葡萄と頭蓋骨の地政学的宿命観から見たアフリカ大陸のユートピア幻想

   井上昭夫

イランのハタミ元大統領は、地図の上に描かれたイランは、一匹の頭を北西に向けた大きなカタツムリのように見え、カスピ海とペルシャ、オマーンの二つの湾だけがその首筋にあたる動かない天然の国境であり、それ以外の国境は歴史的に周辺国との力関係によって動くのが常であったと言う。この比喩はガンジーの言った、真実はカタツムリのようにゆっくりと動くという言葉を思い出させる。

目を西方に転じると、五十三カ国もあるアフリカ大陸の地図は、葡萄の房のようにも、人間の頭蓋骨のようにも見える。その大粒の葡萄の熟した一房は、国際的支援・援助というタグをぶら下げ、ポストコロニアル時代における先進国の巨大な食欲の狂風に翻弄されているかのようだ。あらたな支援・開発という美名のタグの裏には、搾取という実態が見え隠れしている。

一方、頭骸骨と映る眼球には、アフリカ大陸が原人類進化の化石的象徴であるというよりは、何か不気味な地勢学的宿命を黙示する未来形として映る。大江健三郎は『個人的な体験』において「アフリカ大陸は、うつむいた男の頭蓋骨の形に似ている」「交通関係を示す小さなアフリカは皮膚を剥いで毛細血管をすっかりあらわにした痛ましい頭だ」と地図を買う主人公に言わせている。この不気味なたとえは、アフリカ大陸が脳に障害をもち生まれてくる子供と重なり「めまぐるしく変化している大陸」であることを暗示している。われわれが試作したエコビリッジはビクトリア湖に面している。このダーウィンの箱庭とも言われる世界第二の淡水湖は、頭蓋骨に見立てられたアフリカ大陸の眼球の位置とも不思議にも一致している。それは人類の未来を見つめる目のような姿をしてこちらを睨めつけているようでもある。

チャーチルは、かつて東アフリカのウガンダの自然を「アフリカの真珠」にたとえ、農地でもくもくと働くアフリカの女性たちの姿に、かつて彼が日本の美しい田園風景の中で見た農婦の働きぶりを重ねて賞賛し、一つの理想郷を幻想していたと思われる。そして1960年代のアフリカは植民地からいっせいに独立する国が相次ぎ、天然資源を豊富にもつ理想の大陸にも見えたが、同時に族長支配伝統が強固な植民地に対して、民主主義だけが絶対の正義であるという一神教的迷信にもとづいた統治政策には、前途多難を予想させるものがあった。そしてその結果、部族抗争や構造化した汚職・暴動は止むことを知らず、アフリカは貧困度世界一、エイズ患者世界一といわれる大陸となり、いまや問題は海洋にまで飛び火することとなった。東アフリカのソマリア沿岸は海賊出没で、各国の巨大タンカーも襲撃されるなど世界の危機的注目をあびている。かくてグローバリゼーションの総体的デメリットは、アメーバのようにゲリラ活動の宗教的思想・伝搬化をもたらし、テロリズムを陸地だけではなく海洋にまで進出させることとなったのである。

以上のような次第で、搾取、汚職、暴動の連綿としてつづくアフリカ大陸には、天国と地獄、葡萄と頭蓋骨の逆説的両義性の姿が見られる。このアフリカ大陸の頭蓋骨に象徴される負の価値は、葡萄に象徴される正の価値にいかにして転倒・逆転され得るか。アフリカ大陸は人間の知恵と強固な意志、そして不断の努力如何によってどちらにも変化する可能性をもつ柔軟な大陸という側面も隠し持っている。

百年に一度といわれる地球規模の金融危機は民主主義の終焉を暗示し、アメリカンドリームも歴史的終わりを告げた。そこに躍り出た東アフリカのケニアを出自とする黒人オバマ米国大統領は、アメリカ的合理主義を超克することができるか。そのドラマはこれからはじまる。残念ながら彼の大統領就任演説においては、社会主義につづく民主主義のユートピア社会構築実験失敗の文明的批判にもとづいた新しいユートピア思想が欠落していた。

われわれが実践した本『報告書』にある東アフリカ貧困緩和自立支援のエコビリッジ建設の試行錯誤の産物は、アフリカの負の価値の逆転を将来もたらすであろうという楽観的ユートピアの夢想であったかも知れない。しかし、人類の知の象徴であるギリシャを発生の地とするこの葡萄の姿をする不思議にも魅力的な大陸は、少なくとも世界が丸くつながる実存的人類調和共存のユートピア幻想を私にもたらしてくれた。振り返ってみると頭蓋骨の悲惨な現実に呻吟するアフリカ大陸に支援され、逆に熟した葡萄の甘味と夢を享受したのは私自身であり、アフリカではなかったということが、これから挑戦しようとする新たな細道であるエコ・ユートピア理想実現への精神的モーティベーションの持続力とならんことを祈りたい。そのためにはまず「どこにもない」ことを現実批判の武器とし、カッシラーの言う「どこにもない」という意味をもつユートピアが、あらゆる批判・検証の尺度たり得るという原則を認識しておくことが重要であると考えている。学内外、国内外を問わず後に続く真摯な同志のご協力を切に期待する次第である。一粒の葡萄の種は撒かれたのである。
[PR]
by inoueakio | 2008-12-10 14:54 | アフリカ
<< 2008 ウガンダでの活動写真 1 ウガンダ活動日記抄録紹介(未完... >>