天理大学おやさと研究所
平成21年 公開教学講座 12月25日/道友社6階ホール 第9講「みかぐらうた」と現代 井上昭夫 【いのうえ・あきお】 おやさと研究所長 「みかぐらうた」を「味わう」ということ 「みかぐらうた」を理解し、「味わう」ことは、人間が親神様のお言葉を「食べる」という行為を連想させる。「元の理」において、親神様は道具衆を「食べてその心味を試された」とお教えいただく。では、人間が親神様のお言葉である「みかぐらうた」を「味わう」ということは、一体何を意味しているのだろう。 感覚の範疇である味覚を、生理的な「味わい」という言葉に見立てた場合、その「味覚」という感覚を総合的に獲得するためには、「咀嚼する」ことが前提となる。「咀嚼」とは、「食べるもの」を見定めて、口内に入れたものを「噛み切る」ことから始まる。 これは、「噛み切られる」ものにとっては、痛みを感じるという覚悟が前提としてあるということを意味している。「神の言葉」を人間が「味わう」ということは、その裏には「正しく味わってくれるか」という、「神の痛み」という逆説が隠されているということに気づかなければならない。お歌を味わう人間に、壮絶な布教体験であれ思想的葛藤であれ、ある種の痛みや苦しみの体験がなければ、味わうどころか、単に〝舐めまわす〟といった段階で終わってしまうのではないだろうか。 痛みを伴わない味わい方では、お歌の意味合いを視覚(活字)と聴覚(音声)でとらえることはできても、信仰に必須である魂の感動が全く心に伝わらない。どんなにつらい節に直面しても、その痛みを乗り越える覚悟をもって信仰実践していく気概が、私たち信仰者には求められているといえよう。 二〇〇一年九月十一日に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」以後、私はアフガニスタンのカブールを七度訪問し、テロの悲惨な現場をこの目で見てきた。連日のようにマスメディアで報道される自爆テロのニュースからは、「むほんのねえをきらふ」(二下り目 6)と仰せられる、「みかぐらうた」の一節が鳴り響いてくるようだ。神の厳しい怒りや心配が、その表現の中に込められていることを感じる。親心には、優しさも、厳しさも、怒りもある。 「みかぐらうた」の各下りが意味するところは、形式化され、固定されているのでは決してない。時代の変化によって、またそれを歌い踊る人の心の変化によって、常に揺れ動いている。つまり「みかぐらうた」は生きているのである。そして信仰者の成人が「味わいの」の深みを決定する。その意味で、原典の中で「みかぐらうた」は、最も自由な悟りが体感できる〝信仰的全身運動〟である。ここでの「身体」とは、自分のものではなく、親神様からお借りしている「神のからだ」を意味している。 したがって、「みかぐらうた」の唱和や手振りを通して得られた新たな悟りや解釈は、私たちの心の自由や理性によって生じたものというよりも、かしもの・かりものである身体を通して与え・伝えられる、親神様の思召に近いものと理解される。存命の教祖がその身体を通して、自ら歌い踊られて伝えられたものを、私たちがそのまま学び反復することは、ひながたの道に直結する。 これらのことから「みかぐらうた」は、〝第一の原典〟であると私は考える。 歴史的順序から見ても、明治二年に始められた「おふでさき」は、慶応二年に完成された「みかぐらうた」や、明治十四年から見られる「こふき」話の根本理念を、しかも和歌という形式を用いて論理・構造的に後ほど言語筆記されたものである。その思召の全体像を総合的に把握するためには、高度の知的能力が要求される。しかし、難解ではあるが普遍に通じる思想は、柔軟でやさしい表現でなされる。「おふでさき」がそうであるのは、詩歌の形式が最適だからである。 「口記」としての「みかぐらうた」 教祖は、十歳のころより母の唱える和讃を暗唱されていたといわれる。別の言葉でいえば、和讃は視覚による書記言語ではなく、聴覚で記憶されたのである。「みかぐらうた」が教祖の口授による繰り返しの学びによって、後ほど先人によって活字化されたという推測の根拠は、この史実における教祖の記憶の原体験にもある。以下、『稿本天理教教祖伝逸話篇』を通して、「みかぐらうた」は「口記」であるという仮説の検証を行ってみたい。 逸話篇一八「理の歌」では、十二下りのお歌が出来たときに、教祖は「これが、つとめの歌や」と仰せられたという。ところが、逸話篇一九「子供が羽根を」においては、「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、同八月に到る八カ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたものです。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります」とあり、一八の「これが、つとめの歌や」と十二下りのテキストを一挙に皆の者に見せられたと理解されがちな表現と矛盾しているように思われる。また、手振りの完成には三年かかられたとしても、真剣な学び手である先人が、短い十二下りの数え歌を覚えるのに八カ月もかかるとは考えにくい。 「神様が刻言々々に、お教え下されたものです」と、史実が語っている。だとすれば、教祖直筆の「みかぐらうた」の原本は、最初から存在していなかったのではないだろうか。「みかぐらうた」の写本形式は「おふでさき」のように原本を見て写されたとは考えにくい。「みかぐらうた」は祈りの歌であり、身体動作を伴う「宗教舞踊」であったから、筆記言語を媒体としてではなく、数え歌形式としての「こふき」話の形をとって、教祖自らその「理」を歌い、踊られて示されたという推測が成り立つ。 したがって、「おふでさき」とは違い、「みかぐらうた」は多数にわたる写本が継承されていた。聞き手によって、神名の表記が「天輪王」であったり「天龍王」であったりしたのも、その理由からと想像される。逸話篇二二「おふでさき御執筆」において、教祖が「七十二才の正月に、初めて筆執りました」と述懐しておられる史実は、慶応二年に製作された「みかぐらうた」が、教祖の口授による「口記」であるという決定的な検証となるだろう。 「みかぐらうた」と現代についての考え方 「みかぐらうた」と現代という問題を追求するためには、「みかぐらうた」という原典から、過去と未来をつなぐ現代的価値をどのようにして紡ぎ出すかが大切だ。そのためには、先入観によって導かれた解釈をいったん疑うこと、さらには否定すること、切断することの勇気が求められる。そこから一名一人の信仰的解釈にむけて、真の思索が深化・展開していくきっかけと感動が生まれる。 個々の非可視的なさまざまな独自的悟りは、それが説得性と普遍性を獲得する可能性を持つ限りにおいて、既存の信仰共同体を形成する「根の世界」を強化する。単なる既成の書記言語の解釈の説明や反復だけでは、それは先人の個人的悟りの紹介に過ぎず、独自性や独創性に欠け、世界宗教として要求される教学や神学の進歩条件を満たすことにはならない。つまり、混迷を極める現代において「みかぐらうた」を釈義し、その素晴らしさを伝えようとしても、さまざまな社会問題に解決の糸口を与えるものでなければ、いくらお歌を比較、分析したところで、表記文字の〝説明〟に終わってしまいかねない。個々の信仰体験から得られた独自の悟りはもとより、時代に即した新たな解釈が生み出されなければ、意味がないように思えてならないのである。 新しい時代には、新しい思想が求められる。というより、新しい時代は、新しい思想によってつくられると言ったほうがいいだろう。その求めに応えるためには、第一に、過去・現在にかかわらず、他人の解釈に追従することなく、疑問を持ち、それらを超えることの活学的努力と、多数派の見解が必ずしも正しいと思わないという、懐疑的精神が求められる。新しい時代を変革する思想は、現実の世界におけるさまざま非合理な矛盾と、あるべき理想的世界との狭間にあって、それを克服できない自分が無力であることへの自己批判から始まる。それには常に不条理をベースとした現状批判が付随するが、この事実は「素直であれ」「従順であれ」という個人の道徳律とは異次元の社会的レベルの価値観にあることを知らねばならない。 そして第二に、人の意見を鵜呑みにするのではなく、おふでさき第十七号の締めに啓示されている、 いまゝでのよふなる事ハゆハんでな これからさきハ悟りばかりや (十七 71) これをはな一れつ心しやんたのむで (十七 75) との親神様の思召を真剣にとらえ直すこと、さらには、「悟りというは、幾重の理もある」(明治25・7・25)とのおさしづの重大な意味世界の前後を読み飛ばさずに、そのお言葉の直前でいったん立ち止まって深く思索すること。 そして第三に、答えを人に教えてもらうのではなく、 ふかいこゝろがあるなれバ たれもとめるでないほどに (七下り目 2) とのお歌に勇気づけられて、自らの努力で独自の神に向かう思索回路を徹底して貫くことだ。そのためには知識の領域から脱出して、既成概念にとらわれることなく「自分ならどうする」と自問する癖を身につけておかなければならない。「思案してみよ」と繰り返し要請されるのは、この点にある。 人間には、神から与えられた心の自由が、かしもの・かりものである身体部分の「頭脳」に、十全の守護の働きを通して「智慧の仕込み」として収斂されている。人間創造の目的は、「陽気ぐらし」であり、その「陽気」とは、すべての事象に対してポジティブ(積極的・非受け身的)な姿勢、つまり「勇み」を意味している。「こゝろすみきれごくらくや」(十下り目 4)とは、個人的・内面的な理想郷だけを求められているのではない。極楽とは、極楽浄土の略語である。浄土を現世に実現するのが一れつきょうだいに与えられた究極の目的であるから、その理想郷はあくまでも現世的であるというのが、天理教のだめの教えたる所以である。 「陽気ぐらし」は、親神様のご守護のもと、個々の自律的努力なしには達成できない。それは信仰者からいえば、自己の「思案」を通して「悟り」に至る宗教的「自己教育」の意味であり、これこそが人類創造の目的である「陽気ぐらし」への具体的想像力を持続させる。これによって、過去に存在しなかった新しいアイデアや普遍思想が生み出される。「陽気ぐらし」は終末論ではない。 明治二十年、教祖が現身をおかくしになる前後の神人問答は、単なる歴史的説明文言を超えて、過去、現代を通して、未来永劫に生き続け、われわれ信仰者に常に重大な問いを発していると認識しなければならない。「やしろ」の「扉」が開かれたという真実は時空を超えている。しかし一方、私たちの「こころ」の「扉」が開かれていなければ、はるかな未来の地平に「陽気ぐらし」の前景が視野に入って来ることはない。 往還道への道筋は、「おふでさき」や『稿本天理教教祖伝逸話篇』に示されているように、その解釈の仕方によって、あるいは異なる文化や地域によって幾筋もあるだろう。 いずれにしても、未来をポジティブ(陽気)に取り入れるために、真の「あらきとうりよう」としての覚悟と矜持が急き込まれている。私たちはいま、未曾有の時代に直面しており、自らの信仰姿勢を真剣に見詰め直すことが求められている。 「みかぐらうた」を「味わう」に際しては、「いま・ここにある自分にとって、このお歌の意味するところは何か」を悟ることが大切である。これを常に意識し、歌い舞うことによって、教祖の声を聴き取らせて頂き自らの信仰に対する責任を全うしなければならない。 つまり、生きている「みかぐらうた」を深く「味わう」ことにより、私たち信仰者はさらなる成人へと生かされて行く。これが「みかぐらうた」を「味わう」ことの意義である。
by inoueakio
| 2010-05-14 11:14
| 講演・エッセイ
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