Inoue Akio Official Blog
2010-05-14T11:42:10+09:00
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井上昭夫公式ブログ
Excite Blog
こちらをごらんください。
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2010-05-14T11:40:00+09:00
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2010-05-14T11:40:41+09:00
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アフガン
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「谷底せりあげ」とユートピア講演レジメ
http://inoueakio.exblog.jp/12638713/
2010-05-14T11:18:00+09:00
2010-05-14T11:19:14+09:00
2010-05-14T11:18:25+09:00
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講演・エッセイ
(1-1)「谷底迫り上げ」の思想→「シジフォスの神話」(カミュ)→不条理と実存、「知行
合一」(陽明学)、谷底と高山(格差=精神・物質的)、パナマ運河とマチュピチ
ュ、人間産み下ろし→7日間(奈良初瀬7里)+4日間(残る大和国中)=1
1日間・産船(ゆみあき)→山澤為造「地場の眞義」(1926);「レンタルの思想」
「地球・生命共進論」「ゲノムの発見」→「元の理」GL化。
(1-2)「谷底迫り上げ」の現実→アフガニスタンとアフリカ→資料1=ドキュメンタリー
映画(20分+40分)とチラシ;資料2=東アフリカ・ユートエコトピア構想の
着想と実験~葡萄の房と頭蓋骨・カタツムリとエスカルゴ;アフリカの真珠が
抱える諸問題;「元の理」への言語テロリズム→参考文献・(3-4)254~298頁。
(2)「さとり」の「ふかめ」:「裏守護」天理教学の学際的統合→「裏・外」との「つなぎ」
(2-1)「谷底迫り上げ」の構造・「天円地方」と「つとめ」→資料3=伏義図、伊藏写真、
天輪王講社・日暮宥貞図、ナヴァホ砂絵、星曼荼羅、真座とつとめ人衆etc.
(2-2)「谷底迫り上げ」の原理・「元の理」と規矩→資料4=「元の理」学と「規矩」の
意味世界;ルネッサンスと「おやさとやかた」→参考文献 (3-4)。
(2-3)「公案」の世界観・相対的解釈から超越的見性へ→●レズメ補遺資料へ=実語教、
谷底・高山、白隠禅=相対化の否定→eg「隻手の音声」、みかぐらうた・おふで
さき・おさしづ、伝承→二つ一つが天の理・釈義から「悟り」の天理教学へ。
(3)「これから」の「しやん」:「ユートピア」天理教学の構築→「陽気ぐらし」の未来論
(3-1)新大和ユートエコトピア幻想→教祖予言の解釈深化と展開;ユートエコトピア
建築デザインの試み→PPT;「元の理」規矩学構成原理の口述説明。
(3-2)『ノマドのユートピア~2002年を待ちながら』杉村昌昭訳、松籟社、1998→
資料5=「自著礼賛」:ドゥルーズ/ガタリをライブするルネ・シェレール。
「ユートピアが描かれていないような世界地図は見るに値しない。」
オスカー・ワイルド(『社会主義下の人間の魂』より)。
(3-3) 推薦文献→『ユートピアの幻想』川端香男里、講談社学術文庫、1993。
(3-4) 参考文献→『ユートエコトピア~地球生命共同体思想の実践』井上昭夫、2009。
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「谷底せりあげ」とユートピア
http://inoueakio.exblog.jp/12638702/
2010-05-14T11:16:40+09:00
2010-05-14T11:16:38+09:00
2010-05-14T11:16:38+09:00
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講演・エッセイ
発題においては、第一に既存の理念的解説では体験共有を必要とするテーマの実態が参加者に十分に伝達できないという理由、そして第二に筆者の健康上の問題から長時間の発表は無理であるという事情から、まえもって編集しておいたドキュメンタリー映画(40分)とパワーポイント(10分)を使って解説を行った。前者は、アフガニスタンと東アフリカにおける「谷底せり上げ」の活動紹介である。それは筆者が主として自然建築(natural building)の一環である土嚢アドービドームといわれる手法を適応して企画主導し、同志の協力を得て実践してきた、ここ十年間の貧困緩和自立支援活動体験報告にもとづいている。とくにヴィクトリア湖畔におけるエコヴィリッジのユニットにおいては、土嚢4000袋を積み上げたメインドームは高さ8メールに至り、文字通り世界一を誇っている。詳しくは筆
者のBlogかBuilders Without Borderのホームページを参照いただきたい。そして後者は、現在、財政的に経常収支比率平均で日本全国において連続三年最悪を記録する宗教都市天理市の後進性を憂い、筆者の着想する天理発ユートピア構想を中山みき教祖のことばである「奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に」「八棟八商売」等の予言が暗示する解釈を深化・拡大させ、大和の地勢と歴史的独自性を押さえて「元の理」に見られる「規矩」の思想を原則とし、ユートピアを深く幻想し、その未来都市構想を紹介した。あるべき宗教的理想都市をイメージした建築デザインを試みたのであるが、それはまさにユートピアそのものであり、ドゥルーズ/ガタリをライブするルネ・シェレールの言う永遠の時をもつものではなく、「時ならぬもの」である。ユートピアに流れる時間は「歴史」の時間ではなく、歴史を横断する「生成変化」の時間である。教祖の一言もそのように理解すれば、神言の解釈は限りなく時間を越えて広がる。そのためには克明な現実分析にもとづいた批判力と想像力、そしてゆたかな感性を貫く自由な構想力が求められる。関連資料を配布したので、口述できない点について参加者はそれらの資料を参考にし、演題の趣旨は概略理解できたと期待している。
「谷底せり上げ」の方向については、教祖の予言や「元の理」の「規矩」(天円地方)から演繹された原則に忠実でなければならない。「谷底せり上げ」の方向が「陽気ぐらし」であるとして一件落着とするのは、既存の天理教学が人類全体救済を視野に入れた共同体としてのユートピア思想を取り込んでいない思想的後進性を示している。「陽気ぐらし」を個人の心性還元論に収斂させることは一種のトートロジーであり、天理教学の非社会性を暗示するほか何ものでもない。「ここはこの世の極楽や」と信じ踊ることだけでは、個人的ユートピアの域を出ないことを意味する。「谷底せりあげ」という言葉は、谷底から岩をせり押し上げた瞬間、岩が谷底まで転げ落ち、その谷底の岩をまた高山の山頂まで押し上げるという、永劫の罰を神から受けたシジフォスという男の不条理な労役と戦う男の心理描写からなる実存主義者アルベール・カミュの作品『シジフォスの神話』を想起させる。カミュは高山の山頂から谷底の岩を求めて下山するシジフォスの姿に彼が彼の運命に優越する自由を見て取る。カミュは「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間のこころを満たすのに十分たりえるのだ」と述べる。どこにもないユートピアと戦うにも似たシジフォスという一人の男の姿勢は、永遠に成就しないと思われる「陽気ぐらし」世界実現への励ましとも重なる。アフガニスタンやアフリカで体験した絶望感の中での瞬間のよろこびは、筆者にとってはシジフォスによる「岩」の「谷底せり上げ」のプロセスと共鳴するわけだ。
さて、天理教が教団としてユートピアを意識したのは、我が国が昭和の初期に旧満州において「王道楽土」を建設しようと宣伝した頃に合致する。満州建国宣言が昭和7年に行われ、昭和21年には政府は20年で百万戸を送り出す計画を閣議決定した。その国策に従って天理教青年会は昭和8年を第一次とする天理村建設計画を起草した。その当初の建築デザインは神殿を中心に約50戸が入る外壁に囲まれた正方形をなしていて、八丁四方「おやさとやかた」構想の原型を連想させるものであった。設計には中山正善二代真柱を中心として、昭和普請の建築顧問である東京帝大の建築家内田祥三教授らが関わっていたと推測される。当時の記録集を基礎資料とした日本建築学会史によれば、天理教は満州の極貧の開拓村に宗教的ユートピア建築を目指したと克明に伝えている。敗戦によりこのユートピア構想は悲惨なディストピアに終わったが、教祖50年祭を直前に控えた「人類救済」への全教的高揚は、西欧のルネッサンス時代を彷彿とさせるものがあった。その活動の原則となったのが、次に述べる「元の理」に黙示される「天円地方」(天は円形で地は正方形)の論理である「規矩」(コンパスと定規)の構造が「建築論」を伴っていたという筆者の推論である。しかし、この時代においては、まだユートピアに六柱神・道具衆の機能的・相補的配置は「規矩」論を原則として意識されていなかった。
「天地東西南北の事に就いて」高弟から問われたとき、教祖は地と天のへだたりは「人間が両手ひろげてねたごとくや」と答えられた。一種の「公案」であろう。それに対して「人間、両手ひろげて寝れば、東西南北、おなじ程なり。是れ丸き理を、聞かせられしにや」と先人たちは悟っている。この教祖との問答は、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な人体世界地図に見事に対応している。それはミケランジェロが言う当時発見された古代ローマの建築家ウィトゥウィウスの『建築論』にある「人体は円と正方形に内接する」という記述とも重なるからである。
上記のような次第で、教祖の予言を「元の理」の六柱神を配置した「規矩」論から読み込み、ぢばを中心とし、大和盆地全体を包摂する領域・「五里矩形」「七里一円」を都市範囲とした「天理やまとユートエコトピア」構想を建築学者らと共同してデザイン化を試みた。その「元の理」に基づいた構成原理の専門的解説については別の機会に譲りたい。また、筆者は一信仰者として「ておどり」の十一下り目の第一歌の身体動作が「規矩」そのものを象徴的に的確に表現していると考えて来た。その着想に拍車を翔けたのが明治二十年一月二十七日、教祖が現身を隠された翌日に内倉の前で記念撮影された一葉の写真に写る飯降伊蔵の持つ矩尺(矩的普請の意思)が発信・象徴する姿にあったことも告白しておきたい。
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「みかぐらうた」の世界を味わう
http://inoueakio.exblog.jp/12638696/
2010-05-14T11:14:33+09:00
2010-05-14T11:14:33+09:00
2010-05-14T11:14:33+09:00
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講演・エッセイ
平成21年 公開教学講座
12月25日/道友社6階ホール
第9講「みかぐらうた」と現代
井上昭夫 【いのうえ・あきお】
おやさと研究所長
「みかぐらうた」を「味わう」ということ
「みかぐらうた」を理解し、「味わう」ことは、人間が親神様のお言葉を「食べる」という行為を連想させる。「元の理」において、親神様は道具衆を「食べてその心味を試された」とお教えいただく。では、人間が親神様のお言葉である「みかぐらうた」を「味わう」ということは、一体何を意味しているのだろう。
感覚の範疇である味覚を、生理的な「味わい」という言葉に見立てた場合、その「味覚」という感覚を総合的に獲得するためには、「咀嚼する」ことが前提となる。「咀嚼」とは、「食べるもの」を見定めて、口内に入れたものを「噛み切る」ことから始まる。
これは、「噛み切られる」ものにとっては、痛みを感じるという覚悟が前提としてあるということを意味している。「神の言葉」を人間が「味わう」ということは、その裏には「正しく味わってくれるか」という、「神の痛み」という逆説が隠されているということに気づかなければならない。お歌を味わう人間に、壮絶な布教体験であれ思想的葛藤であれ、ある種の痛みや苦しみの体験がなければ、味わうどころか、単に〝舐めまわす〟といった段階で終わってしまうのではないだろうか。
痛みを伴わない味わい方では、お歌の意味合いを視覚(活字)と聴覚(音声)でとらえることはできても、信仰に必須である魂の感動が全く心に伝わらない。どんなにつらい節に直面しても、その痛みを乗り越える覚悟をもって信仰実践していく気概が、私たち信仰者には求められているといえよう。
二〇〇一年九月十一日に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」以後、私はアフガニスタンのカブールを七度訪問し、テロの悲惨な現場をこの目で見てきた。連日のようにマスメディアで報道される自爆テロのニュースからは、「むほんのねえをきらふ」(二下り目 6)と仰せられる、「みかぐらうた」の一節が鳴り響いてくるようだ。神の厳しい怒りや心配が、その表現の中に込められていることを感じる。親心には、優しさも、厳しさも、怒りもある。
「みかぐらうた」の各下りが意味するところは、形式化され、固定されているのでは決してない。時代の変化によって、またそれを歌い踊る人の心の変化によって、常に揺れ動いている。つまり「みかぐらうた」は生きているのである。そして信仰者の成人が「味わいの」の深みを決定する。その意味で、原典の中で「みかぐらうた」は、最も自由な悟りが体感できる〝信仰的全身運動〟である。ここでの「身体」とは、自分のものではなく、親神様からお借りしている「神のからだ」を意味している。
したがって、「みかぐらうた」の唱和や手振りを通して得られた新たな悟りや解釈は、私たちの心の自由や理性によって生じたものというよりも、かしもの・かりものである身体を通して与え・伝えられる、親神様の思召に近いものと理解される。存命の教祖がその身体を通して、自ら歌い踊られて伝えられたものを、私たちがそのまま学び反復することは、ひながたの道に直結する。
これらのことから「みかぐらうた」は、〝第一の原典〟であると私は考える。
歴史的順序から見ても、明治二年に始められた「おふでさき」は、慶応二年に完成された「みかぐらうた」や、明治十四年から見られる「こふき」話の根本理念を、しかも和歌という形式を用いて論理・構造的に後ほど言語筆記されたものである。その思召の全体像を総合的に把握するためには、高度の知的能力が要求される。しかし、難解ではあるが普遍に通じる思想は、柔軟でやさしい表現でなされる。「おふでさき」がそうであるのは、詩歌の形式が最適だからである。
「口記」としての「みかぐらうた」
教祖は、十歳のころより母の唱える和讃を暗唱されていたといわれる。別の言葉でいえば、和讃は視覚による書記言語ではなく、聴覚で記憶されたのである。「みかぐらうた」が教祖の口授による繰り返しの学びによって、後ほど先人によって活字化されたという推測の根拠は、この史実における教祖の記憶の原体験にもある。以下、『稿本天理教教祖伝逸話篇』を通して、「みかぐらうた」は「口記」であるという仮説の検証を行ってみたい。
逸話篇一八「理の歌」では、十二下りのお歌が出来たときに、教祖は「これが、つとめの歌や」と仰せられたという。ところが、逸話篇一九「子供が羽根を」においては、「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、同八月に到る八カ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたものです。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります」とあり、一八の「これが、つとめの歌や」と十二下りのテキストを一挙に皆の者に見せられたと理解されがちな表現と矛盾しているように思われる。また、手振りの完成には三年かかられたとしても、真剣な学び手である先人が、短い十二下りの数え歌を覚えるのに八カ月もかかるとは考えにくい。
「神様が刻言々々に、お教え下されたものです」と、史実が語っている。だとすれば、教祖直筆の「みかぐらうた」の原本は、最初から存在していなかったのではないだろうか。「みかぐらうた」の写本形式は「おふでさき」のように原本を見て写されたとは考えにくい。「みかぐらうた」は祈りの歌であり、身体動作を伴う「宗教舞踊」であったから、筆記言語を媒体としてではなく、数え歌形式としての「こふき」話の形をとって、教祖自らその「理」を歌い、踊られて示されたという推測が成り立つ。
したがって、「おふでさき」とは違い、「みかぐらうた」は多数にわたる写本が継承されていた。聞き手によって、神名の表記が「天輪王」であったり「天龍王」であったりしたのも、その理由からと想像される。逸話篇二二「おふでさき御執筆」において、教祖が「七十二才の正月に、初めて筆執りました」と述懐しておられる史実は、慶応二年に製作された「みかぐらうた」が、教祖の口授による「口記」であるという決定的な検証となるだろう。
「みかぐらうた」と現代についての考え方
「みかぐらうた」と現代という問題を追求するためには、「みかぐらうた」という原典から、過去と未来をつなぐ現代的価値をどのようにして紡ぎ出すかが大切だ。そのためには、先入観によって導かれた解釈をいったん疑うこと、さらには否定すること、切断することの勇気が求められる。そこから一名一人の信仰的解釈にむけて、真の思索が深化・展開していくきっかけと感動が生まれる。
個々の非可視的なさまざまな独自的悟りは、それが説得性と普遍性を獲得する可能性を持つ限りにおいて、既存の信仰共同体を形成する「根の世界」を強化する。単なる既成の書記言語の解釈の説明や反復だけでは、それは先人の個人的悟りの紹介に過ぎず、独自性や独創性に欠け、世界宗教として要求される教学や神学の進歩条件を満たすことにはならない。つまり、混迷を極める現代において「みかぐらうた」を釈義し、その素晴らしさを伝えようとしても、さまざまな社会問題に解決の糸口を与えるものでなければ、いくらお歌を比較、分析したところで、表記文字の〝説明〟に終わってしまいかねない。個々の信仰体験から得られた独自の悟りはもとより、時代に即した新たな解釈が生み出されなければ、意味がないように思えてならないのである。
新しい時代には、新しい思想が求められる。というより、新しい時代は、新しい思想によってつくられると言ったほうがいいだろう。その求めに応えるためには、第一に、過去・現在にかかわらず、他人の解釈に追従することなく、疑問を持ち、それらを超えることの活学的努力と、多数派の見解が必ずしも正しいと思わないという、懐疑的精神が求められる。新しい時代を変革する思想は、現実の世界におけるさまざま非合理な矛盾と、あるべき理想的世界との狭間にあって、それを克服できない自分が無力であることへの自己批判から始まる。それには常に不条理をベースとした現状批判が付随するが、この事実は「素直であれ」「従順であれ」という個人の道徳律とは異次元の社会的レベルの価値観にあることを知らねばならない。
そして第二に、人の意見を鵜呑みにするのではなく、おふでさき第十七号の締めに啓示されている、
いまゝでのよふなる事ハゆハんでな
これからさきハ悟りばかりや (十七 71)
これをはな一れつ心しやんたのむで (十七 75)
との親神様の思召を真剣にとらえ直すこと、さらには、「悟りというは、幾重の理もある」(明治25・7・25)とのおさしづの重大な意味世界の前後を読み飛ばさずに、そのお言葉の直前でいったん立ち止まって深く思索すること。
そして第三に、答えを人に教えてもらうのではなく、
ふかいこゝろがあるなれバ
たれもとめるでないほどに (七下り目 2)
とのお歌に勇気づけられて、自らの努力で独自の神に向かう思索回路を徹底して貫くことだ。そのためには知識の領域から脱出して、既成概念にとらわれることなく「自分ならどうする」と自問する癖を身につけておかなければならない。「思案してみよ」と繰り返し要請されるのは、この点にある。
人間には、神から与えられた心の自由が、かしもの・かりものである身体部分の「頭脳」に、十全の守護の働きを通して「智慧の仕込み」として収斂されている。人間創造の目的は、「陽気ぐらし」であり、その「陽気」とは、すべての事象に対してポジティブ(積極的・非受け身的)な姿勢、つまり「勇み」を意味している。「こゝろすみきれごくらくや」(十下り目 4)とは、個人的・内面的な理想郷だけを求められているのではない。極楽とは、極楽浄土の略語である。浄土を現世に実現するのが一れつきょうだいに与えられた究極の目的であるから、その理想郷はあくまでも現世的であるというのが、天理教のだめの教えたる所以である。
「陽気ぐらし」は、親神様のご守護のもと、個々の自律的努力なしには達成できない。それは信仰者からいえば、自己の「思案」を通して「悟り」に至る宗教的「自己教育」の意味であり、これこそが人類創造の目的である「陽気ぐらし」への具体的想像力を持続させる。これによって、過去に存在しなかった新しいアイデアや普遍思想が生み出される。「陽気ぐらし」は終末論ではない。
明治二十年、教祖が現身をおかくしになる前後の神人問答は、単なる歴史的説明文言を超えて、過去、現代を通して、未来永劫に生き続け、われわれ信仰者に常に重大な問いを発していると認識しなければならない。「やしろ」の「扉」が開かれたという真実は時空を超えている。しかし一方、私たちの「こころ」の「扉」が開かれていなければ、はるかな未来の地平に「陽気ぐらし」の前景が視野に入って来ることはない。
往還道への道筋は、「おふでさき」や『稿本天理教教祖伝逸話篇』に示されているように、その解釈の仕方によって、あるいは異なる文化や地域によって幾筋もあるだろう。
いずれにしても、未来をポジティブ(陽気)に取り入れるために、真の「あらきとうりよう」としての覚悟と矜持が急き込まれている。私たちはいま、未曾有の時代に直面しており、自らの信仰姿勢を真剣に見詰め直すことが求められている。
「みかぐらうた」を「味わう」に際しては、「いま・ここにある自分にとって、このお歌の意味するところは何か」を悟ることが大切である。これを常に意識し、歌い舞うことによって、教祖の声を聴き取らせて頂き自らの信仰に対する責任を全うしなければならない。
つまり、生きている「みかぐらうた」を深く「味わう」ことにより、私たち信仰者はさらなる成人へと生かされて行く。これが「みかぐらうた」を「味わう」ことの意義である。
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「新国際貧困緩和少額融資活動」~アフリカ人と日本人をつなぐ
http://inoueakio.exblog.jp/12638658/
2009-09-02T09:55:00+09:00
2010-05-14T11:05:23+09:00
2010-05-14T11:05:23+09:00
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アフリカ
開発途上国向けの貧困緩和自立支援を目的としたムハンマド・ユヌス氏が、マイクロ・ファイナンス(少額融資)でひろく世界の貧困緩和に貢献しノーベル賞を受賞したのは有名である。グラミン銀行を代表とする無利子で融資をおこなうこのマイクロ・ファイナンスに対して、最近開発途上国の小企業家向けに実働しはじめたのが、専用ウェブサイトを立ち上げて運営をおこなうマイクロ・レンディング(少額貸付)という新たな注目すべきシステムである。後者は、とりわけ個人が貧困から抜け出し、より豊かな生活を求め、さらには小規模ビジネスの立ち上げに意欲をもつ人たちにむけて、低利子・無担保の条件での資金融資を行うと同時に、投資者にむけても利潤還元する点にその特徴がある。
アフリカ大陸の貧困緩和自立支援活動を目的として、ウェブサイトを媒体としたこの新たな投資・貸与活動がウガンダで昨年はじめて立ち上げられた。このマイクロ・レンディングサイトは、デンマーク政府援助機関ダニダが支援するデンマークの企業家によって設立され、MyC4と呼ばれる。本年9月、第2回天理大学東アフリカ貧困緩和自立支援調査・活動で再会した映像作家ロナルド・イサビリエ氏が、MyC4のウガンダパートナーとしてその代表者になっているのを知り、彼から綿密なヒアリングをおこなう機会をえた。わが国ではまだ知られていない、将来期待されるモデル・プロジェクトとして紹介しておきたい。
マイクロ・レンディングは通常の投資と比較するとその利益率は少ないが、その投資がもたらす貧困緩和への社会的付加価値は絶大であると思われる。ウガンダの国立統計局によると国民の「失業率」は3.5%であるが、若者の失業率は22%を超えているといわれる。しかし、実際は国民の労働人口の70%が変則的なビジネスに従事しているか、もともと職をもった経験がないから、公表された「失業率」の数字は信用できない。ヨーロッパの労働基準からみれば、ウガンダに限らずアフリカ大陸は単純ではあるが、なべて相当な潜在的労働力をもっていると見られる。ビジネスに対する専門的な知識と資本さえ与えれば、その巨大な潜在能力を開発することにより、国家の貧困緩和政策は、対政府間国際援助よりも、この草の根レベルの小企業化運動をとおして成功するのではないかと思われた。
MyC4は、ウガンダにおいて小資本融資事業部門であるCapital Micro Credit(CMC)と企業開発事業部門であるFederation for Entrepreneurship Development(FED)をパートナーとして活動をおこなっている。イサビリエ氏は、両部門の代表を兼任し、その活動振りがムセベニ大統領の写真入で現地の新聞で大きく取り上げられた。
融資支援を申し込んだ個人のビジネス案に評価が下されると、CMC/FEDはその企業提案をMyC4に送信する。MyC4はその企画案をウェブサイトに掲載し投資者を募る。最も金利の低い資金提供者が当案件の資金提供の権利を落札する。MyC4は現在74カ国から7,754人の投資家の実績を誇り、ウガンダでは99%の被融資者が利子の返還をおこなっている。投資者の受け取る利子の平均値は12.8%である。ウガンダでは銀行融資には26%、マイクロ・ファイナンスは35%の利子が課せられる。くわえて銀行は融資額200%の担保を要求する。貧困層にはとても手が出ない。そこへ無担保、低利子で融資が得られる新たな貧困緩和自立事業がインターネットを通して可能となった。融資を申し出る70%が女性であり、その個人零細企業の充実にむけた活動の成果は確実に草の根コミュニティー開発に貢献している。
MyC4の事業はケニア、タンザニアなどにも広がりを見せている。投資者にも利子が還元され、被融資者にも生活の向上が自助努力によって約束される新たなインターネット・ローンシステムは、グローバル化による21世紀の世界的貧困格差を解消するおおきな希望を提供する試みとして、注目していきたい。
上記は2008年11月号の『グローカル天理』巻頭言で取り上げた先進国による発展途上国に対するイーコルパートナーシップのもとに開発された新たな貧困緩和事業のアフリカ大陸における一例である。その翌年、つまり第三回ウガンダ貧困緩和自立支援調査研究活動2009年8月において、イサビリエ氏と面談し新たな氏の顧客について情報交換をおこなった。氏の活動はケニアとタンザニアにも広がりを見せつつあり、その状況を映画に納めてもらう約束をし、ハンディな三洋電機から提供された映写機を提供してきた。その映像は第三回隊活動のフィルムに収めてある。
その後たまたまウガンダから帰国した筆者の目にとまったのが、日本経新聞夕刊に連載された金融で世界の貧困をなくしたいという記事であった。記事はミクロフィナンス融資機関を米ワシントンDCで起業した感動的な栃迫篤昌氏という一日本人男性による活動を紹介していた。
氏は日本の銀行に27年勤めた後に、2003年、社会の底辺層に金融機関を使えるようにすることで、世界の貧困を解消したいというメキシコ留学時代にふれた貧困家庭の少年との出会いをとおして、「貧しくても一生懸命働く人が次の段階に上がれるチャンスを提供する金融サービスを提供したい」という誓いを立てた。そして青年はその30年後にその誓いを実現したという苦労ばなしであった。彼はこれまで金融機関に相手にされなかった低所得者層に国際的な金融サービスを提供するマイクロファイナンス・インターナショナル・コーポレーションを立ち上げたのである。筆者は感動してその記事をすぐさま英訳し、ウガンダのイサビリエに送信した。イサビリエは即座に反応し、栃迫氏にメイルを打ち、栃迫氏自身と筆者との三名による文通がはじまった。その日はくしくも10月26日の深夜で立教の日であった。ワシントンDCの日本人とウガンダの青年企業家が貧困緩和事業をとおして意気投合したのである。将来の両者共同による貧困緩和自立支援の新事業の展開を期待すること大なるものがある。
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第3回東アフリカ貧困緩和自律支援活動写真報告
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2009-09-02T09:54:00+09:00
2009-10-21T10:01:49+09:00
2009-10-21T10:01:49+09:00
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アフリカ
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第三回ウガンダ貧困緩和自立支援調査研究活動2009
http://inoueakio.exblog.jp/11267552/
2009-09-01T12:53:00+09:00
2009-10-02T12:55:17+09:00
2009-10-02T12:55:17+09:00
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アフリカ
2009年9月2日 井上昭夫記
今回の他者への献身プロジェクトは二班に分かれて推進された。
第1次隊は、おやさと研究所所長の河口尊助手、渡辺菊眞高知工科大学准教授、江崎貴洋環境デザインスタジオ・セブン+4、と高橋俊也環境造形システム研究所員の4隊員からなり、河口以外は学外よりの自費参加で、渡辺は本学の過去における企画に参加したベテラン建築デザイナーであり、建築史の専門家である。渡辺、江崎は土嚢建築をヨルダンでもNGOから依頼されて、ここ数年その仕事に携わっている。
第2次隊は、筆者と「カブールトライアングル」の製作共同者ハグマシーン代表の井上春生映画監督の2名であった。第1次隊は、8月4日に関空を出発し18日に帰国した。第2次隊は、8月8日に出発してウガンダで第1次隊と合流し、14日にウガンダを立ち、デリーに3泊した。デリーでは、カブールより招聘したAfghan Film の所長アーマド・ラティフ映画監督をまじえて、South Asia Foundationの書記長を勤めるラフール・バルァ氏と映画による平和構築に関する情報交換を行った。ラティフ氏は本学創立80周年記念事業であるシンポジウム参加のために来学し、記念講演を氏の製作した映画紹介とともに地域文化センター主宰の記念プログラムで行ったことがある。一方バルァ氏は1991年に発足したゴア国際映画祭の主宰者で、氏からは現在準備中のインドを中心とした近隣8カ国のBuddha and Peaceのドキュメンタリー映画の日本紹介や、新映画企画についての共同制作を提案された。話し合いにおいては、来年度の平城遷都1300年祭記念事業に結びつける映画製作企画の可能性を検討した。くわえて、同基金が開発する貧困地域を視察し、陶器製造を主とした家族単位作業の映画記録撮影を克明に行った。加えて宿泊所の近くにあったサイババ寺院などを早朝訪問し、参拝者へのインタビューや映画撮影をおこない、19日に帰国した。
第1次隊は、白ナイルの源流があるジンジャ市近くのUganda Namutumba Isegero に位置するブソガ族の寒村において一週間にわたり土嚢建築をおこない、一棟のドームモデルを現地の建築家などとともに完成した。彼らは我々との作業に学んで、渡辺氏が設計したユニットを独自に将来仕上げる予定である。事の発端は、昨年マケレレレ大学の合同会議で紹介されたヴィクトリア湖畔カージにおいて建築を始めた自然建築・土嚢ドームに倣ったシェルターを建てて欲しいというMultiversity Paolo Wangoola 学長の依頼による。ワンゴーラ学長はブソガ族出身で英国に留学した知識人であり、消え行くブソガ族の言語と文化の保存に意欲を燃やしている反グローバリゼーションの先鋒として知られる人材である。出発前の彼との主義思想論議に関するメイル交換はゆうに一巻の書物になるほどである。
一方気がかりであったカージのエコヴィリッジ・ユニットのその後と、アグリトピアの原型は植樹によってほぼ完成に近づいていた。ユニットの中心棟は約8メートルの高さで、3000枚の土嚢を積み上げたドームである。自然建築カテゴリーのホープである土嚢ドーム建築界においては、世界一の高さを誇り、ギネスものだと感動した次第である。
第2次隊は、到着直後Isegero village にむかい第1次隊と合流し、ワンゴーラ学長を主体とするブソガ族の植林やアグロフォレストリーなどを視察。第1次隊が完成したモデル土嚢ドームや土着の伝統的住居などを視察し、ブソガ族をはじめ子供達や家族の生活様相などの映画撮影をおこなった。今回の土嚢建築には400枚の土嚢を日本から持参し、昨年参加したカージ村における土嚢建築経験者であるキクング村出身の孤児一人の協力を通訳と実務をかねて依頼した。
1次隊の河口は2次隊の到着後一次隊と2次隊がインドへ出発するまでに合流した。上記自費参加の他学の3名は、首都カンパラにおいて自主行動を取り東アフリカの伝統的建造物の調査をおこなった。河口は、日本から持参したMJCO2 デジタル CO2 モニターとクリーン・チェッカーを使って、34箇所において空気・大気汚染と水質汚染の調査を行った。
キクング村では、天理丸に乗船し、貧困離島において浄水器を使用した。昨年寄贈したこの浄水器は、マケレレ大学自然科学環境所のJames Okot教授が、ウガンダの各地において調査研究中のものを一時拝借したものである。日本から持参した100枚の大型のビニール袋にヴィクトリア湖水の汚染した水を浄水し、現地の主婦や子供たちに約2時間手動で飲み水を提供し、感謝された。キクングにおいては、新しい布教所(那美岐大教会系キグング集団所)の仮神殿が立派に完成していた。天理丸はそのそばにあるヴィクトリア湖畔に係留してある。孤児たちを支援する集団所が経営するNGO・どじょうの援助資金は、天理丸を貸し出すことによる収入が基金となり、かれらの生活の基盤となっている。天理丸の寄贈が自立支援の目的の一端を果たしていることを知り、感動した次第である。今回も準備段階において本学卒のウガンダミッションセンター石原藤彦所長の協力を得た。筆者は到着直後の現地人との打ち合わせにおいて、脳梗塞後遺症を伴う疲労のため意識を失い、救急車で病院に運ばれたが、翌日からは不思議に予定をどうやらこなして無事帰国した。すべてに感謝している次第である。
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2009巻頭言集7月~12月号
http://inoueakio.exblog.jp/10569330/
2009-07-01T17:11:00+09:00
2009-12-08T09:59:33+09:00
2009-07-07T17:15:38+09:00
inoueakio
巻頭言集
海外伝道における「律」と「心定め」
憲法を有する国家には、その国特有の歴史や伝統的宗教、そして国際政治的立場を決定する「律」というものがある。たとえば、徴兵制度、良心的兵役拒否、代理母、堕胎、死刑制度、同性愛結婚の是非などである。こういったグローバルな問題に対する意識は、海外だけでなく派遣主体国家自身における布教師にとっても最重要点となる。信仰における神の「理」をとおすとは、「理」を知ることをふまえて、「理」が分かることが前提となる。「理」をとおすとは、教説をことば通り単純に反復主張するのではない。とくに海外においては、その国において責任をもって布教する一人の異文化伝道者が、本国では体験できない異文化の「思案」のフィルターをとおして解釈し、あるときは異文化の価値観や自国の「律」を否定し、相互矛盾を超えていく責任を伴う勇気が求められる。文化適応や説教や祈願だけでは真の救済伝道にならないからである。
救済儀式を否定する国家の「律」があっても「心定め」が第一であると教えられた天理教教祖年祭の元一日となる神人問答の意味は、教祖の命がかかった決定的瞬間における教史の単なる反復解説に終わるものではない。それは、いつでも、どこにおいても、最も真剣に己の命を代償にして問われ、実践されるべき課題であることを認識しておかねばならない。とくに現代の宗教者にはこの点が問われている。しかし、日本の宗教者はなべてあれかこれかの二者択一を突き詰められる問題からは逃避しがちである。
現代における組織の縦系列にある海外伝道者の心理と苦しみのレベルは、単純な「知識」のレベルに短期的に居座って異文化圏において研究・発言している文化人類学者や護教的宗教学者とはその中身が異なる。しかし布教師が悩まされるのは、じつは語学以前の問題点にある。そこには現地伝道者の気持ちが、なかなかストレートに派遣国主体者に伝わらないという現実がある。他の日本の宗教もレベルの差こそあれ、類似的問題をかかえているが故に、文化・政治的に複雑な問題については、明確な回答を避ける傾向にある。海外伝道者の派遣主体はおおむね異文化体験者ではないから、日本的な形式や制度が絶対であり、それを変更・改変しては、教理の普遍性が通用しないという思い込みが未だにあるようだ。世界宗教者平和会議などが虚しいのは、このような隠された背景が原因となっているのかもしれない。
天理教を例にとれば、英語版の手振りと調和可能な「みかぐらうた」試案は、日系二、三世信者たちの長年の努力によってほぼ完成している。ならばなぜ、派遣主体責任者がそれを採択する方向に積極的に進めない原因はどこにあるのだろうか。試案が不十分であるからという言い訳は、完成にかぎりなく近づける「心定め」と努力によって解消する。原因の根本は、非日系人対象の布教意欲昂揚にむけた積極的な戦略や苦しみの体験を本国の指導者が共有していないからであろう。「世界化」に向かう正しい総合的理解力なしには、異文化布教現場における問題点に感情移入はできない。また、教えの「地域化」もありえない。
だからといって現地の意見を差しおいて一足飛びに「てをどり」の動作に対応する「みかぐらうた」の翻訳権威本をつくり、それを派遣主体が現地に採択を押し付けることは拙速にすぎる。神言の「理」をはき違えてはならない。まず海外の諸地域において、それぞれの海外布教師が現地の受容者と協力して試作本をつくり、それを持ち寄って統一見解に至ることがのぞましい。じじつ韓国においては、それがほぼ実現して成功している。原典の外国語翻訳や儀式の諸形態についても同様の原則が当てはめられるべきであろう。一世紀の伝道体験を経ても、天理教海外信者のほとんどが日系人で占められている原因は、いまだに明治20年の「おさしづ」のキーワードである「律」の意味を「グローカル」に解釈しようとする意志とパラダイムに目覚めていないからだろうと思われる。
2009年8月
マイケル・ジャクソンの「顔」と「元の理」
「ポップの帝王」と称された米国の歌手マイケル・ジャクソンが6月25日に50歳で急死した。各紙が一斉にトップ記事で報じ、ファンが病院に殺到したという。ダンサーに囲まれて踊りながら歌うスタイルは彼があみだしたもので、今の日本の音楽シーンもマイケルの影響なしには語れない。彼が急逝して今日で10日目だが、米国は依然として追悼ムードに包まれ、日本のメディアの報道も「マイケル現象」に加熱気味だ。「スリラー」1億枚を売り上げたポップの帝王の生涯は、整形・醜聞・借金まみれの一生でもあったという報道には別に驚かないが、マイケルといえばすぐ思い出すのは、ポップのリズムではなく、華麗な「ムーンウォーク」のあの天才的な動作を見せた瞬間の映像だけである。「ムーンウォーク」といわれる見たこともなかった独特の動きは、思い出すと今でも瞬時に月面の世界とつながり、背景の音楽は完全に記憶から消えている。あの動作が音楽を消し去ってしまったかのようだ。動作を音楽に合わせているのではなく、逆に音楽が動作に引きずられているような印象をもった。
考えてみれば月面は無音の世界である。アポロ12号で月面着地したピート・コンラッドや、地球に帰還したのち画家になったアラン・ビーンからも、その月面の持つ静寂さについては聞いていた。太平洋に着地し、カプセルから這い出て、救命ボートに乗り移るときに聞こえてきたさざなみの音に一番感動したと述べたビーンの言葉をいま思い出している。過去に数多く出会った世界の宇宙飛行士たちとマイケルのイメージが「ムーンウォーク」をとおして瞬時に重なるのは不思議だ。世界はあたかも彼が宇宙人であったかのような騒ぎをかもし出している。「不世出の天才」といわれているのは、絶え間ない努力に裏打ちされているからだろう。死ぬ数日前に、看護師にからだの片方は熱くてたまらず、片方は冷たくて、全身が縦に二極化されたような感じで我慢できないという意味の電話がかかってきたらしい。
身体を生かしている水と火、水気と温みの機能が極端に二分化するということは何を意味しているのだろうか。
筆者が関心を持つのは、マイケルの死因とか、音楽、奇行、遺産、遺書とかいった類のものではない。彼が白人に限りなく変身しようとするその行為の理由と、最後に見せた妖怪のように変形したあの「顔」である。その最後の「顔」はひと目で、目をそむけたくなる奇怪感と嫌悪感をもよおす。これが人種や性別、年齢の壁をこえるユートピアを作り上げようと努力してきた彼の夢の結末であったかと思うと、その突然の死の[顔]は、人生の収支計算以上の悲惨の極限を感じさせる。
作家トニ・モリスンの近著『慈悲』に、黒人が白人の奴隷商人をはじめて見たときの印象を語った場面がある。白人の肌があまりに白かったために、アフリカの女性が彼を「病気か死んでいるのかと思った」というのだ。マイケルも自己を純真さと愛らしさの象徴へと改造しようとしていた。「だが、そうした策略には行き過ぎがつきものだ。彼の顔はどんどん死人に近づいていった」とデービッド・ゲーツは『NEWSWEEK』(09.7.8)の追悼特集で語っている。
人間の「顔」は、こころを現す生命を代表する複合機関である。解剖学では「顔」を内臓頭蓋とよぶ。天理教の人間創造説話「元の理」において、「人間の顔」はまず神によって眺められ、その心を神は見澄まされたのである。親なる神は、その子供である人間の「顔」を見下ろし命令したのではなく、「面」と向って映し鏡のようにその「顔」と対面し、その「心」を見澄ました後、人間世界を創めることについて「神のそふだんしまりついたり」(ふVI-39)と教えられる。集団を代表する「顔」に対して、しない者の「顔」は「つら」とか「おもて」ともいわれる。表情のない「面」は、「面」と向うことのない上下関係であり、対面する「顔」に見られるような同等な関係を示していない。マイケルの変貌した「顔」は、その内面と矛盾したがゆえに破局をもたらした神への反逆であったのかもしれない。
現代の寵児マイケルの突然死は、宗教者に対して一体何を暗示しているのであろうか。
2009年9月
「宇宙教育」と「亀」の「つなぎ」
史上初の人工衛星は1957年に打ち上げられたソ連のスプートニク1号である。その宇宙からの発信音には、当時留学していたハワイ大学のキャンパスで仲間と共に聞き耳をたてた。アポロ9号のラッセル・シュワイカートは天理に3度も足を運んでいるが、彼は同じスプートニクの発信音をカリフォルニア大学バークレイ校の学生食堂で聞いていて、宇宙飛行士になる決心をしたと筆者に語ったことがある。その翌年、ソ連に遅れをとった米国はNASAを設立した。1959年には、ソ連はルナ2号を初めて月に到達させた。今年はその50年目の年にあたる。
最初に生物を月に送ったのはやはりソ連で、それはバイコヌールで採集した4匹の亀であった。ソ連の宇宙飛行士オレグ・マカロフから聞いた。一方『Diary of a Cosmonaut 211 Days in Space』 の著者であるヴァレンティン・レベデフは、インド洋に無事生きて帰還した4匹の亀を、カプセルから取り上げモスクワに持ち帰ったという。その後レベデフは高血圧症状を強靭な意志でのりこえ、ソ連の宇宙飛行士(コズモノート)となる。彼が宇宙滞在をサリュートー7号で211日間滞在したときの日記の抄訳は、拙著『こころの進化─「宇宙意識」への目覚め』(フォレスト出版、1997)で紹介している。
最初に「亀」が月を周遊した地球の生物であったことは、天理人間世界創造説話「元の理」において「亀」が女性や「つなぎ」の機能を象徴することを思うと、宇宙と人間の関係性を考えるに際しても、想像力ははてしなく異界へと広がって行く。
一方、若田光一宇宙飛行士が初めて国際宇宙ステーションからソユーズ宇宙船に搭乗したことを日本のメディアがいっせいに報道している。微重力船内での諸活動についても映像で珍しく取り上げられているが、宇宙飛行の歴史から見れば、これらはすべて宇宙教育としては一昔まえのレベルと同じ取り上げられ方だ。そもそも日本には「宇宙教育」というシステムが稼動していないのではないか。宇宙教育・スペースエデュケーションといえば、NASAが飛びぬけて充実している。
宇宙空間の商業的利用に反対するわけではない。しかし、これからの宇宙開発も、その進歩を促した同じ先端科学技術が惑星・地球環境の破壊をもたらしたように、宇宙環境破壊をもたらすかも知れない。宇宙開発によるロケットや衛星、そして宇宙船の破片はすでに膨大な宇宙ゴミとなって、いまこの惑星・地球を取り巻いている。こういった開発の陰の面に注意を向けさせるのは、科学そのものではなく、宇宙と人間、自然と生命の密接な関わりを認識する鋭い感性である。その感性は、正しい自然科学教育と人文・社会的教育のバランスによって育まれる。ここに真の宇宙教育の意義がある。
人間は心をもった存在であるから、必ずしも宇宙産業の拡大発展は、国民生活の内的・精神的成長に寄与するとは限らない。巨大な経費のかかる宇宙開発を否定するものではない。逆に、宇宙そのものが潜在的にもつ人類への教育的価値に注目して、1990年人文・社会系と自然科学系の学問に携わる学者・知識人の協力を得て、筆者が世話人となって日本国際宇宙文化会議が発足した。延べ数十人の宇宙飛行士を我が国に招聘して、各地でさまざまな国際シンポジウムや講演会、写真展などを開き、啓蒙に努めてきた。また、一昨年北京で開催された国際宇宙大学夏季講座に講師として参加し、宇宙教育に関する情報交換をおこなったが、関心は内面的宇宙の方向に逆転し、外的宇宙活動にたいする興味は薄れてしまった。
我が天理大学は2010年度の再改革に当たって、育成する人材像に「ローカル」に行動し、「グローバル」に考える「グローカル」な人材養成を掲げている。しかし、いまや価値観は逆転し、混沌化する世界は真に「ローカル」(内的・地元的)に考え「グローバル」(外的・世界的)に挑戦・行動する勇気ある人材を求める、新たな「亀」(つなぎ)の時代に突入しているのではないか。そのためには宗教私学として「宇宙教育」を取り入れることはその独自性を発信することになる。宇宙は神の「からだ」と教えられるからである。
2009年10月
政権交代と地方自治選
8月30日の第45回総選挙は、民主党が単独過半数を獲得、新政権が発足することとなった。日本の民主主義の前進が、衝撃的な数字で示されたのである。この総選挙は明治憲法が発布された1889年から数えて120年、日本憲政史上、初めての大事件といわれる。自民党は公示前勢力の3分の1余りに激減する衝撃的な惨敗。1955年の結党以来続いた自民党「第一党」体制は、圧倒的な数字で終止符を打った。全国の投票率も平均69.28%で、現行制度では過去最高。奈良県も過去最高の71.4%を示した。しかし、53,427名の有権者をもつわが天理市の投票率は68.04%で、県内市町村別投票率では最低の数字を示している。政治や行政に関心が低い宗教都市と評価されても仕方がない。
奈良県といえば、県内市町村の平均経常収支比率が07年度決算で98.6%で、2年連続全国ワースト1になったと発表され、赤字市町村数も7市町で3年連続で全国最悪。同規模の自治体に比べて職員数が多いことや、バブル期以降に景気対策で立ち上げた公共事業の借金返済などで、財政状況は前年度より悪化しているといわれる(『毎日新聞』2009年4月10日)。天理市はその象徴的存在で、たとえば13万坪もある福住テクノ開発予定地の頓挫で、あらたな解決策やヴィジョンを長期間提示し得ないまま、毎年2億円の借財を市民税や寄付金などで支払い続けている有様である。財政状況を立て直すためには、他府県や市町村が懸命に改革しようとする政策モデルに見習って、しかるべき役職の退職金の廃止や、入札システムの徹底した改革、そして補助金などの支出実態の説明責任を市民に果たし、見直しを速やかに実施すべきであろう。
上記懸案に関して、衆院戦の圧勝で新政権に動き出す民主党の「現在計画中または建築中のダムはすべて凍結し、地域自治体住民とともに必要性を再検討するなど、治水政策の転換を図る」とするマニフェスト(政権公約)に対して、選挙の翌日早くも国土交通省が、9月に実施予定だった八ツ場ダム(群馬県)に関する、本体工事の施工業者を決める入札を凍結する方針を固めたという変化に注目したい。この動きを受けて、ダム以外の公共事業においても同様の動きが地域行政に広がる可能性がでてきたからである。その翌日の9月1日(『毎日新聞』)には、列島各地で建設・計画中のダム事業が大きな岐路に立つこととなったという激震情報が、関連する府県知事、反対地元議員、そしてNGOなどに一挙に広がった。「ダムは地域住民の民意を反映していない。どれほどのメリットがあるのか」との思いが強い。環境問題や治水効果、経済効果に疑問をもつ人たちに、ようやく転機が訪れ、新政権に大きな期待を寄せ始めたのである。
筆者はかつて日本海におけるナホトカ号の重油事故環境汚染修復事業に際して、米国の環境庁サンフランシスコ支部に重油のサンプルを届け、福井県三国町の現場でバイオレメディエーションという微生物による汚染サイトの修復技術を活用しようとした。またエクソンバルディーズ号事故に関わった専門家を米国より招請・紹介し、国際シンポジウムを企画・開催したり、米国各地の汚染地修復実験場を視察した。現在東アフリカで行っている持続可能な貧困緩和自立支援事業についても、バイオの活用を採用している。つまり、エコロジーに関する環境問題については人一倍に関心がある。
そのような次第で、たまたま友人から一昨日、化学物質による汚染問題に取り組んできた「奈良ごみの会」代表の別処珠樹『ごみクライシス』(技術と人間、1999年)を薦められ一読して驚愕した。大和高原の幹線・国道369号線につながる「柳生街道」は、すでに「産廃街道」であるという実態が赤裸々に検証されている。「柳生街道」は福住町や「山辺の道」とは無縁ではない。ローカルの視点が欠落していたと深く反省した次第である。
国選の激風を受けて、10月の天理市長選・立候補者の「マニフェスト」に注目し、賢明な選択を行い、財政全国最悪県における最悪市の汚名返上にむけて、一市民として天理市行政改革の実施に注視・協力したいと考えている。激動の再出発はなるか。
2009年11月
スピリチュアリティと宗教間対話批判
神秘主義者イヴリン・アンダーヒル(1875~1941)は、フリードリヒ・フォン・ヒューゲル(1852~1925)から強い影響を受けて、真の宗教生活は、「組織」、「知性」、そして「神秘性」の3要素から成っているとした。彼女がその著書の中で一貫して強調している点は、「霊性にある生活とは現実の社会と具体的な関わりを持つ生きかたのことだ」というごく当たり前の結論にある。彼女は、その主著『礼拝』(1936)の中では、個人中心的神秘主義に反発し、他のさまざまな信仰に基づいた「共同体」の重要性について書いている。
それはマルクス主義的分析を援用して、人間を取り巻く不義や葛藤の諸問題を明確にし、社会・経済の革命を目指す「解放の神学」の現場における「基礎共同体」のカンペシーノと呼ばれる貧しい小作農の集まりや、フランスの片田舎にあるテゼ共同体「和解の教会堂」を想起させる。テゼ共同体は第2次世界大戦中に創設され、共同体のメンバーは主としてカトリックとプロテスタントの双方から成っていたが、礼拝にはソ連の正教会のイコンも置かれ、正教会でない人たちもその伝統にしたがった礼拝をしているという。修道士たちは、世界各地にある貧困地域のスラムに住み込んでいて、ヨーロッパで開かれる集会には十万人もの若者が各地から押し掛けているといわれる。
筆者が注目するのはテゼ共同体にやってくる修道士たちが、所属する教派の僧院や教会に閉じこもっているのではなく、スラム街に貧者とともに生活しているという信仰の原点、つまり日常性に回帰しているという事実にある。本来、真の宗教的霊性やエコロジー的感性は日常性のなかに姿を現すのであろう。テレビ番組「オーラの泉」のお遊びや、心理療法士の癒しとは異質の世界にある。
テゼ宗教共同体やカンペシーノの「基礎共同体」における宗教指導者には、「日常性」と「霊性」における、異宗教間での信仰の和解の実践が見られる。それは、最近我が国における宗教指導者のヴァチカン詣で、そして国際宗教者平和会議や宗教間対話に散見される非日常的儀式などとは極めて対照的である。霊性やエコロジーに関する意識と、そこから導き出される行為が信仰的に日常化されていなければどのようになるか。単なる異宗教間の祈りの交換や、世界宗教指導者間対話から抽出される他者との共存などというもっともなスローガンに見られる文言は、平和宣言文の蛸壺に収まるだけの話である。
大切なのは他者との共存を阻害する要因を鋭く指摘し、心性還元論に陥ることなく、相互批判と自己批判に耐え得る新たな思考と行為への覚悟がなければ、世界平和を語る資格はないと認識することである。それなくして宗教は、現実世界における貧困格差の是正やテロなどによる紛争の防止、そしてその背景にある国際的な政治・経済的構造の改革を前進させる力には到底なり得ない。筆者は近著『天理教の世界化と地域化』の「文化変容と海外伝道」という章で、宗教間対話の実態に対してその自己矛盾的ありかたに痛烈な批判を行っているので、ここでは繰り返さない。
実践が欠落した保守的宗教家の教説は、その組織に所属する目覚めた信者を教会や寺社から遠ざける。つまり、皮肉にもと言おうか宗教家や宗教学者の非実践的・死学的状況が、現代における浅薄なスピリチュアリティ勃興の原因であるかのようだ。それが、貧困者・被災者などへの日常的祈りや救済活動とは直結しないエゴイスティックな霊性の浅薄さや自教会中心主義、そしてエコロジー理論の虚しさを生んでいると推測されるからである。
天災人為にかかわらず、環境破壊は人間破壊に直結する。その逆も真なりである。現代の宗教家に求められるのは、抽象的な祈りの類ではない。そのあるべき祈りは、まずその宗教家が居住する足元における地域社会の政治・経済的構造を背景にした住民の日常的実態を「グローカル」に感触し、正しく知ることから始まる。
2009年12月
新エネルギーの誕生と地方行政
鳩山由紀夫首相が、国連演説で温暖化ガスの大幅削減を提示し、グローバルな話題を提供している。潘基文国連事務総長は「今こそ行動の時だ。歴史はこれ以上の好機を与えてくれないだろう」と、先進国や途上国に取り組みの推進を力強く呼びかけた。しかし、国内では2020年に1990年比「25%」という削減目標は、高すぎるハードルだとして連合会長や電力総連会からも批判を浴びている。目標値を達成するためには、住宅の断熱化など各家庭でほとんど強制に近い対策が必要になる。国際的協調に異論はないが、自国の国益を後回しにすることとは全く別物という意味の批判である。削減には努力はするが、日本の省エネ技術を生かし、途上国での排出量削減にまず貢献すべきだというわけだ。
しかし、困難な目標への挑戦は、人間と自然・エネルギーの関わりを大きく変える。長い間、近代化を支えてきた化石燃料の世紀が終焉し、太陽光、風力、バイオマスなど再生可能な新エネルギーの世紀が到来した。石炭や石油、そしていつまでも原子力に依存する産業は衰退するだろう。人類はその生存を賭け、新エネルギーの世紀に向けて産業構造の転換を迫られている。悲観することはない、チェンジは常にチャンスでもある。「鳩山イニシアチブ」構想のスピーチライターとも言われる福山哲郎・外務副大臣は「(温暖化ガスを)多く排出する企業に配慮しないとは言わないが、削減によって起こる産業構造の転換、新産業の創造は、自社のビジネスチャンスになり得る。大胆な切り替えができるのが、政権交代ということだ」と説明し、温暖化ガスの削減を、単なる環境対策やエネルギー政策にとどめるつもりはないと応える(『日経ビジネス』09/10/5)。
政権交代後、八ツ場ダム工事中止やハブ空港問題に象徴される国政と地方行政の拮抗・連携のあり方が重要な時局問題として浮上している。これらの問題は、地球温暖化対策における国家と国際政治、ローカルとグローバルの関係が切り離された問題ではないということを意味している。つまり、両極は呼応したグローカルな関係にある。具体的にいえば地球温暖化ガス削減の危機的問題をとおして、ローカルにも新産業創造ヴィジョンや、新たな思想・文化再生の構想力、そしてその実践的覚悟が市民に求められているということであろう。このような次第で、平均経常収支比率が3年連続ワースト1である奈良県の汚名返上が、県政や市町村の保守的市政と財政構造に対する具体的な転換への挑戦をとおして実行に移されることが期待される。がまず求められる。市民の命・くらしが一番などといった代わり映えのしない表向きは無難な安心・安全マニフェストを掲げていても、新しい世紀が要請する危機的問題にはとても実質的に対応できず、次世代からしっぺ返しを受けることにもなりかねない。市民の暮らしを預かる政治家は目的と結果を取り違えてもらっては困る。
宗教都市といわれる天理市では、10月の選挙において現市長が3選を果たした。投票率は55%。去る国選においても、天理市は奈良県の市町村で最低の投票率を記録した。天理市民が如何に政治に無関心であるかの証しである。市はまず財政節約を唱えるなら、限界集落・農業再生と、横浜市庁などが敏速に対応したようにLED照明採用やバイオマス活用のレベルから実践したらどうか。LEDは従来の照明機器に比べ、50%、白球電球と比べると、90%以上消費電力を削減する。有害な紫外線が殆でなく、虫が寄り付かない。日本の仏閣や宗教組織もつぎつぎと環境にも合理的なLEDに急速に転換・対応し始めている。
微生物や樹木の残骸である石油や化石燃料は、環境負荷がおおい上に埋蔵量に限界が見えている。風力は先進国デンマークが指摘し始めたように、低周波音が身体に悪影響を及ぼす。ソーラーは日照時と気候的な限界から我が国には非効率的である。管理に危険を常にはらむ原子力に依存しない、新エネルギー先端科学技術の誕生とその産業化が期待される所以である。
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木を植える男 ポール・コールマン来訪
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2009-06-13T14:44:00+09:00
2009-07-02T14:50:40+09:00
2009-07-02T14:50:40+09:00
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最近の出来事
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最新刊『ユートエコトピア』紹介
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2009-05-28T15:42:00+09:00
2009-05-29T09:23:54+09:00
2009-05-28T15:42:25+09:00
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出版物紹介
ご購入希望の方は、画像2枚目(白黒)を印刷した上、内容に沿って御注文下さい。]]>
2008 ウガンダでの活動写真 16
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2008 ウガンダでの活動写真 15
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2008 ウガンダでの活動写真 14
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2008 ウガンダでの活動写真 13
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2008 ウガンダでの活動写真 12
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