「谷底せりあげ」とユートピア 
   井上昭夫 25/04/2010

発題においては、第一に既存の理念的解説では体験共有を必要とするテーマの実態が参加者に十分に伝達できないという理由、そして第二に筆者の健康上の問題から長時間の発表は無理であるという事情から、まえもって編集しておいたドキュメンタリー映画(40分)とパワーポイント(10分)を使って解説を行った。前者は、アフガニスタンと東アフリカにおける「谷底せり上げ」の活動紹介である。それは筆者が主として自然建築(natural building)の一環である土嚢アドービドームといわれる手法を適応して企画主導し、同志の協力を得て実践してきた、ここ十年間の貧困緩和自立支援活動体験報告にもとづいている。とくにヴィクトリア湖畔におけるエコヴィリッジのユニットにおいては、土嚢4000袋を積み上げたメインドームは高さ8メールに至り、文字通り世界一を誇っている。詳しくは筆
者のBlogかBuilders Without Borderのホームページを参照いただきたい。そして後者は、現在、財政的に経常収支比率平均で日本全国において連続三年最悪を記録する宗教都市天理市の後進性を憂い、筆者の着想する天理発ユートピア構想を中山みき教祖のことばである「奈良、初瀬七里の間は家が建て続き、一里四方は宿屋で詰まる程に」「八棟八商売」等の予言が暗示する解釈を深化・拡大させ、大和の地勢と歴史的独自性を押さえて「元の理」に見られる「規矩」の思想を原則とし、ユートピアを深く幻想し、その未来都市構想を紹介した。あるべき宗教的理想都市をイメージした建築デザインを試みたのであるが、それはまさにユートピアそのものであり、ドゥルーズ/ガタリをライブするルネ・シェレールの言う永遠の時をもつものではなく、「時ならぬもの」である。ユートピアに流れる時間は「歴史」の時間ではなく、歴史を横断する「生成変化」の時間である。教祖の一言もそのように理解すれば、神言の解釈は限りなく時間を越えて広がる。そのためには克明な現実分析にもとづいた批判力と想像力、そしてゆたかな感性を貫く自由な構想力が求められる。関連資料を配布したので、口述できない点について参加者はそれらの資料を参考にし、演題の趣旨は概略理解できたと期待している。

 「谷底せり上げ」の方向については、教祖の予言や「元の理」の「規矩」(天円地方)から演繹された原則に忠実でなければならない。「谷底せり上げ」の方向が「陽気ぐらし」であるとして一件落着とするのは、既存の天理教学が人類全体救済を視野に入れた共同体としてのユートピア思想を取り込んでいない思想的後進性を示している。「陽気ぐらし」を個人の心性還元論に収斂させることは一種のトートロジーであり、天理教学の非社会性を暗示するほか何ものでもない。「ここはこの世の極楽や」と信じ踊ることだけでは、個人的ユートピアの域を出ないことを意味する。「谷底せりあげ」という言葉は、谷底から岩をせり押し上げた瞬間、岩が谷底まで転げ落ち、その谷底の岩をまた高山の山頂まで押し上げるという、永劫の罰を神から受けたシジフォスという男の不条理な労役と戦う男の心理描写からなる実存主義者アルベール・カミュの作品『シジフォスの神話』を想起させる。カミュは高山の山頂から谷底の岩を求めて下山するシジフォスの姿に彼が彼の運命に優越する自由を見て取る。カミュは「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間のこころを満たすのに十分たりえるのだ」と述べる。どこにもないユートピアと戦うにも似たシジフォスという一人の男の姿勢は、永遠に成就しないと思われる「陽気ぐらし」世界実現への励ましとも重なる。アフガニスタンやアフリカで体験した絶望感の中での瞬間のよろこびは、筆者にとってはシジフォスによる「岩」の「谷底せり上げ」のプロセスと共鳴するわけだ。
 
さて、天理教が教団としてユートピアを意識したのは、我が国が昭和の初期に旧満州において「王道楽土」を建設しようと宣伝した頃に合致する。満州建国宣言が昭和7年に行われ、昭和21年には政府は20年で百万戸を送り出す計画を閣議決定した。その国策に従って天理教青年会は昭和8年を第一次とする天理村建設計画を起草した。その当初の建築デザインは神殿を中心に約50戸が入る外壁に囲まれた正方形をなしていて、八丁四方「おやさとやかた」構想の原型を連想させるものであった。設計には中山正善二代真柱を中心として、昭和普請の建築顧問である東京帝大の建築家内田祥三教授らが関わっていたと推測される。当時の記録集を基礎資料とした日本建築学会史によれば、天理教は満州の極貧の開拓村に宗教的ユートピア建築を目指したと克明に伝えている。敗戦によりこのユートピア構想は悲惨なディストピアに終わったが、教祖50年祭を直前に控えた「人類救済」への全教的高揚は、西欧のルネッサンス時代を彷彿とさせるものがあった。その活動の原則となったのが、次に述べる「元の理」に黙示される「天円地方」(天は円形で地は正方形)の論理である「規矩」(コンパスと定規)の構造が「建築論」を伴っていたという筆者の推論である。しかし、この時代においては、まだユートピアに六柱神・道具衆の機能的・相補的配置は「規矩」論を原則として意識されていなかった。
 「天地東西南北の事に就いて」高弟から問われたとき、教祖は地と天のへだたりは「人間が両手ひろげてねたごとくや」と答えられた。一種の「公案」であろう。それに対して「人間、両手ひろげて寝れば、東西南北、おなじ程なり。是れ丸き理を、聞かせられしにや」と先人たちは悟っている。この教祖との問答は、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な人体世界地図に見事に対応している。それはミケランジェロが言う当時発見された古代ローマの建築家ウィトゥウィウスの『建築論』にある「人体は円と正方形に内接する」という記述とも重なるからである。
 上記のような次第で、教祖の予言を「元の理」の六柱神を配置した「規矩」論から読み込み、ぢばを中心とし、大和盆地全体を包摂する領域・「五里矩形」「七里一円」を都市範囲とした「天理やまとユートエコトピア」構想を建築学者らと共同してデザイン化を試みた。その「元の理」に基づいた構成原理の専門的解説については別の機会に譲りたい。また、筆者は一信仰者として「ておどり」の十一下り目の第一歌の身体動作が「規矩」そのものを象徴的に的確に表現していると考えて来た。その着想に拍車を翔けたのが明治二十年一月二十七日、教祖が現身を隠された翌日に内倉の前で記念撮影された一葉の写真に写る飯降伊蔵の持つ矩尺(矩的普請の意思)が発信・象徴する姿にあったことも告白しておきたい。
 
 

 
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by inoueakio | 2010-05-14 11:16 | 講演・エッセイ
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