ウガンダ活動日記抄録紹介(未完)ー3ー
●マラリア感染事情:
9月5日(金)-カージ現場で7日(日)の天理丸ヴィクトリア湖「船遊び」についてサムと打ち合わせ。午後インド人が経営する Nandadeep会社を浄水器デモのため天理大学生2名を助手に古屋と再訪問する。同室の渡辺氏が体調を崩し、発熱したので中国人が経営するクリニックで検査の結果マラリアと診断される。風邪薬も併用して、休養を指示。井上も毎夜寒気がして第二次隊に持参してきてもらったホカロンで体を温めていたが、ついにダウン。夜至急に病院へ、血液検査の結果マラリアのパラサイトが見つかったと顕微鏡まで見せてもらう。一週間分の薬をもらい寄宿。休養を命ぜられるが、発熱がないので、歩くとふらふらしながらも仕事を続ける。

9月6日(土)―朝食事、アフリカ学者の和崎春日教授は「井上先生もマラリアになってアフリカのイニシエーションをおえられましたね。おめでとうございます」と笑顔で言われる。氏の教え子である名古屋大学院生の高村美也子もフィールドワークのタンザニアから恩師を訪ねて、われわれと同じホテルに滞在していたが、彼女も数日後高熱を出しマラリアに感染。三日目には完全に回復してけろっとしていたのには驚かされた。高熱にうなされていた彼女、にこにこして曰く「わたしはもう三回経験しているので、マラリア対応についてはなれているのです」。小生のマラリアは、後ほどナイロビの病院で誤診と診断される。帰国後病院で徹底検査をして眩暈の原因を見つけてもらわねば、大変なことになると心配したが、このまま帰国するわけにもいかない。血圧は降下剤を服用しているので異常に高いというほどではない。石原と古屋は一泊の予定で片道7時間かかるラカイ県の日本人が経営するNGO「ムクワノ」孤児院を視察。浄水器のデモンストレーションを行う。水は6時間離れたヴィクトリア湖から、雨水が無くなったときには毎日運ばなければならない水事情の劣悪な地域である。子供たちはため池の汚水を飲んでいるという(写真集参照)。
 午後7時、石原、古屋、井上はフェニックス柏田社長と市内の中華料理屋で会食。氏の40年間にかかわった歴代大統領との話や、ウガンダ経済、政治事情などについて体験者の貴重な情報を3時間ほどついやして聞かせていただく。明日は日本から50数名のミッションがくるので世話どり準備に超多忙の様子。同じレストラントではたまたま在ウ日本大使が会食していて、紹介される。大使の名前は失念したが、本年のウガンダ共和国独立45周年記念パーティーで赴任前に東京で名刺交換した記憶はある。JICA出身の専門家らしい。後ほどこの日本からのミッションは、旧知の外務省中東アフリカ局審議官TICADIV担当者の岡田誠司氏もふくめて、カージのエコヴィリッジ建設現場をビ大使に引率されて視察に訪れた。

●「船遊び」と貧困離島:
9月7日(日)-午前8時、小林、佐藤、曽山、小林舞の研究員は、本日から4日間ブウィンディ国立公園へゴリラの視察旅行に出発する。残留組は予定していたキクング漁村での船外機をレンタルした「天理丸」の村民代表Kilobo Godfrey氏に同乗してもらう、お披露目の進水式を行うために9時半に宿舎を出る。Godfrey氏は右足の不自由でキクング村の身体障害者連盟の代表者でもあるとのこと。午後二時、船首に紺碧の教旗をたなびかせて、天理丸はまずMakusa島にむかう。この島は岩壁からなり、樹木や植物は一本もはえていない。上陸すれば島の反対側の端がすぐに目に入る小さな裸島である。ところ狭しと隣接して建つバラックに住む貧困漁民は、ヴィクトリア湖から捕るテラピアを燻製にして生活をしのいでいる。人口は子供を交えて450人余りという。ほとんどが無学文盲であり、本土とバナナなどのバーター取引をしている様子もみられた。マクサ島代表のKumakech John氏を紹介され、村民を集めて挨拶をすることとなった。島は本年の一月に燻製の火が原因で火災を起こしまるはだかになったとのこと。この事故のウガンダ海上保安庁の対応の仕方はインターネットで知っていたので別にはじめてのはなしではない。その残影がまだ残っていた。悪臭と子供たちが群れ集まる様子は言語に絶する情景であり、忘れることができない。この島で汚染された湖水を浄水器で浄化するデモを古屋と学生が行った。それを見た村民がみるみる浄化される透明な水を求め、ビニール袋をもってあつまってきた(写真集参照)。つまり飲料水が高価で購入できない人たちなのである。

●テラピアのお供え:
次に訪れたのが30分ほど離れたところにあるLwamunyo島である。Makusa島と大差ない貧困漁民が生活する孤島であるが、ここは人口約300人。接岸が簡単にできないので、小舟で天理丸まで迎えに来てもらう。こと時点で筆者は疲れはてボートに飛び移る気迫がなく上陸を拒否したが、村民がまっているので上陸して代表に握手し簡単な挨拶をしてほしいという。若者に担がれて上陸し、Usubuga村長と握手し、Makusa島と同じく島民に英語による挨拶を現地語に通訳してもらって、浄水器のデモを行う。この時点で左の耳が聞こえなくなる。再乗船して日が暮れ始めると魚がつれるということで、ミミズを餌にして数人が湖上に釣り竿を放つ。小生はおふでさきと教祖伝逸話篇の「船遊び」の頁をひらけ並べた赤布クッションの前に座して、釣りを見学。5時15分に最初のテラピア一匹が釣れる。釣ったのは両親をなくして祖父母に育てられている孤児のフレデリック君である(写真集参照)。彼は授業料が支払えなかった4ヶ月間、家計を支えるために漁師の手伝いをして釣りを習ったとか。このテラピアはすぐキクングの信者に燻製にしてもらい、日本に10日に一足先に帰国する古屋氏にことづけて羽田から天理に直送してもらい、存命の教祖に「船遊び」の初穂としてお供えさせていただいた。6時にキクングに帰港。8時日本人組Green Tea HouseRestaurantにて昼食兼夕食。9時半に寄宿後即時就寝。

●ラカイ県での浄水器デモ:
9月8日(月)-石原、古屋二人は片道6時間かけてウガンダの南方に位置するラカイ県の日本人が管理するNGOムクアノを訪問。乾季には孤児たちは6時間かけて毎日はるか遠方の湖水に水汲みに出かけるのが日課とか。雨水は低地にたまっているが濁っていて飲料水には適さない。その上澄を飲んでいる状況であるという。そこで浄化水のデモを行う(写真集参照)。
 渡辺と井上はカージの現場へ向かい、全員で土嚢建築ユニットを背景にして記念写真を撮る。往路の途中でキクングの作業者がバスを待っているのを見つけて全員バンに乗せる。7人定員のバンは12人乗りとなり、あの悪名高いアルグレイブ収容所の写真を思い出したほどだ。当方はしかし、この偶然の出会いでお互いにさらに身近くなったと感じながら、楽しんで悪路に揺れる道中をわいわい言いながら現場に向かった。
 
●ウガンダ閣僚のカージ現場視察:
午後4時半、ビ大使とカージ・エコヴィリッジの将来構想について、氏が考えている現在の動きについて報告をうける。この土地は氏の所有地で、ここでEACプロジェクトを推進したいビジョンについては、本報告書の日本語訳の理念に解説してあるとおりである。
カージは人口約二万人からなるムサバラ地区にあり、農業と漁業を主体とした地域である。
このコミュニティーに一村一品主義(One Village One Product)の運動を立ち上げたい。その一環としてJICAにPeace Corps 100名派遣を願い出て米作を主体とした農業指導を期待している。9月6日の午前9時半には、ウガンダ閣僚のMinister in charge of Trade Industry, Tourism & Technology(貿易・産業、観光、科学技術担当)Emphraim Kasmuntu大臣が現場視察にやってきてビ大使の説明を受け写真を撮って帰った。大臣は機会を見てムセベニ大統領にも視察を願い出るとのこと。ビ大使は11月には再び日本から帰国し、一棟二部屋の土嚢Hut(小屋)を12棟建築し、カージのエコヴィリッジ活動の一環としてここでJICA派遣Peace Corpsによる農漁業をテーマとしたワークショップを開いてもらいたいという。当方はエコヴィリッジ建築にはJICAとは直接関係はないので、この件はウガンダ側で主体的に折衝推進してもらいたいと答えておいた。依頼されたHutの設計モデル図面は渡辺建築士が在ウ中に作成して提出するように依頼する約束をして、氏はそれを承諾し、帰国直前に設計図を完成してビ大使に手渡した。もちろん建築に関する費用は全額ウガンダの負担となる。

●中心軸にタイムカプセルを埋める:
9月9日(火)-午前中エコヴィリッジに甘露台の六角形を意識して定置した中心軸にタイムカプセルを埋める。30年後に開けてほしいと若い孤児たちに伝え、一緒にメッセージを書き込んだノートと資料をプラスティックの容器に入れ、それを使用済みのトタン状のパネルで包装紙し有刺鉄線で巻き込んで、地下五十センチほどの深さにセメントで固定した。その場所に教旗を立て天理丸で使用した赤座布団を置き記念写真を撮った(写真集参照)。この中心軸には将来水槽タンクを設置することをビ大使に依頼した。二百メートルほど離れたヴィクトリア湖から風力発電で浄化水路をつたって湖水をくみ上げ、浄水器で殺菌を行い、飲料水として使用するモデル構想は出来上がっている。タイムカプセルといえば、天理大学の土嚢エコモデルセンターの中心軸に、ユニタール招請のアフガニスタン奨学生30名が広島から来学した際にも埋めたことを思い出して実行した次第であった。
 午後3時寄宿し、洗濯、部屋整理。6時半、Muwando Godfrey副大統領私設秘書官とJICA所長の依頼により、市内ホテルで夕食面談のため石原氏と宿舎を出る。EACエコヴィリッジプロジェクトについていろいろ質問をうける。G秘書官はジャーナリスト出身でかなりインテリジェンスが高い。出身地のマサカ県でエデンの園をイメージしたエコヴィリッジをつくりたいという。ムセベニ大統領が関心を示す武士道の話をするとその思想に異常な関心を示し、JICA所長になぜこの話をいままで自分にしてくれなかったのかと抗議をする始末であった。
 午後11時、ナイロビ経由で大野夫妻がおこなう上総掘りの現場を視察するために石原氏とエンテべホテルチェックイン。深夜の二時に起床して、3時にホテルをチェックアウト一路エンテベ空港にむかう。

●マサイによる井戸堀視察:
9月10日(水)-5時半エンテベ空港発、一時間半でナイロビ空港着、一路タンザニアの国境近くに位置するOlotoktok市にむけて用意していた四輪駆動車に乗り、途中水を購入して、一路サバンナの悪路をひた走る。途中砂に車輪がとられて空回りするのも数度あり、砂ぼこりにまみれて目的地に到着。昼食をとって、やすむ間もなく、大野夫妻の自動車でマサイ族を指導して上総掘りで井戸を掘りつつある現場をしさつ。ここまで二時間のドライブ。今は見えないが明日の朝はキリマンジャロが見えるだろうとのはなし。作業の様子を参観しながら、大野氏から現場での苦労話を聞く。すでに十数か所で井戸を掘り当てたらしい。完成した井戸も見学させてもらい、マサイの親子とも通訳をとおして会話が交換できた。すでにマサイ族の中では上総掘りのベテランが誕生していて、大野氏もその技術移転に満足の様子であったが、水脈を地政学的な調査によって決定しなければ、どこを掘ってもよいというわけではないので、それが難題だという。地球温暖化やJICAが上流で農業指導のため農地開発をおこない灌漑用水路を造ったので、この周辺は河川の水位が低下して生態系が急激に変化してきた。多分それが原因で下流に流れる水が不足し、下流に生息する象たちの移動が数年前より早くなったらしい。その証拠として井戸堀の現場周辺には木々が象の群れに倒され、大きな糞の塊があちこちに散らばっていた。つい先日は井戸水をプールしておいたドラム缶の水を象が飲んでいるのを見て驚嘆した。最近は作業中も象の出現に注意をはらっているとの話であった。この夜大野夫人が日本食を作ってくださったが、自分は食欲がなくダウン、失礼して就寝。
 
●キリマンジャロ:
9月11日(木)-早朝ベッドのテーブルの横に置いてあった昨夜の味噌汁と酢の物と御飯のいっぱいをいただき、5時頃に西方にそびえるキリマンジャロを見るために無理をしてひとりでカメラを手に散歩にでる。まだ朝日は昇らず。しばし丘にたたずみ太陽の出るのを待つ。6時25分、朝日がキリマンジャロの反対方向から昇りはじめて、その輝が徐々に東の山頂の稜線を覆う霧を払い、風にゆっくりと流される雲の移動がカーテンの役割を果たすようにキリマンジャロ山頂の雪の白さをあらわにしてくれた。しばらくのあいだ、山の向こう側にあるタンザニアのアルーシャには、おやさと研究所の基地が1970年代にあり、その地の調査に昨年赴いたことなどを思い出しながら、学校に通いはじめた現地の子供たちの列をながめて、しばし瞑想にふけった。一時間ほどふらふらと近辺を散歩しているうちに、道を見失い、ホテルを探しながら、二三度現地の青年に尋ねてようやく宿舎にたどりついた。大野夫妻は朝食を準備してくださっていたが、食欲が無いのでお断りをして、氏にはコンピューターに収録してある関係データをつかって、氏の活動の外観と問題点を教示いただいた。マサイ族と共同した夫妻の長年にわたる経験は文化人類学的にも貴重な資料を提供するとの印象をのこしてくれた。日本から大学の教員がここまで視察に来たのは今回がはじめてのケースであるらしい。
 
●ナイロビ病院で身体検査:
9時宿舎を一路ナイロビに向けて立つ。運転手には近道の悪路はさけて、走行距離はどうでもよいから通行料を支払うので少しでも早くナイロビに到着するように交渉する。30キロほどガソリン代がかかると言われたが、健康状態がおもわしくないので、乗馬をするがのごとき悪路7時間は耐えられないので、よろしく頼むと交渉して、結局一時間早くナイロビに到着。途中サバンナで象の群れやキリンに豹、野牛、河馬、やさまざまな鳥類に出会い幸運であった。途中「Masai Eco」という看板を道路わきで見る。遊牧民を農耕民化する国家政策なのかと疑問を抱く。誰に聞いてもその実態がわからない。これからの研究課題とする。
 ホテルに着くなり就寝。目ざめて、日本食堂を石原氏に探してもらって栄養をとる。しかし、依然として夜は熟睡できない。あさ起きるとめまいがする。そこで、ナイロビ空港出発までに病院で診察検査をしてもらうことにした。二時間半かかって、検査の結果が出て、ピロリ菌が異常に発生していてストレスと疲れもたまり、胃には尋常でない潰瘍ができていると驚かされる。3分間ほど医師の問診に答えているともう疲れるというありさまである。治療のため入院するかといわれたが、薬をもらう時間がなく診断結果の説明を熱帯病専門という女性医師から聞き、ただちに空港に直行。道路は非常な渋滞で心配したが、二時間ほどで無事空港に出発時間まえに到着して機上の人となった。ウガンダでのマラリアの診断はパラサイトが見つからず誤診であったとのこと。データは帰国後日本の医師診断の参考のために、すべてメモをとって診断書のコピーを入手してきた。

●血便が出る:
9月12日(金)-8時ホテルをチェックアウトし、民族陶芸店と書店で資料収集をする。
マサイエコに関する情報は得られなかった。書店員は大学の専門家に聞いてほしいという。
ナイロビ空港3時着。5時エンテベ空港着後、ただちにカレンダーホテルに直行し、ベッドに寝る。少し寒気がし、血便が出る。細菌が原因ならナイロビ病院の検査で診断されていたはずだがと不安になる。

●マサカのあらきとうりょう:
9月13日(土)―石原宅でコンピューターを拝借してエコヴィリッジと船遊びの主な写真のプリントをする。マサカ県から山崎夫妻が子供を連れて会いに来ていた。カンパラまでには5時間はかかるだろう。全員で記念写真を撮る。石原氏夫妻の一人娘一才の真美ちゃんは小生が命名したかわいい赤ちゃん。お兄さんが三人いるので大変かわいがられている。黒人には慣れて泣かないが日本人の顔をみると泣き出すという。あまりこんな顔は見たことないというのがその理由らしい。山崎君はマサカ県の山お頂に布教所を土嚢で建築中、普請は屋根を除いてすべてが完成している。一才になる子供は裸足で坂を下った近所の友達の家にひとりで遊びに行き、一時は探しまわったことがあるらしい。将来が楽しみである。水は雨水を樋からドラム缶にためて蒸留して飲料水とし、電気は自製のソーラーパネルを活用しているという。言うなればジャングルの「あらきとうりょう」である。天理大学ではラグビー部に所属、奥さんは上智大学の卒業生で英語には不自由しない実力の持ち主である。
 
●エコヴィリッジの満月:
本日13日でカージのエコヴィリッジ作業は終了する。タイムカプセルを埋めた6角形の中心軸を6段の土嚢で完成し、三段目までアリ塚の土にコンクリート5パーセントを混ぜて埋めたたきつめた。その上に小石を敷き詰め、雨が降れば水がたまり、野鳥の水の飲び場になることを祈った。作業を終えたときは現場はすでに薄暗くなり、あと片づけをしていると東に満月が出ていた。ヴィクトリア湖上に浮かぶ月を背景に中心軸を囲んで記念写真を撮る。帰途カンパラのいつも行きつけの中華料理店で建築指導者の渡辺氏の健闘をたたえて一同乾杯をする。氏は一度もカージ以外はこの一ヶ月間現場監督として目が離せないので出掛けたことがない。明日は日曜日で最後の日となるので、せめてウガンダの伝統的建造物と世界遺産である王室の墓を見学する予定をたてている。

●Mpambo Multiversityの思想:
9月14日(日)-ンパンボ大学とはナイルの源流をもつジンジャ市において、1990年代に反新植民地主義をかかげて設立されたジンジャ地方に本部をもつBusoga民族を主とした母国語教育・伝統文化復興継承運動を目的として設立された大学である。ンパンボとは「種」という意味らしい。ウガンダの教育は英語で民族言語の教育は禁止されている。英語がウガンダ近代化の必須条件であるという憲法に反逆して、日本や中国、韓国は自国語で近代化に成功しているではないかというのが論拠の説得力となり、カナダのヴィクトリア大学をはじめ数校がその思想に共鳴して物心両面の援助をおこない、共同研究やブソガ族の文化を象徴する校舎建設の運動をはじめている。Paulo Wangoola学長は私たちのカージにおけるエコヴィリッジ構想にいたく感動して建築家を伴い、二度も現場を視察した。土嚢による研究棟をウガンダの伝道様式を取り入れて共同デザインをしようではないかという申し出である。学長によればMultiversityがUniversityと異なる点は、後者の組織的機構が縦断官僚的であるのに対して、前者は水平平等的思想に立っているところにあるとの説明であった。
 そこで最終日の今日は、大学のカンパラの事務所を訪問し、さらなる情報を収集して、学長他数人のスタッフと意見交換し、将来の可能な限りの協力を口頭約束した。現在筆者はカナダの関係学者とメイルで情報交換中であり、その自律的アフリカニズムは成功すればアフリカの思想的革命の核となり得るとの感触を得ている。2010年には、ジンジャで第二回国際会議が開催される予定であり、筆者は基調講演を依頼されている。継承された民族神話にはエジプトと類似するものもあり、興味はつきない。日本におけるアイヌの差別歴史とも類似する歴史的痕跡とさまざまな問題を抱えており、その比較をとおしても独自文化と彼らの消えゆく母国語保存の意義はおおきいとみなければならない。ちなみにMpamboとは「種」という意味で、MultiversityとはUniversityの縦の管理組織に対応する横の平等観と正義を象徴する言語的表現であるとの説明であった。氏とも帰国後メイルをとおして、あらたな識字的活動をカナダの専門の学術者と共同し、個人的にも研究課題として、学外のアフリカ学者や国内の企業家の賛同を得て進める準備に入っている。

●二つの満月と帰還:
9月15日(月)
予定通りエンテベ空港一行出発。ドバイを経由して関空に到着。16日(日)の夕刻天理到着。バスは奈良盆地に入り名阪から眺めた東の山から、カージの最後の夜に見上げた同じ満月は、ひときわ輝いてわれわれの帰りを迎えてくれているような感じがした。どうやらやっと両足で大地を踏みしめて無事に天理に戻ることが出来て心から感謝の御礼参拝をする。早速自宅では茶漬けを注文し、久しぶりの風呂に浸かって、すぐ眠りにつこうとしたが時差もあり眠られず、早朝三時までトランクやら書類の整理をこまごまとおこなう始末となった。
[PR]
by inoueakio | 2008-12-10 14:53 | アフリカ
<< 葡萄と頭蓋骨の地政学的宿命観か... ウガンダ活動日記抄録紹介(未完... >>