ政府がインド人企業家に広大な土地を開発の目的で提供したことが国家的問題となり国内紛争を起こしたこともあったことを思い出した。しかし、外国からの観光客が頻繁に訪れる有名なジンジャ市の白ナイルの源流の一角には、ガンジーの遺灰はここに撒かれたという立派な記念碑が建っていた。ウガンダで財を成したインド人によって設立されたものであろう。

8月28日(水):ケニアの大野夫妻来訪、旧知のMYC4の責任者であるイサビリエ氏を紹介する(「グローカル天理」11月号巻頭言参照)。9時15分全員でカージへ。道路封鎖のため迂回し一時間半かかる。ビ大使来訪し、第二次隊員にそのヴィジョンを大いに語る。大野氏は現場調査をおこない、上総掘りの場所の可能性を探る。四時半協働者とともに昼食。石原と筆者は水を買いに市内へ、21時45分寄宿。

●浄水器とWEB 2 Revolution:
8月29日―午前中全員で市内ガーデンシティーへ生活用品購入と書店で文献資料収集をおこなう。午後からカージへ。石原、古屋、井上はインド人経営の浄水器関係のNandadeep International Ltd. と称する会社訪問、情報収集を行う。ナイジェリアにも支店をもっているとのこと。ウガンダにおけるビシネス土着化には2003年開業以来苦労している様子。
午後、手すき紙工場を視察。バナナ、パピリス、古紙をリサイクルしたものを煮沸し、たたき上げて再生紙としている。十数人の女性が働いていたが、製品はカードやコースター、名刺といった土産物レベルのものであった。通常用紙の印刷機にたえるものではない。19時から21時まで、MyC4のイサビリエ君来訪、宿舎でパピーニと古屋を交えて情報収集。Wikinomks やWeb 進化論についても議論沸騰。WEB 2 Revolutionによる情報は取りに行かなくとも向こうからやってくる時代にどのように対応すべきかという専門家による話題の提供は参考になった。23時全員で本日の報告とこれからの予定を調整するための打ち合わせをおこなう。

8月30日(土)-血圧高く、ふらふらして、終日ベッドにふせる。カージの渡辺氏より電話で9段まで土嚢を積み上げたが、有刺鉄線がないので、買い出しに出かけてもよいかとの連絡あり。サムに買い出しに行かせたいとのことで了解。

8月31日(日)-朝エンテベより広島大学院町田宗鳳教授チェックイン。氏はスウェーデンから是非エコヴィリッジの現場とマ大会議に参加したいと自主参加。広島のある限界集落では本学の土嚢工法に習い院生と現地村民とで既にシェルター一棟を完成している。
直観による決断と即時的実行力は20年間の禅宗修行の成果か。アフリカ大陸を知らずして、海外で比較文明論を語るのはナンセンスだという小生の批判には少々堪えたらしい。
氏は道元で博士号を米国の大学で取得している。知る人ぞ知る国際的にも著名な宗教学者である。朝食後、全員石原宅へ。出入りの画家の布作品展示芝生の上であり、それぞれ好みのものを購入する。画家収入の10パーセントは孤児NGOに寄付の約束である。午後一時より博物館など一行初めての市内見学。井上は宿舎で休養し記録整理と諸連絡。カージにようやく必要資材、セメント、砂、有刺鉄線など夜の届いたとの現地からの連絡あり、胸をなでおろす。

●町田教授の指圧力:
元禅僧であり久しぶりに対面した町田宗鳳教授は、小生のやつれた姿を見て即座に「井上先生、横になってください、このままでは脳梗塞になりますよ。私が指圧をさせていただきましょう」と無理やりに石原宅の参拝場の長椅子に横にならせて、マッサージを一時間ほどしていただいた。プロ級の指圧術にさすがと感謝しながら、しばしそのまま眠りにつく。帰国後、町田教授が忠告されたように、私は軽い脳梗塞を起こし、二週間入院生活を体験することとなった。まだ氏にそのことは伝えてない。数日後北京から参加している建築家のサニー教授夫妻が心配して、中国式の自分たちがよくやっている治療をさせてほしいと、約一時間背中と首に血流を潤滑にする吸血版のような器具をつかってマッサージを施してくれた。そばで好奇心をもって観察している日本人仲間は、小生の背中と首は充血した血液で赤黒くなっていたらしい。この夜はおかげで久しぶりに熟睡したことを思い出している。
Sunny 夫妻は帰国して即刻ホームページでカージでの活動を広報していた。その情報はすでにアメリカの関係者にも届いているようで、その敏速さに感心した次第である。

9月1日(月)-7時時半より和崎春日名古屋大学院教授をくわえ、全員で明日のマケレレ大学共同会議の趣旨と進め方を打ち合わせする。10時カージの現場にて、ビ大使、マケレレ大学との合同会議の調整準備を担当している国連高等研究所のDavid Mutekanga教授をくわえて、全員で共同会議の準備調整をおこなう。M教授は会議後、マケレレ大学へ準備確認のため退座する。一行は午後ヴィクトリア湖畔カージにある漁場の一角で子供たちの湖畔からの水汲み作業を観察する。子供たちは自慢げに両手で湖の濁った水をすくい飲んで見せる。その姿の写真を撮る。一行は二輌に分乗してそれぞれの調査研究場所に行く。井上は帰宿し、明日のマ大会議の準備をする。

●マ大共同会議の開催:
9月2日(火)-9時宿舎出発。10時から12時半まで会議はFaculty of Forestry & Natural Resource Managementにおいて開催。共同議長はビ大使、井上、Muwanika Vincent 所長(Institute of Environment & Natural Resources)の三名で、David Mutekanga教授が司会を担当。会議のテーマはThe First Consultative and Exploratory Meeting for the Ecovillage and the Lake Victoria Instituteである。日本側14名の参加者全員がそれぞれ提出しておいた配布資料のCVを参考にして3分間の自己紹介と共同研究分野の希望を英語で述べる。その後可能な限り相手側(参加教授は14,5名)に発言をもとめ、既出のEAC Projectの実現にむけて、質疑応答をおこない、ビ大使がそれに応答するというスタイルで会議が進行した。休息時間が20分間ほどとられその間日本側とウガンダ側の研究者が名刺交換などをおこなって、これからの共同研究の可能性を打診した。英文会議録は本報告書に添付してあるので参照されたし。天理大学との共同研究契約(MOU)をマ大学から求められたが、即答はさけておいた。一ツ橋、早稲田、京大などの数行はすでにMOUを結んでいる。
 会議後は自由時間を設けてマケレレ大学構内を見学、学内書店では専攻関係の資料を購入し、5時半に大学をあとにした。井上と古屋はその間Institute of Environment & Natural Resourceを訪問し、Pomeroy教授に日本から持参した浄水器を贈呈、使用方法を実際にデモンストレーションし、さまざまな地域での浄水実験のモニタリングを依頼した(写真集参照)。

●ロータリークラブとMultiversity:
9月3日(水)-午前8時から諸注意事項と昨日の会議後に交流したマケレレ大学教授との情報交換の内容について相互報告をおこなう。10時に一行は二台に分かれて宿舎を出発一路ジンジャへ。井上はCrested Craw Hotel で行われる会場へ。ウガンダにおける「持続可能な開発」という題名で30分のスピーチを行う。参加者約50数名。古谷氏がジンジャ一行より別れて会場に参加、メンバーの中に白人が一人参加していた。後で聞くと母親の遺産をつぎ込んで20数年間ジンジャで700人の生徒を収容する職業訓練学校を経営しているという。その施設の視察の約束をとりつける。ジンジャロータリークラブのStephen Omaset会長からはインド人経営の製糸工場視察の許可を取ってもらい、なめし皮のリサイクル工場の見学とともに、三箇所のジンジャ市における代表的機関の視察と情報収集の機会がえられたのは、大きな収穫であった。
 ジンジャはナイルの源流である上、その地域に居住する原住民Busoga民族は独立心がつよく、母国語と伝統文化につよい誇りをもっている。ウガンダ共和国の憲法では英語教育しか文部省は許可しないので、母国語の消滅は文化の消滅につながるという危機感から、1990年代にMpambo MultiversityというものがPaulo Wangoola氏を学長とし発足した。氏からは土嚢建築でキャンパスの一部を伝統工法にしたがってデザインしてほしいと協力を依頼された。氏は建築家を引き連れてカージのエコヴィリッジ現場を訪れ、当方もその熱意にほだされた。のちほどカンパラにある同大学の事務所を訪問し情報を交換して、将来の交流を約束した。Wangoola学長はカナダの諸大学から支援を受け、2010年には第二回国際会議をジンジャ市で開催するとのことである。筆者は現在のそのフォローアップをカナダの諸大学と連携をとり進行中である。Wangoola学長はマ大学の共同会議にも参加していて、そこで意見交換する機会を持ったのが交流のはじまりである。

●インド・英国人経営者のウガンダ観:
9月4日(木)-ナイル・ゲストハウスにて久しぶりに一番鳥の鳴き声を聞き5時に起床する。古屋はすでに起床して、ホテルの夜間ガードマンの給料など、景気や家族構成の話をとおして、情報収集し、近辺を散歩してきたとのこと。小生は久しぶりに熱い湯の出るシャワーをあびて、朝食を急いで食べ、午前中にジンジャ市内のはずれにある三箇所の施設見学に出かける。訪問したのは以下の三箇所である。Charles Nailala Naguyo Leather Waste Recycling Co.はJinja Municipal Yardにあり、そこでは香港になめし皮を輸出している業者から不要となった革の切れ端が山のように積まれていた。主として直径十五センチ位の六角形の一メートル高の棒状軸を生産していた。なめし皮を圧縮してつくられた回転軸は綿花の屑をからめ取る機械の一部として使われるらしい。
 次に訪問したのはジンジャへ行く途中に看板を見つけて気になっていたPAPUKOという製紙工場の視察であった。ジンジャロータリークラブ会長の紹介でDipak Trivedi 社長と面談出来、貴重な専門的情報を得ることができた。製紙はリサイクルを主とし、部分的にパルプを混入することもあるという。トイレットペーパーやノート類、段ボール箱などが製産され、ウガンダ最大のパルプ工場である。Trivedi社長はインドのジャムナガール出身であることを知り、天理大学のジャムナガールでの土嚢建築プロジェクトに話が及んで、想定以上の貴重なウガンダ企業情報やインド人のアフリカにおける活躍と何題について告白してくれた。ムセベニ大統領がウガンダにバナナのパルプ化を通して国家プロジェクトに製紙工場建設を日本に期待している情報は得ているのでTrivedi 社長の話はインド人のアフリカ対策の実態を得る上でもその情報は貴重であった。浄水器を売るナンダディープのインド人社長にしても、インド人の異文化圏におけるこのアフリカでの粘り強さには感銘させられた。
 英国人TOFTA Educational Trustが経営するLords Meade Vocational Collegeは700人余りの学生、教員40人を抱えているとのこと。ケニアからの難民学生もいるとのこと。Trustは各種の職業訓練を行っている。女性にはミシン、男性には農牧畜作業や比較的大規模な養豚場も二か所みられた。サッカー場もあり、数年前そこで日本のNGOが野球教室を開いたということの説明をうけたが、その交流場面はNHKのスペシャル番組で見た記憶がある。風景がかさなって思い出されたからである。学校の運営費用は、英国のNGOやJohn Kirkwood校長が自ら経営する英国の企業の純益、英国のロータリークラブの寄付金で賄っているとの説明であった。Kirkwood氏とはロータリークラブの会合で意気投合し自ら案内を申し出てくれた。ウガンダ人との折衝についての氏の苦労話は、インド人Trivedi社長と同じくおおいに教えられることがあった。機会があれば記録に残しておきたいが、他にも諸例が多々あるので後の課題としてここでは省略しておく。

つづき
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
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by inoueakio | 2008-12-10 14:51 | アフリカ
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー1ー
ビクトリア湖畔に建築中のエコビレッジ遠景写真 -2008年9月-
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●背景と趣旨:
 2008年5月横浜市で開催されたTICAD IV(東京国際アフリカ開発会議)において東アフリカ共同体(EAC)五カ国(ウガンダ、ケニア、タンザニア、ルワンダ、ブルンジ)から提出されたプロジェクト活動の一環として本プロジェクトは位置づけられる。その原案は本学からEACに提案されたものであり、本報告書にはその日本語訳を掲載しておいた。
 EACによるTICAD IVプロジェクト報告書編集にあたっては、本学プロジェクトの発議者である井上昭夫が担当し、EAC大使との数回の会合を東京のウガンダ大使館で行い合意を得たうえ、建築会社鴻池組大阪本社のEACへの援助を得て出版されたものである。以下には本学主導による学外関係協力者の活動レポートを含めた、2008年度の東アフリカ活動の一部である筆者のウガンダにおける調査活動の概略を日記風に記録しておいた。くわえて寄稿された本学参加関係隊員の諸活動報告も参照にしていただき、それらが今後、「建学の精神」に立脚したわれわれが目指すアフリカにおける貧困緩和自立支援活動と、さまざまな領域における学術的調査研究の立ち上げ、そして学内の啓蒙と教育活動に貢献することを期待したい。

●エコヴィリッジ現地作業者:
8月16日:ドバイ空港にて北京科技大学副教授Tsai Liang Juei(通称サニー)氏、北京中欧美術学院Wanchun Sun女史(Phd)夫妻と合流する。Tsai氏はヴィクトリア湖畔カージ(Kaazi)における土嚢建築作業にボランティヤー参加を申し出た中国古代建築学を専攻とし、夫人は映像作家である。両氏はBuilders Without Bordersの主導者の一人であるKelly Hart氏のホームページに掲載されている天理大学エコヴィリッジの映像や筆者のホームページの情報にふれて自主参加を申し込んできたものである。両者は一ヶ月間建築現場において、ウガンダ人作業者に対してエコヴィリッジ設計者・環境造形システム研究所代表である渡辺菊真氏の現場指導に協力した。10数名からなるウガンダ人作業者はキクング貧困漁村の孤児たちで、キクング天理教布教所が経営するNGOのメンバーであり、2007年われわれの活動をとおして親しくなった青年たちである。そのほとんどが孤児たちであると聞いている。後ほど数名の孤児たちから、現場で休憩の時間を利用してヒアリングをおこなった。
 第一次隊は、筆者と上記三名にくわえて、土嚢建築のベテランである河口尊氏、そしてバイオガスラトリーン(BGL)の開発者であり、2007年にも参加し、キクング漁村でそのモデル製作を指導した三成達也氏の合計6名である。河口氏と三成氏は10日間作業を連日おこない、ドーム一棟を完成して25日に帰国。その間、現地作業者十数名は土嚢工法をほぼマスターした。以下の日記はメモにもとづいて帰国後まとめたものであるので、日程以外の帰国後の全体像からみた感想も部分的に混在していることを承知いただきたい。

●エンテベ国際空港到着初日:
8月16日(土)-午後3時10分、ウガンダ・エンテベ国際空港着。昨年のCHOGM(エリザベス女王も出席した英連邦会議)開催国として、ウガンダ政府が国力をかけて改造に努力した結果、このウガンダ唯一の空港は、近辺道路とともに見違えるようなすがたに変貌していた。天理大学出身の石原藤彦天理教ウガンダミッションセンター(以下石原宅)布教所長ほか天理教の法被を着たキクングの信者の出迎えをうけ、ただちに空港近辺に位置するキクング漁村近くの天理教集談所に参拝し、昨年のBGLと7月に筆者が合意書と契約書を交わして、竣工予定の「天理丸」の確認にでむいた。Shoreline Instituteに依頼した伝統木船は約束通りほぼ完成していた(写真集参照)。昨年始動した養豚場と木の枝に吊るした養蜂箱なども視察する。いずれも貧困緩和自立活動の一環としてわれわれが支援した小さなプロジェクトモデルの一環である。
16時45分-首都カンパラ市のはずれにあるカレンダーホテルにチェックイン。7月に契約しておいた格安宿泊所である。各部屋にはSunday, Mondayなどと週日の名称がつけられている。ツインベッドでシャワーはあるが、水や湯は出たり出なかったり、新聞の字がようやく読み取れるほのかな明かりを放つ電灯は時々停電を起こし、蠟燭をつかうこともしばしばである。マラリア蚊を防ぐ蚊帳は天井から束ねてぶら下がっている。筆者は建築家の渡辺氏と27日の第二次隊到着後から同室し、連日の活動予定と建築作業の打ち合わせ等を、毎夜この薄暗い部屋でほとんど蠟燭と、日本から持参の手動発電灯をつけておこなった。

●事件発生:
8月17日(日)-4時45分コーランの声が聞こえてきて、目覚める。早朝のコーラン朗誦の聞きなれた一種哀愁をおびた旋律は、40年もまえのシンガポール布教時代を思い出させた。途中でラマダン月に入り時間が変更されたのか、以後コーラン朗誦は毎朝4時25分の時がおおかったが、今朝は風の向きで朗誦の声が届かなかったのかもしれない。滞在中筆者の起床時間もシンガポール時代にならってコーラン朗誦の時間に合わせることとなった。
 8時半の朝食までに、記録整理や、想定どおりに進行しない当日の予定の調整時間にあてることとなった。朝食はパン二枚と卵焼きと紅茶ときまっており、バターはついている。途中から果物やジャムを個々が購入して添えることとなる。9時―河口、三成はローカルのバスでⅠ時間半かけてエンテベ・キクング村でのBGL修復作業に赴く。9時半-井上、渡辺、サニー夫妻は石原君に案内されてカンパラ市内へ携帯電話を購入ののちカージのヴィクトリア湖絆にあるエコヴィリッジ現場へ直行する(写真集参照)。正午半-土地計測と現場の草刈からはじめる。ビリグア大使(以下ビ大使)所有地の図面を見ながら、まずエコヴィリッジの中心軸を決め、第一棟を真北に定めて、直径80メートル円形のユニット計測と土地全体の境界線を確認する。中心軸は甘露台を意識して六角形の土嚢5段積みとし、完成時には水槽タンクを設置する計画。六角形の鋭角は真北に向ける(写真参照)。キクング信者代表のチャールス氏が10名のBGL建設経験者をつれて現場につく。ビ大使の申し出により、無職の孤児たちに仕事を与えるという意味からも、かれらが作業に参加することとなる。労働契約の内容には、ウガンダ人にまかせて当方はかかわらないことと準備段階から決めている。金銭トラブルに巻き込まれたくない上、土嚢建築の素材費用や労働者や関係者の費用はすべてビリグア大使持ちと合意したうえのことでもあるからである。
 ビ大使を含めての最初の工程打ち合わせに際して、肝心の離日前に決定していた契約施工者であるロジャーズ氏があらわれない。大使に確認すると、契約は破棄したとのことで当方は驚嘆する。事前に準備を依頼していた足場や道具類がすべてそろっていない。われわれにとっては全く想定外の事件発生である。一万枚を予定していた土嚢袋も当方が持参した800枚しかない(7月準備報告書参照)。とにかく、宿舎より建築現場往復の4輪駆動車一台の契約を依頼する。宿舎から現場までの大半は悪路で約一時間はかかる。途中道路で村民のストライキがあれば通行は封鎖されるから、遠回りして二時間かかることもある。15時半-これからの不安を抱いて一行宿舎着。16時40分-昼食兼夕食。この一日二食パターンは、ほぼ帰国までつづく。工程の効果を上げるためには、現地並の食事習慣にあわせざるを得ない結果になってしまった。現地人が昼食ぬきで働いている時に日本人だけが食事をするわけにはいかない。じろじろ見られての一方的な昼食は気持のよいものではない。さりとて当方は作業者全員に昼食を提供する予定も予算もない。ビ大使に昼食をだしてやってほしいと申し込んでも、もちろん聞く耳は習慣として持たないのは目に見えている。くわえて信者であるという孤児たちに一手ひとつの精神が大切であるという説教もできない。
 ビ大使はシャワー、便所つきの煉瓦作りの一棟を別個に建築中で、水槽タンクも併置して、将来継続する際の宿舎と道具類の置場とする計画らしい。やる気だけは十分とみとめられたが、ウガンダも最近の世界的金融危機の影響を深く受けていることも事実で、ガソリン代、食事代などすべてが異常な値上がりを示す中、施工者の建築予算にビ大使は合意できなかったのかも知れない。しかし、宿舎往復の4輪駆動車と信用できる運転手の紹介だけは格安でおこなってくれたことはありがたかった。21時20分-打ち合わせ会議。23時30分-就寝。夜中足が吊り、閉尿の気配がでてきた。これからのストレスと過労が予測され、地域文化研究センターのプロジェクトに学生を引率したインドにおける土嚢作業や、アフガニスタン帰国後の緊急入院の事態が思い出され、健康状態の管理と食事のメニューを再考しながら眠りにつく。
 
●女王蟻
8月18日(月)-9時宿舎発。10時カージ着。約束どおりに現場の整地が進んでいない。テントだけは仕上がっている。80メートル四方の草刈残業を当方でおこなう。現地労働者は3名。数ある巨大なアリ塚を壊して、土嚢に入れる素材にすることに決定。土質はきわめて良好である。女王蟻を現地人が見つけて、見せてくれる。蜂の子のようになまで食べても珍味であるという(写真集参照)。アリ塚の断面を撮っている時に背後にある穴に気付かず転倒してもっていたカメラを壊す。インド人経営の修理屋に依頼して一週間かけて直してもらったが、焦点合わせが正常に起動しないまま帰国まで同じカメラを使用。そのため記録写真集の数多くは出来が悪いがやむをえない。11時50分-ビ大使視察に来る。土嚢一段目完了は3時45分。18時宿舎へ向かい、途中中華料理屋で昼食兼夕食をいただき、一行生き返った気持ちになる。

●おさづけの取次
8月19日(火)-石原と井上はキクングへ天理丸のShoreline Instituteの伝統船制作学院の代表と称するサムと進水式を22日(金)に決定。準備作業と船首シンボルのデザインができる画家フレッド氏を紹介してもらい、当方のデザインの希望を伝える。結核を患っているという三十歳というチャールス婦人Nantongo Syliviaにおさずけを取り次がせてもらう。彼女はがりがりにやせ細り、立っているのがやっと見える美しい女性。神様をお鎮めしている集談所のまわりは、裸の子供がたくさん遊んでいて、毎回自動車のまわりを囲んでわれわれの行くところについてくる。娘であるという Namusisi Bettyが日本留学を希望しているという。無学な母親に英語の通訳をつとめている聡明そうな少女である。結核はもちろん空気伝染する。アフリカではエイズを上回る死亡率であるという。一体全体衛生教育の実態はどうなっているのだという絶望感をいだきながら、16時に宿舎着。この日河口と三成は修理に必要な器具をカンパラで購入し、キクングへバスでやってきて、BGLの修理を行う。BGLからガスは少し出るが、液肥の出るパイプなどが故障しているうえ機能していない。豚糞や人糞の投入量が圧倒的に少ないのが原因だという。

●武士道とムセべ二大統領:
8月20日(水)-9:00一行宿舎発。第一棟土嚢6段まで積みおわる。小生は石原君のミッションセンターでe-mailのチェックに向かい、サムより依頼されたエンテベ地区のロータリークラブでの講演原稿の作成。16時から一時間フェニックス社の柏田雄一氏と面談。氏は40年間ウガンダと関わり、現在はムセベニ大統領の依頼によりオーガニックコットンによるシャツ工場を経営し、400人の従業員を抱えている。大統領の諮問委員会―Presidential Round Tableの日本人唯一のメンバーである。前回面談の際、さまざまな途上国支援のありかたについて意気投合し、再会を約束していた。大統領が武士道に関心をもっているという話を縷々聞いていたので、日本刀と手裏剣など、新渡戸稲造の武士道など数種の英文参考文献を手渡し、ムセベニ大統領に手渡しを依頼する。いまアフガニスタンにおいてタリバーンとともにアメリカ軍と戦っているヘクマティアール元アフガン首相を思い出した。彼がソ連軍と悪戦苦闘しているとき、アフガン最大のムジャヒディーン・ヒズミイスラミのペシャワールにあった本部を訪れ、彼にも日本刀を贈呈したあのときの情景を。柏田社長には天理大学のワンダーフォーゲル部が1973年に非常事態のコンゴ共和国入国でお世話になっていることを知っていたので、その時の写真を複写して渡した。その御縁にお互いに感動した次第。氏は奈良県の伊賀地方出身で先祖は忍者の家系であったとか。剣道は二段とのことであり、武道談義にも花が咲いた。帰国後柏田社長からメイルが届いたのでムセベニ大統領への日本刀贈呈の様子を次に引用しておきたい。

“去る 11月14日大統領と面談する機会があり 大臣2名ほか 次官、局長クラス夫々のスタッフ約20名列席して 弊社の抱えている問題につき 2時間程会議を持ちました。冒頭 先生からお預かりしていた 日本刀 武士道 侍の文献 先生のアフリカでのプロジェクト実績の報告書を 大統領に手渡しました。大統領は日本刀を両手で 頭を深く下げ(日本式)有難く頂きますと 受け取っていただきました。早速 日本刀を抜いて 列席の人たちに披露し ”これが 日本人の精神”と云われました。そして 日本語で ”有難う”。 井上先生と書籍の説明を私から付け加えました。この刀はレプリカですと説明しましたら 本物が手に入らないかと云われましたので探してみますと 申し上げておきました。大変 感動された様子でした。

今 日本だけでなく 世界中でも あらゆる階層で堕落の様相は深く 当地アフリカではつい先ごろまで 我々が失っていた人間性の良さをもっていたアフリカ人が グローバライゼイションの悪い面を学んで 同じく堕落していくのを現実に見るに付け 一体 開発 進歩とは 何なのかと考えさせられます。 ここで “サムライ スピリット”


●悪い予感:
17:00-宿舎に天理丸建造を依頼したShoreline Instituteのサム所長(以下サム)が来て、予定されていたエンテべでのロータリークラブ会合の講演に出かける。一時間を費やして到着したのはキリスト教の教会で、そこではエンテべロータリークラブ会長の誕生祝いをやっていた。牧師がつぎつぎと説教をし、そのあとで小生のスピーチなのかと原稿の練り直しをメモしていたが、結局、会長を紹介するので寄付をしてほしいという意向。話がちがうと抗議して、当方は退室する。サムはロータリーのメンバーではないということが後で分かり、日本人を紹介して自分の名前を売りたかったとの魂胆であることが推測され、この日より要注意人物ということが判明。石原君の助言もあり、カージ土嚢ユニット建設者のエンテベ仲介人としては注意を要することが、あとで現実となる。
 チャールス氏は北海道の五十嵐仁氏が現地で布教して開設したキクング布教所が経営するNGOの代表者である(拙著『天理教の世界化と地域化』参照)。氏は天理教の信者であり、ようぼくの資格をもっている。しかし。最近重病をわずらい入退院をくりかえしている。サムとは兄弟ということをチャールス自身から紹介されていたので、信用していたのであるが、そのことが疑わしいということがあとで判明することとなった。後味の悪い印象を残して深夜、宿舎に戻る。

●労働と音楽:
8月21日(木)-午前中石原宅でサムに昨日の行き違いについて手紙を書き、ロータリークラブ講演の真意を確認したうえ、講演原稿の改定をおこなう。サムはロータリークラブの会員と自己紹介していたが嘘であることがばれてしまった。小生を利用してクラブ会合に同席し、地域の名士とコネを作る魂胆であることが後になって分かったからである。しかし、講演可能ならそのチャンスを生かして、日本の勝浦市ロータリークラブと姉妹関係を結ぶことができれば一歩前進であるので、彼の動きを静観し、返答を待つことにした。自然の成り行きに任せようという判断である。
 午後は宿舎で書類整理。カージの現場では、ラジオのバッテリーが消耗したのか、賑やかな音楽が消えて、作業のテンションが低下したとのこと。肉体労働にはそれに見合うアフリカの民族音楽が必須らしい。単一電池を2000シリング(約140円)で買いに行かせ、ラジオの音楽をがんがん鳴らせて作業を再開する。耳が完全に聞こえないという、ソマリアの紛争地からひとりで逃げてきたイノセントという少年が、ラジオが鳴り出すと不思議に踊りはじめ、正常な人間が全員で踊り始める時があるという不思議な光景の報告も渡辺氏から聞いていた。サムは現場に不在のため、手紙を現場監督のチャールスに手渡し、エンテべに帰り口頭で成り行きに対するこちらの印象を説明して、サムに届けるよう依頼した。キクングからの孤児作業員全員は、カージの近郊にある作業員宿舎に雑魚寝をしているらしい。こちらでは当たり前のことで待遇が悪いわけでもない。仕事をもらえることに感謝すべきなのである。

●労働と契約:
8月22日(金)-ビ大使に依頼していた大工がようやく建築現場に現れる。Otoad David Oryemaという中年の男性。円形ドーム用の足場つくりと窓枠などについて寸法を指示。また、作業賃金や労働条件などに関する契約書内容について、契約代表者であるサムが作成した素案についてあとあと問題が起こらないように追記改定の助言をする。建築資材や労働賃金などの出費者であるビ大使との合意書については、そのコピーを当方に見せるように要求したが、サムはビ大使が著名をしないという理由でそれに最後まで応じなかった。収入は労働者である孤児たちには個人的には支払われず、孤児院の収入として週単位でビ大使からサムが受け取っていたということがあとで判明した。当方はウガンダにはウガンダの商習慣があるという前提で、この件については距離を置いて直接たちいらないこととした。金銭に関する問題に巻き込まれると、協力する側にとっては身の危険もありうるということを聞いていたからである。

●「天理丸」進水式:
渡辺菊真氏とサニー夫妻はカージに残り、河口、三成、石原、井上はキクングへ天理丸の進水式のためにむかう。天理丸は最初計画していたダウ船に似せた帆船型やアウトリガー附きの設計は、目立ちすぎてキクングの他の漁師たちから注目されることをあえて避けるために、他の木製伝統漁船と同形とし、TENRI-MARU 2008と命名した。ブルーの船体の両サイドに大きく黒字で船名を施した(写真集参照)。造船作業にかかわった船大工をはじめShoreline Instituteの学生たちとキクングの行政代表者たちの臨席のもと、天理丸贈呈の趣旨を筆者が説明し、若者たちと一緒にヴィクトリア湖まで掛け声とともに牽引し、無事進水。船外機は付けず6本の櫂による手こぎで出港した。釣り竿も準備したが、魚は夕方にしか釣れないとのことで、午後二時に寄港する。船外機はレンタルが可能であることを知り、貧困離島訪問のアポイントメントがとれたのちに、日本より持参の浄水器実験をかねて、再航海することにした。川崎市に事務所を構える勝浦氏開発の最新技術による浄水器については、古屋武夫氏のレポートを参照されたい。天理丸の建設は貧困漁民自立支援が目的で、天理教教祖伝逸話篇の「船遊び」に触発されて実現したものである。くわしくは拙著『天理教の世界化と地域化―その教理と海外伝道の実践』(日本地域社会研究所、2007年)を参照されたい。

つづき
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー2ー
ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
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by inoueakio | 2008-12-10 14:49 | アフリカ